2022徳島ヴォルティス振り返り②
保持の先にある崩し
昨期を土台づくりと考えていたとしてもいなくとも、今期の結果に関わる大きく抜け落ちた要素として考えている。
もしくはこの崩しの部分については、元々個に任せる考えがあったのだろうか?
昨期も崩しについては岸本選手の突破や宮代選手のシュートアイデアに依存していた部分が大きく、
彼らが抜けた後に残るものが無く再構築が必要なのは当然であった。
特にバイタル付近で起点になりつつ他の選手が探せていない・産み出せないシュートチャンスを作り出す宮代選手の穴は大きく感じている。
自滅的な要素も見えた今期
今期このバイタル付近では一美選手がうまく立ち回り、また終盤に差し掛かり児玉選手の成長やエウシーニョ選手がフィットするにつれ個の部分での仕掛けが増えたが、
スピード感をもって3人目までスムーズに連動できることは稀で相手が特に警戒するこの場所を崩し切るところまでなかなか至らない。
その様子からはチームとしての狙いでやれていたようには考えづらい。
そのようななかいわゆるファイナルサード(相手ゴール付近)での攻撃の最後の崩しについては個の能力による突破に依存してしまう試合が多く、
比較的スペースの許されるサイドで西谷・浜下・杉森選手等による単騎突破からのクロスやカットインからのシュートを狙うも、
ゴール前を埋め跳ね返しの準備ができている相手…遅効中心のその保持含めて大体の相手のその土俵に自ら乗ったなか、別の手に乏しく相手の目線を逸らせない状況にて充分に認識され準備万端の複数人を相手に挑むという半ば自分達で成功率を下げたなか攻めることになってしまうことも少なくなかった。
メッシ・ロナウジーニョ選手などを擁しウイングの単騎突破をひとつの戦術として組み込んだ一時期の黄金期のバルセロナは、そもそも常にその駒を確保できる資金力がベースだからこそ可能なことに加えて
その時の監督であった現スペイン代表のルイス・エンリケ監督は、前線からのプレッシングをバルサ特有のロンドと結びつけたショートカウンターからの得点への設計もあったので、
相手は的を絞れずウイングが有利な状態で仕掛けられる状況づくりができていたし彼らが欠場したり調子が良くない時にでも他の突破口があった。
今期の徳島にはそうした駒の確保におけるクラブとしての立ち位置や設計の両方に欠けていたというかマッチしなかった部分があったように感じている(そしてルイス・エンリケ監督率いるスペイン代表も何故か今同じ課題に苦しんでいる?)
特に早々に保持を優先することで相手を固めさせて自分達が手詰まりになる…というところに関して。
バイタルへの侵入についてはそれ自体が成功しなくとも相手の目線を中央に集めることで他(両サイド)への出足を遅らせる効果もあり、サイド攻撃を主軸とするにしても欠かせない要素だと考えている。
寄るべきところ、局面での「和式」
このあたり来期は即時奪回からのショートカウンターやバイタルでの3人目まで連動する意思統一等チームとして崩しの設計づくりについてより検討してもらいたい。
なお新潟はこの点において局面での連動した崩しが徳島より多かった印象。
そこにはどこで「寄る」かを共有する必要があり、何でもかんでも寄る「和式」と揶揄されるそれと区別しうまく使いこなすことがポイントかと考える。
他でも触れたが、日本対ブラジル戦ではブラジルの選手達が日本のゴール前に次々と集結する場面を目にした。新潟、またJ1では鳥栖はサイドを中心に起点をつくり「寄る」ことで局面を崩していく頻度が多くまたスムーズであり、
特に鳥栖はシーズン中の選手の入れ替わりが激しいなかでも選手の個性を考慮しつつチームとしてのかたちは保ち続けることができていたと見ている(更にゴール前では相変わらず宮代選手がその能力を発揮していた)
保持の見直し
また保持についても盤石ではなく、2CBとアンカーに人を付けてくる相手には後ろの起点が作れずGKからのロングボール→前で跳ね返され失う場面が多くなっていた。
後ろの配置を臨機応変に変える…特にSBがスライドして人数を変え配置をずらすことは試合によってはスムーズにできていただけに、そのあたりはより安定して出していきたい。
また前からマンツーマン気味に圧をかけてくる相手に対して横パスが多く相手に狙いを定める余地を与えてしまう場面もまだまだ散見している。
よりポストプレーを意識的に使い入れ替わり相手の出足を抑えたい。
そのあたり11節のいわて戦ではFWタイプを2名起用しまた後ろでもSBが臨機応変な立ち位置を取れていたことからほぼ完璧にあらゆる守備に対応できていたように見えたのだが…
次の山形戦の後半からは元通りのシステムに戻し、時折同じような配置を採用する場合はあったがいわてとの再戦含めて以後その再現は無く。
この点はフォーメーションの変更やバリエーションもまた必要ではないかと考えている。