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dabun_dabenstein
65.楽譜【ショートショート】
「弟と一番多く仕事をされていたあなたに、これを持っていてほしいのです」
スタジオにやってきた彼女は封筒を差し出すと、そんなことを頼んできた。
「これは弟が常に持ち歩いていた楽譜です。なんでも、音楽に向き合えるようになったきっかけの楽曲だから、志を忘れないように持ち続けているって言っていました」
それは形見としてご家族が持っていた方が、と私は拒否したが、彼女は「私達は音楽の事は解らないから、音楽で繋がっていたあなたに持っていてほしい」と説得され、受け取ることにした。
封筒には『YOU』と書かれている。恐らく曲のタイトルだろう。封筒を開けて中を取り出してみた。
「不躾な頼みだと承知してますが、弾いてみてくれませんか」
彼女の頼みに少し悩んだが、楽譜をしばらく眺めた後ゆっくりと頷いて、弾いてみることにした。楽譜を手に、キーボードに向かう。
しばしの沈黙。音の始まりは探り探りの好奇。楽しい旋律が現れ、やがて争いが混じり始める。苦悩の後、歓喜。
やがて曲は激動の栄光を奏で始め、突然止まった。
一つ息を吐き、楽譜を彼女に渡す。
五線だけが掛かれた白紙の楽譜には、冒頭に『想う相手を頭に浮かべ、馳せた想いを叩き付けろ』と書かれていた。
「今のは私が想う、彼の音楽です」