他人と眠る
わたしが生きていて意味があると思う、
または生きていて良かったなあとしみじみ思う瞬間があるとするなら、
恐らく、「満足だ」と思って眠る夜に遭遇したときだ。
たとえばどんなときに思うのかというと、
好きだと思うひとが横にいて、同じ空間またはベッドで眠ったときだ。
人生の中で何が一番私にとって大切かと問えば、結局いまは(恋愛に限らず)愛する人とのつながりだと思う。
私はとても向上心の低い人間で、
仕事での成功や自分磨き、貯金にはあまり興味がない。
私が(いま)人生において重要だと思っていることは、
私が好きだと思う人が私を必要だと思ってくれること、
自分が、その人たちにとって思い通りな女で、滑らかで、この人といて引っかかるものが何もない、すなわち心地よいなあと思ってもらえて、
私が愛を贈りたいと思ったときに贈らせてくれる人たちが周りにいることだ。
自分を磨かないものにそんな人生は歩めないのかもしれないけれど、
今そのことにばかり、考える時間を費やしてしまう(自分を浅はかだと思ってはいる)。
そしてそんな人たちと「一緒に眠る」という行いは、私にとって何ものにも代え難い、尊い「満足」を生み出すものなのである。
ちなみに恋愛的に好きな人(恋人)と眠るという行為は、もう暫くの間したとほぼ言えないので、語るとしたら遠い記憶になる。
元恋人と別れたとき、私が引越し先に移るまでの約2ヶ月間、私たちは当たり前のように一緒に寝た(但し本当に文字通り「寝た」)。
元恋人の友人には、「お前ら、本当にあり得ない」と言われた。その友人が彼に会いに遠くから泊まりに来たとき、まさか未だに私と一緒に住んでいると思わなかったのか、すごく狼狽えていた。
その日、私は友達と朝まで遊んでくるから気にしないでと言って家を出た。朝方になって始発で帰ると、元恋人の友人が私のいつも眠っているベッドで元恋人と寝ていたので、構わずそのベッドに3人目として加わって寝た(さすがに元恋人を真ん中にして)。
その後異変に気づいたその友人は飛び起きて元恋人を叩き起こし、憤慨したように行くぞと言って、とんでもない朝早くから2人、東京観光に出掛けていったが、私は全く自分がおかしいことをしたように思えなかった。
朝帰りだから眠かったのもあるが、そこは私のいつものベッドに違いなかったし、私はまだそこに住んでいたし、何より、元恋人の傍で眠ることは私にとってこの世で一番安心する時間だったからだ。
やましい気持ちもなく、ただ自分の落ち着く場所として元恋人の腕の中で眠るということがこの世にはあるのだ。
ほかにも、人生で数回、女の友達と一緒に眠ったことがある。
ひとつは、大学の女友達と、授業の空き時間が長かったので暇になり、その子の家にお邪魔したときだった。
その子はベッドに寝転び私の横でパソコンを開いて、シン・ゴジラを見ていたが、
この毛布暖かいと思わない?なんて言いながらそのうち、二人で同じベッドで寝た。ほとんど疲れとも言わないような、大学講義に使った脳を休めるために。
もう一つは、高校の友人と沖縄に旅行に行ったときだ。
2泊3日でホテルを取っていたため、2日目は丸々1日ホテルの部屋が使用可能だった。
午前中海に行って、午後はホテル内のプールに行きたかった私たちは、思ったより午前中の海に体力を持って行かれ、
水着洗った方がいいよねーなんて言いながら、洗濯機を回しながらごろごろしている間に、それぞれのベッドで寝た。
分かっていたのに、わざと寝ちゃったねなんて言いながら、洗い終わった水着を着直して午後に挑む。一度昼寝するだけで、体の疲れは取れるわけではないが、気持ちがリセットされたような気になった。
私は、ただ「眠る」という時間を私のために使ってくれる友達が大好きだ。人と眠ると幸せな気持ちになるから。この日を「満足だ」と思って、もう十分に感じるから。
家族でない誰かと「眠る」という行為が、性愛に結びつかず、満足感を得られるものだと感じられる人は多くはないかもしれない。
けど私は好きなのだ。
欲望でなく、安心を与えてくれるこの時間が。
一人で眠るより100倍いいと思ってしまうのだ。いつもはひとりで眠るから。
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