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「泣く」人に対するいろんな考え方

すごく久しぶりになりました。

今日は、「泣く人に対するいろんな考え方」について

考えるある機会があったので

それについて少し書きたいなと思います。

きっかけは職場の人がされていたお話

先日、ある会議で代表のお話を聞いていたのですが、その方がこんな風に仰っていました。


「ある職員がすぐ泣いてしまい困っている。涙は女の武器と言うけれど、いつでも泣いたらいいってもんじゃない。仕事場で泣くなと言っているんだけど…」

また、(子どもたちと触れ合うような職場なのですが)

「子どもたちにも、泣かないように指導している。泣いてしまえば、自分が相手に伝えたい大切なことも伝えられなくなってしまう。
これから子どもたちは社会に出て、ひどい言葉を言ってくる人間にもたくさん出会う。
そうなったときに、ずっと泣いていては、生きていけない。」


一字一句同じではないですが、大体このような内容だったかと思います。


この人は強い人

まず、このお話を聞いたとき、私はこの方に対して、さすが多くの人の責任を背負ってきた気迫があるなと思いました。


たくさんの人を雇い、たくさんの子どもたちを受け入れて、その人たちの生活と安全を守るために奔走してきた姿。

その方のそんな姿が思い浮かびました。
尋常ではない覚悟で、これまでの人生を生きてきた人の強い言葉。

本気で、誰かが生きていくのを助けたいと思って、愛情を持って強く育てようとする心。
子どもを預かる人の適性があると思いました。


それと同時に痛む心


そして、こんな風に自信を持って「泣いていては生き抜けないから泣くな」というこの方に、大きな憧れと尊敬を抱くとともに、自分の中に痛む心を感じました。


この方だってもしかしたらもとから強いわけではなく、強くならざるを得なかったのかもしれない。


でも、なんだか…。


何かって、
「すぐ泣いて周囲を困らせてしまう」私からしてみたら、じゃあ分かった、泣かない!なんて、思えないわけでした。

涙がつきものの人生


小さい頃からよく泣き、恥ずかしくて泣き、見つめられると泣き、嬉しくても泣き、なんで今泣くのと思われながらも泣き、でも、なんでそんなに泣くのって、勝手に涙が出てくるから泣くわけです。

職場だから、学校だから、涙がでないように。ぽち。そんなスイッチが押せたら。

そんなこともう100回以上思ったし、唱えたのです。

そんなことで泣くなよ、なんて言葉に泣きながら、この体をあげるよと100回思うわけです。

月並みですが、泣きたくて泣いてるわけじゃない。


泣く私は、あの人にどう見えている?

幸い今の職場でまだ泣いたことの無い私。

でもいつか絶対に、そのときはやってきます。

もう分かっているのです。いつかは、やってしまいます。

そして、そのときがやってきたら、私はあの人にどんな評価を下されるのでしょう。


私は仕事ができず、生きにくく、弱い心の持ち主であり、信頼が置けないと思われるのかもしれません。


もう一度言いますが、「泣かない人」のような理性的な部分が強い人は、私にとって憧れの対象です。


でも私は泣きます。
泣かない人には分からないでしょう。


でも、別に覚悟がないから泣くのでも、自分の気持ちを泣くことで伝えられず終わっているわけでもないかもしれないじゃないですか?


泣きながら少しずつ強く

泣く人間が理解できない人にとって、
よく泣く人は、「呆れ」の対象であることが多いかと思います。


でも、理解できないなりに、理解できない世界があることを知ってくれたら嬉しいなと思うことがあります。

(それは勿論、私も同じですね。
泣かない人の意見について、泣くからこそ、理解できないことがあると思います。教えてほしいです。)

私は私で少しずつ強くなっています。心が腐っていなければ 必ず。


どんな人になりたい?

私は、「泣く」側の気持ちが分かる人として、泣く人に優しくあれたらと思っています。

たくさん泣きながら、いろんなことを感じて、強くて、優しい人になーれ。

子どもたちには、そう思います。


自分にも、よく泣く優しい友人たちにも、そう思っています。



今日の曲

駅ですれ違い ぶつかった人がくれるすいませんとか ちゃんとあったかいと感じる元気があれば良い

バンドじゃないもん!MAXX NAKAYOSHI-最高の日常

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