あきやさん幻冬舎講演会2024vol.1に行ってきました!
こんにちは、おこげです。
昨日幻冬舎大学のあきやさん講演会に現地参加してまいりました!
教室未受講野良もぐら、初の生あきやさん!
それだけでわっくわっくしておりましたが会場着きましたらば己れのファッションを探究する各地のもぐら、もといガールズの皆さまが集結されていて、向く方向は違えど皆同志だ…!と深く感動しました。
ハア……参加できて本当によかったな…
以下はそんな講演会を通しての感想(とはちょっと違うのかな?)…その場や帰宅後メモを読み返す中で私が感じたこと、考えたこと、向き合わざるを得ないぞ…!ヒエ!となったことなどなど脳内整理のためにもまとめてまいります。
「なりたい」はかくれんぼ上手。「違和感」もかくれんぼ上手。
これね…………!!!
本っっっっ当にそう!!!
赤ベコのように首を縦に何度も振りかけましたがかろうじて存在する社会性が食い止めてくれました。
ファーストコンセプトが糖衣そのものだったことに気がつき現コンセプトを再構築した過程が思わず思い出されます。
難しい、難しいのよこの2つ。
好きは"本能"、ときめきスイッチで瞬時に振り分け可能ですし似合うは"生まれ持った素質"だから自我が介入する余地がほぼ無い。
しかし「なりたい」と「違和感」は自分の能動的な自我だからこそ、周囲の人の目に影響されがちかつ影響を受けていることに無自覚でいがち。
コンセプト再構築中の
「お前の望みはなんだーーーーっっっ!」
「それは本当に人工物でないのかーーーーっっっ!」
というドタバタ劇場のことを結構恥ずかしく思っていたものですから、あきやさんに「それ捕まえにくいんだよ、みんなそうだよ」と言っていただけてすごくホッとした次第です。
「なりたい」は美学で哲学で痛みに耐えてでも骨に刻む覚悟。
「違和感」はいらっとくる、聞き捨てならない言葉。バッグトゥーザフューチャーのマーティにとっての「チキン野郎」。
どちらもその人にとっての譲れない一線、ある意味逆鱗なのかもしれません。
自分を動画で撮ってみる
「似合う」とは?の話の中で自分を客観的に見る手段として紹介されていてなるほど!と思ったのがこちら。
よく声を録音してみると話し方の癖に気がつけたり自分の思う声と実際周囲の人が聞いている声の違いを知ることができたりする、と言いますが、それの映像版ということですよね。
なるほど確かに動きのない他撮り写真であっても、自分の思っている自分像とは様子が違うこと、あります。
人間日々人と接する際は一時停止ボタンなど無いため挙動込みで印象を形作られる。仮に強面な顔立ちで大柄な体格でも、常に緊張しており目線が定まらずそわそわ落ち着かない様子だったなら周囲からの印象は「怖い人<シャイな人」になりそうだな…なんて思ったり。
普段の動き、人からどう見えているんだろう。
あきやさんも動画を見たら自分の喋りがゆっくりだった、と仰っていたな。
ひとまず休みの日に自宅にてスマホを定点カメラ風に設置するところから始めようかしら。
最高の自分になるための苦労(痛み)ならむしろご褒美じゃない?
事前質問コーナー、「なりたいと似合うがバラバラ、両方叶えたいよ〜〜〜🥹🥹🥹」という甘ったれた質問を投げたのは他でもない私です。ここに白状します。
で、それに対するあきやさんからのご回答が
①まずマズロー5段階の4つ目、承認欲求を満たそう(似合う全振りで人に褒められまくろう)!
↓
②承認欲求が満たされたところで頂点である5つ目自己実現欲求を満たす「こうなりたい」の服を買おう!
というものでした。
質問者おこげ、ご回答いただけてソーハッピー!と思いながらも実はこの時点ではなぜだか消化不良感を覚えておりました。
すっきりしたのは質問コーナーが暫く進み、いくつかの質問とそれに対するあきやさんのご回答や竹村さんのコメントを伺ってからです。
実は脳内で上の質問に対する自分なりの結論を出すことに必死であまりメモを取れておらず、ぜひアーカイブで確認しようと思っているため覚えている範囲で書きますと、
①ダイエットに関する質問
あきやさんご自身は健康第一、と仰りつつも各々のなりたいによってダイエットするもしないも両方ありですよ!というご回答を聞きながら「私のなりたいは体形込みかもしれない」とぼんやり思い
↓
②何かの話の流れ(聡明な人にどうやったらなれる?の前後だった気がするような)でのあきやさんの
「でも最高の自分になるための苦労ならむしろご褒美じゃない?!」
にハッとする。
…何にハッとしたかというと、
・生まれ持った雰囲気への「似合う」ワードは「違和感」にも入れようか迷ったこと
そして
・事前質問にて送っていた「なりたいも似合うもどっちも叶えたい」の文脈での「似合う」はダイエットやボディメイクなどで後天的に手に入れることで「似合うと地続きのなりたい」「似合う≒なりたい」を作り上げたいという意味合いだったこと
更に
・いただいた回答を反芻する中で生まれ持った雰囲気への「似合う」を部分的には肯定できそうな自分もいる、承認欲求が満たされる経験をすることで元からある「似合う」が「なりたい」と地続きの状態に昇格させたい気持ちがあること
なんでしょう、悲しいくらい欲張りハッピーセットモンスターなんですね。どうにかして似合うとなりたいの総取りを叶えたい。
もう開き直るしかありません。私にとっての最高の自分は「似合うと地続きのなりたい」を体現した自分、なのです。
そうと決まれば覚悟して前進あるのみ…!
「最高の自分になるための苦労ならむしろご褒美!」と唱えて!
最後に
書くとすれば際限なく書けてしまうこのnote、1番自分が大切に受け止めた内容のみピックアップしてまいりました。
ここらでお暇させていただきます。
他にも素晴らしい内容たくさんございました!
雨の日はレインシューズでOK!ですとか「なりたい」にドーピングできるのが服のいいところですとか。
コンプレックスの段では涙腺を刺激されつつ、痛みを人一倍知っている人だからこそ巨木で柔らかな物腰で周囲に人が集まるのだな、とあきやさんという人への愛おしさで胸がいっぱいになったり(烏滸がましいですが)。
それを会場であの大勢のガールズの皆さまの中、なりたいも好きも似合うもまるで違うファッションを浴びながら受講できて大変幸せでした!
次回も可能なら会場参加したいな、12:00からの予約、私がページを開くまで枠が残っていたらいいな…!
楽しい講演会をどうもありがとうございました🥰