トンチンカンな強み
「 (えっ、なんでそれを今やんの?) 」
「 (ってか、そもそも・・・) 」
「 ( ん?きいてる? ) 」
と、どうにもこうにもトンチンカンな人っている。それは別にわざとそうしているわけではなくて、自然トンチンカン。一生懸命トンチンカン。全力トンチンカン。だからこそ厄介だ。
厄介なのは、相手が周りを受け入れない点。私はそれは絶対に正しいと思っている点。特に心配とか危機感がない点。なんて厄介なんだ。
それでも、私はそういう人たちを、けっこう羨ましく思う。外から見ていて早い段階で「あーあーこれはダメだろう」と思いながらも、そんな風に私はできないからこそ、その先読みしない強さに惹かれてしまうのだ。
私は、前もってやりすぎて、準備しすぎて疲弊する社畜みたいなもんだ。自分をまず大切にしないとといつも思いつつ、つまりは恐怖から行動が始まっている。終わらなかったらどうしよう。怒られたらどうしよう。うまくいかなかったらどうしよう。それが、結果的にいい動きをしているだけで、本人としては「文句は言わせない」という、ある意味では、厄介な人達と同じような完璧さを持ってやっていたりする。だから、そこに触れられると、カチンとは来る。
「お前は、やってねーだろーがー!」
「もっと早くできただろうーがー!」
「準備する時間はいくらでもあっただろうがー!」
と。でも、その怒りってのは、自分の幸せよりも、どっちかっていうと周りのための怒りなのが、悲しいところだ。自分のために怒るのであれば・・・
「それじゃーつまんないでしょ」
「そんなんでいいの?」
「それだったら、私はやらない。」
と、若干不貞腐れそうな気がする 笑 面倒見が良すぎたり、献身的すぎるのはゴッホのようで全く良くない。結局、狂うのは私だ。だから、トンチンカンな人って、別に手伝ってあげなくたっていい手の届かない存在なんだと思って、私は私に優しくなろう、と。
どっち道、周りからすれば私だってトンチンカンなんだから。私自身を羨ましもう。