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17. あの時はごめんね

 最近なぜかよく思い出すエピソードがある。中学生の時のひとコマだ。当時はニブくてなかなか気がつかなかったのだが、わたしはイジメにあっていた。


 このエッセイは、自分が毎日何を思い考えているかを自分で知るため、そして友人・知人への近況報告も兼ねて書いている。
 日々の過ぎていってしまう小さなことをすくって、自分という棚にはなにが収まっているのか、棚おろしの意味をこめて綴りたい。


 イジメというと大袈裟かもしれないが、部活内での決め事がわたしにだけ知らされなかったり、何か発言しても集団で無視されたり。そうじの後、しばらく机にあげた椅子がわたしの分だけ元に戻っていない(あげられたまま)状態だったこともあった。
 極め付けは、通学カバンが突然なくなり探したらベランダ部分にごろんっと転がっていたこともある。

 こうやって書いてみると、焦ったり泣いたりしても良さそうなものの、ニブかったわたしは特に何もしなかった。笑

 決め事はそのうち知ることができたし、無視は中学生のお家芸でみんなしていたからそんなもんかなと思った。椅子は自分で戻した。

 クラスの中で同時多発的に自分以外への嫌がらせも起こっていたので、なんだか日常茶飯事だと思ってしまったのだ。

 通学カバンがなくなって、その時やっと、これはなんかおかしいぞ…と思った。

 ベランダに転がった通学カバンを背負って廊下に出た時、笑いながらこちらを見、ふざけながら走り去っていくクラスメイトを見た。

 少し前まで1番仲の良かった女友達である。

 その瞬間、最近色々あったことは彼女発のことだったんだなと悟ったわけなのだが、わたしはされた行為そのものよりも、彼女が嫌がらせをすることにショックを受けた。

 なぜなら、彼女は前の学校でイジメを受け不登校になり、わたしの通う学校に転校してきた人だったからだ。

 自分がされて嫌なことを誰かにもやってしまうのが人間なんだなぁと、新しい価値観との衝撃的な出会いにしばし呆然とした。

 でも、わたしは彼女を嫌いになれずむしろ「ごめん」と思った。

 元をたどれば、原因はわたしなのだ。

 いやがらせが始まる少し前に、彼女とは全く関係ないことでなんだかイライラしていて、仲の良い彼女に当たってしまったのである。単なる甘えだ。

 その時の彼女の傷ついた目、声。大人になった今でも思い出すことがある。

 「謝りたい、謝らなくては」と思ってぐずぐずしているうちに、わたしへの嫌がらせが始まってしまいタイミングを逃してしまった。

 イジメのようなものは、通学カバンのことを機に収束し、わたしには別に仲の良い友達ができたので彼女とは疎遠になった。中学卒業後、いままで一度も会っていない。風の噂で高校を中退したと聞いた。

 もう20年以上前の話だから書いたが、あの時彼女を傷つけたりしなければ、その後謝ってさえいれば、彼女の嫌な部分を引き出さなくて済んだかもしれないし、今でも仲が良かったかもしれない。高校中退の相談にも乗れたかも知れないと、どこかで、ずっと自分を責め続けている。

 少しイジメられたとしても、それまで彼女と過ごした放課後は素晴らしく、今の自分をも支えている。

叶うのであれば「あの時はごめんね」と、今でも謝りたい。

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数年前になるが、『ほぼ日の学校』という動画サイトでライターの古賀史健さんが「あの時はごめんね」で文章を書き始めると色々浮かぶという話をしていた。
その時からこのエピソードは頭に浮かんでいて、そのうち書きたいと思っていたのが(なぜか)このタイミングになった。
書くことは癒しにもつながると実感する。今後もできるだけ色々綴りたい。

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