楽に生き過ぎている

最近、ピース・又吉さんのYou Tube動画をよく観ます。
様々な企画があり、どれも面白いです。
今日は「百の三」というシリーズの動画を観ていました。
この動画では又吉さんの人生経験が色々と語られます。
その中で『火花』等の作品を書くために、生活が苦しかった若手の頃に住んでいた下北沢のアパートを借りたという話がありました。
苦しかった思い出がある場所だからこそ、心が刺激されて書けるものがあるということでしょう。

この時、ふと大学の頃に聞いた教授の話を思い出しました。

色々な事を考える人ってね、結局上手くいってないんですよ。
上手くいってないから、どうしたら上手くいくか考えるんでしょう。
上手くいってる人は、上手くいってるんだから考える必要なんてないんですよ。

勿論、今有名になっている「上手くいってる人」が色々と考えてきたのであろうことは言うまでもありませんし、そういう人達にも苦労した過去があることも容易に想像できます。
しかしこの時特に響いたのは、現状に満足することは向上心を失うことだ、ということです。

苦労した経験が未来の糧となる、ということはよく言われます。
この「糧」というものを広義に捉えれば、それは単なるエピソードとしてだけでなく、思考や行動も含むと思います。

そう考えてみると、最近の自分の状況は良くないなぁと思えてきました。
今は実家で暮らしているため、生活に困りません。
仕事はしていますが、フルタイムでは働いていません。
人の生き方なんて様々だ、と実感できたという意味では有意義な暮らしだなと思います。
しかしあまりにも生活に余裕があり、そしてそのために考える力が衰えているように思われます。
フルタイムで働き始めたら忙しくて考える余裕も無いのかなと思っていましたが、そういう「不条理」の中でこそ人は考えられるのかもしれません。

そうなると、私は自分自身を苦しい立場にする必要があります。
幸い、来月はものすごく忙しくなる予定なので、その中で仕事以外の何かをできるように努力しようと思います。

こんな風に考えていると、次は坂口安吾の言葉を思い出しました。

人間の尊さは自分を苦しめるところにあるのさ。満足は誰でも好むよ、けだものでもね。

私は高校生の頃に「ラムネー氏のこと」を授業で習ってから、坂口安吾の作品を色々と読むようになりました。
高校生だった自分には衝撃的であり、印象に残っているのでよく話をするのですが、実はそれほどたくさんは読んでいません。
それでもいくつか読んだ作品から溢れる作者の考えに魅せられていました。

酒飲みで薬物中毒者という、優れた人格者とは言い難い人ですが、ざっくばらんな物言いに憧れがありました。

そんな憧れの人の考えが、やっと少し理解できた気がしました。
自分が求めているのは満足ではなく、満足を求める苦しみなのかもしれません。
その苦しみの中で、ああでもないこうでもないと言いながら試行錯誤する。そうやって理想に近づいていく営みが、自分の求める生活なのでしょう。
それを求めるのは、恐らく向上心を失った時に周りに置いていかれるのが怖いからだと思います。
向上心はそれなりにある方だと自負していますが、向上心があって尚今のレベルだと思うと、これがなくなれば自分はどこまで墜ちるのか想像できません。

そんなことを考えると、今の自分は楽に生き過ぎているなと思います。

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