深夜の戯言
ここ数日、色んな経験をしてみて、今日やっと一段階段を上ったように思いました。自分の中で滞っていた哲学が動き出す、それどころか金脈を掘り当てたような気分です。嬉しい反面、内容は個人的にがっかりするようなものなので複雑な気分です。しかし主客は混同せず、分離せず、どちらも含めて俯瞰するのが私の考え方です。ちなみに内容の一つはざっくり言うと恋愛の位置付けの話で、思っていた以上に恋愛は低俗なものなのかもしれないという感じです。これを整理できれば、恋愛と結婚は別という話やセフレという存在など、様々なことを説明できるようになりそうです。
既に読者を置いてけぼりにしている気がしますが、続けます笑。
もう一つ思ったのが、自分の人間関係構築力の低さです。昔はそれほど人間関係作りが下手ではなかったと思います。それがどんどん下手になった原因が、ふと人間観察をやめたことではないかと思いました。
私は特に小学生の頃、人間観察が好きである自覚がありました。しかしいつ頃か、人間観察は趣味が悪いことかもしれないと思うようになり、半無意識的にしないようになりました。その結果、色んな場面で人の行動の解釈が絞りきれずに、結果としてうまくいかないことが多々ありました。人間観察はその過程を露わにしなければ人間関係を上手く作るための良い道具になります。また人間観察するようにしようかなぁ、なんて思ったりしました。ちなみに、こんなふうにどちらかというと過程より結果の方が重視するような考え方も最近採用し始めたものです。まだまだ不完全というか、手探り状態の思考ですが、きちんとできていることを確認しました。
あと似たようなところで、頭の回転や発想力が近年衰えている現状については読書不足が原因かなと思いました。大学一年生の頃から比べるとはっきりと衰えている自覚があり、その根源を辿ると小説が自分に力を与えてくれていたのではないかという仮説を立て、今小説の読書量を増やして検証中です。特に星新一のショートショートなどはかなり影響が大きいのではないかと最近気づいたので、近いうちに読む予定です。発想力不足についてはゲーム不足も原因かもしれないと思っていますが、それほど深くは考えられていません。
これに関連して、最近気づいたことで、小説は課題を与え、実用書は知識や解法を与えてくれるものかもしれないと思うようになりました。しばしば小説は様々なことを追体験できることが魅力とされますが、まさに人生の中で生じる様々な学びの場を与えてくれるように感じます。そして実用書は小説で与えられた様々な課題について考えるための知識や解法を与えてくれる、というイメージです。そう考えると頭の回転や発想力の衰退も納得がいきます。
そんな感じで、たまには自分の頭の中を記録しておこうと思って、深夜のノリで書きました。推敲もしていませんが、これも一興ということでそのまま投稿します。ちなみにこんな書き方をすると普段は推敲しているように錯覚するかもしれませんが、ほぼしていません。このように人に先入観を与えることは嘘をつかない生活の為には大いに役立ちますが、果たしてそれが誠実なのかと言われると微妙かもしれません。
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