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#1 あなたの知らない「あの頃のミャンマー」と出会う

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日常にある、”あなたの知らない「ミャンマー」と出会う”

Paint The World は、「 “途上国”から世界を変える」をビジョンに掲げています。

日本の中に散らばっているミャンマーのピースを集め、ミャンマーの魅力を再発見・新発見する機会に繋がればと思っています。

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ミャンマーでのクーデターから4年。
今回は、何度もミャンマーに足を運び現地で長年支援をされてきたNGO懐(ふところ)の代表・髙森拓也さんから、クーデター前のミャンマーの様子や支援のあり方などについてお話を伺いました。

NGO懐は“人と地球”に直に触れることを目的とし、これまで子どもたちと共にアジア各地へ足を運び、現地で支援活動を行ってきました。ミャンマーではこれまでにポリオワクチンの接種や支援物資の給付、小学校の訪問や交流活動などを通して、教室では学べない「生きた経験」を子どもたちに与え続けてきました。

代表の田中がミャンマーに行ったのもこのNGOの活動がきっかけでした。

ー髙森さんはNGO懐(以下、懐)の活動で何度もミャンマーを訪問されていますが、クーデター前のミャンマーは髙森さんの目にどう映っていましたか。

初めてミャンマーを訪れたのは1997年でした(*1995年はミャンマーの子ども達へのポリオワクチン募金活動を国内で始めた年)。
元々はアフリカでのマラリア感染に対して活動している団体を探していましたが、見つけた団体が主にミャンマーでポリオワクチンを配る活動をしていたことがミャンマーを訪れるきっかけでした。訪れた当時、とても親しみやすい国民性で嫌なイメージが全くなく、何度も足を運びたいと思った国がミャンマーでした。
1998年に初めて懐の子どもたちを連れて現地に行き、懐も子どもたち自らの手で直接ポリオワクチンを現地のこどもに接種するなど支援活動を行いました。当時のミャンマーは「軍事国家」のイメージが強く日系企業もあまり入っていないような時期であり、政治問題については口に出せない、「アウンサンスーチー」という言葉もだめ、という状況でした。

ー2008年にはサイクロン・ナルギスがミャンマーを襲いました。その際にも支援をされていましたよね。

ナルギスの影響で15万人ほどの方が亡くなりました。懐は村に小学校を建てる支援をしましたが、新しい建材を買うお金はなく、飛ばされた柱や黒板を探しにいったこともありました。極力現地の村の人たちが参加して再建ができたものの、先生が足りないという問題がありました。先生として大学生にきてもらっていましたが、彼らに給料を払う余裕がありませんでした。

ーヤンゴンと地方での教育格差はやはり当時から大きかったですか。

かなり格差はあったと思います。識字率は高く教育への関心はあるものの、月々のわずかな授業料も払えず労働が優先されて学校に来れなくなってしまいます。学校に行く時間がもったいないという思考になってしまうんですね。医療格差はその何倍もあると感じました。

ー資金が少ない状況でも、ミャンマーでの活動を通してたくさん支援を行われてきたと思います。その原動力はどこから来るのでしょうか?

「他人事だから頑張る」が懐のモットーです。我が事は後回しで良いという意味ではなく、実際に現地と向き合えば、自ずとそれは我が事にもなるのです。それもまた我が事でもあると引き寄せられれば、彼我両輪で進めるのです。片輪走行では迷走し過ぎ、やがては力尽きるのではないでしょうか。
この「他人事だから頑張る」の原点は一人旅の経験でした。偶然神田の本屋でベトナム戦争の写真集を見たとき衝撃を受け、外を見なければいけないと思いアフリカに行きました。初めてのアフリカで、本当に非日常空間に来たと思いました。自分自身も体調を崩して食べるものがなくなって、そう言った経験を通して現地の人々の生活の厳しさを目の当たりにしました。そして、「知ることには責任がある」と感じました。中東やバルカン半島、アフガンの戦地にも立ち会って来ました。日本に帰って来て、なんでも望めば手に入って。現地を知ることができた、いい経験ができた、で終わっていいのか。平和な自分が苦しくなって生きていることが申し訳ないとすら思いました。
知ってしまった以上は責任が生じるのです。「一人でも多くの人を笑顔にする」では続かなくて、不可能に思えたとしても「一人残らず笑顔になるまで」やらなきゃと自身で思い込むようにしました。でなければ人も付いて来てくれないんじゃないか、と。そのスタンスが自分の性格にあってたんだと思います。
本当の非日常空間に行くと、現実を目の当たりにすると同時に日本での生活へもありがたみも感じます。現地に行ってからは、「おまえは何を見てきたんだ、どんな人に会って来たんだ」ともう一人の自分に揺さぶられて、TVを観ても、飲み会に誘われても、彼の地のことが頭をよぎることがあって、心から笑えなくなりました。それからずっと、自分は何をするべきか考え込んでしまうようにもなりました。とうとう、子どもの頃からの唯一の趣味だった魚釣りもできなくなりました。針に活きエサをつけられなくなったんですよ、かわいそうで。ビョーキですかね(笑)。

私自身、やはり旅から学んだことが多かったように思います。子どもたちをいろいろと現地に立たせてみたくなるのも、そういった経験があるからです。現地での経験というのは大事で、学校の授業で学べるものではありません。旅には点数が付かない。数値化できないところが「感情」であり「徳」であり、そこを育まなければいけないと思います。

ーミャンマーでのクーデターから4年が経ちました。

クーデター後は、純粋な支援を行うにしても(軍側と民主派側の分断により)政治的な色眼鏡で見られてしまいます。支援の仕方は難しく、下手に外国からの支援ということが明るみに出てしまってもいけません。こうした状況下だからこそ、中立と言われている国際機関などの支援が大切だと思うのですが、どうでしょう、今ひとつはっきりとは目に見えてこないことが残念です。

日本では、世界の他も地域でも紛争に対する支援や募金は多く見られるもののミャンマーへの募金はほとんどありません。第二次世界大戦の時にはミャンマーの人々を蹂躙してきた歴史があり、それでも彼らは敵味方に関わらず匿ってくれました。
ミャンマーに対して、一人一人が今できることをやっていくしかありません。特に情報の共有が必要で、その点で大学生が持っている情報を篩にかけていく力には期待しています。
今、若い大学生のみんなが考えて行動しようとしてくれています。
行動には証人が必要だと思うのです。
その一人にさせてやってください。

【広報担当者:牧野】
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