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哲学: 仏陀哲学を考える

苦しみから解放されたいがために仏教に頼る人もいると思う。
「欲や煩悩が苦しみを生む」と思い込んでいる人が大半だ。この思い込みが心をややこしくする一因にもなっている。

ぼくは日頃から人の苦悩に接している。その経験から「苦」についての考えを述べてみようと思う。

仏陀は、四つの真理(四聖諦)を説いたと言われる。(内容はここでは割愛しておく)

「生きることは苦しみだ」と言われると深刻な気分になるが、「苦」(ドゥッカ)は文脈からすると、お腹が痛いといった「苦しみ」とかではなく「煩悶」という気分に近い意味だ。

ぼくは煩悶も含めて苦悩は「期待と思い込み」から生まれるとみている。メンタルの不調もそれが原因の多くを占める。

仏陀の話は、「期待と思い込み」を前提に読んでみると理解しやすい。

宗教信者の理解はまた別だろうが、ここではなしだ。
ぼくは、心の制御に関することが大切なのだ。ニルヴァーナに至るとか言われると困っちゃう。

仏陀の話は、しっかりと文脈を読み取れば一般的にも理解できるのだ。難しくはない。


ぼくは、心についてとか、どう考えるかについて考え、そのことが心の健常さにどう影響を与えるかを探究している。

思い込むことや期待することは、生まれついての人間の思考法に影響を受けており、また、その後の経験にも影響を受けている。

偏った経験や狭い体験などは、推論能力にも影響する。そこで生まれる期待や思い込みは現実との差を大きくするだろう。

抑うつ気分や諦め、怒り、不安、悲嘆、人間関係などはそういったことからも生まれる。


いったい誰が仏陀の話をこんなにもややこしい話にしてしまったのだろう。
思い込みや期待が「苦」を生むということにたどり着けなかったのだろうか。

要点は、欲ではなく「思い込みと期待が苦悩(ドゥッカ)を生む」ということだ。それがわかれば、煩悶を含めた苦悩はかなり消える。

『欲や煩悩が消えたのではない。思い込みや期待が消えたのだ』

心は考えるという日頃の努力によって制御できる面もある。
考えることを学ぶということが大切だと力説しているのはそういうことだ。 おわり

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