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なぜ私は仮面ライダーの変身ベルト玩具を一つは所持するようにしているのか
想像力は力だ。子どもたちにとって、想像力は身の回りのものすべてをおもちゃにしてくれる糧である。木の棒を拾えばそれは剣になり、ゴミ箱の蓋を拾えば盾になる。傘はショットガンになるし、ちょっと曲がった木の棒は銃になるだろう。身の回りのなんでもないものが、想像力によって無限の可能性を与えられる。
所詮は”見立て”である。棒は剣じゃないし、蓋は盾ではない。傘だって雨の日になれば開かれて本懐を果たすはずだ。しかし子どもたちは、それをまるで本物かのように扱う。やはり真っ直ぐな棒を持ったときには、本当の剣に選ばれた気持ちになるのである。それは仮初めでも十分な自信だろう。自分をなかなか表現できない気弱な子が、伝説の剣を持つことができればそれがアイデンティティになる。少なくともその瞬間は、気弱ではない。
もちろんこれは武器の話だけではない。おままごとなど、なりきり遊びはそうだ。遊んでいる間は、たとえおもちゃの料理でも本当に作っているはずだ。
もちろん、こういったことはおもちゃなしでもできる。しかしあったほうがリアリティは、”断然ダントツでトップ”なのだ。
ヒーロー変身なりきり玩具は、もちろん音がなったり光ったりするだけである。それでTVの中のヒーローのように変身は出来ないし、そんなことを信じるなんて馬鹿げていると思われるだろう。
でも、もしかしたら。想像の力が本当にあるとしたら。それをつけることで、自分がその瞬間でも何者かになれるのであれば。私はその瞬間でもそれに賭けてみたい。ベルトをつけることで、自分は仮面ライダーになれないかもしれない。でも、実際につけることができたリアリティは、自分の中の自分を表現してくれるのではないだろうか。
今日も私はディケイドライバーを装着する。「変身」と言いカードを翻し、ベルトに装填する。ベルトからは変身の音声が流れ、私は変身を完了する。
そう。この瞬間だけは、私は「仮面ライダーディケイド」なのである。