多様化する大喜利-採点・投票論
どうも、電波時計(俺気楽派)です。
今回は、せっかくの機会(久々にネタボケライフの採点をしたらスレッドで文句を言われてしまった)ですので、ネタボケライフの採点基準を提示しつつ、電波時計(俺気楽派)の考える採点・投票論を書いていきたいと思います。
電波時計(俺気楽派)はネタボケライフを採点する際には絶対評価と相対評価を組み合わせて点数をつけています。まずは全てのボケを自身で定めた基準に従って1点・2点・3点・4点・5点以上に振り分けます。その基準は以下の通りです。
☆ネタボケライフの採点基準
1点:意味が分からない・文章が成立していない
2点:お題に答えているがボケとしての面白さが分からない
3点:ボケとしての面白さは分かるが自分は面白いと思わない
4点:多少なりとも面白いと感じる
5点以上:面白い
このような感じです。低い点数のところは厳しいことを書いているようですが、実際は1~2点は少ないので、1文字しか埋めていなかったりとか、ボケとして微妙な単語が1つあるだけとかでなければ低い点数をつけることはありません。
※僕としては下ネタにはかなり嫌悪感があるので低い点数をつける傾向があるかもしれません。ただ、うまく使っているなと感じた場合には下ネタだからと点数を下げることはしません。
そして、5点以上のボケを比較して相対評価で点数を決めていきます。面白いと思うボケは毎回けっこう多いので、10点のボケも複数出ますし、他の方と比べても高点をつけることが多いように思います。
さて、このようにして今回も採点しましたが、不満を持たれた方もいらっしゃったようで、なかなか誰もが納得する採点をすることはできません。そこで、電波時計(俺気楽派)の考える採点・投票をお伝えしていきます。
まず、一つだけ言っておきたいのは、電波時計(俺気楽派)の採点や投票については何を言っていただいても一向にかまいません。それは前回書いたスレッドに出没する理由と同じようなものです。
それでは本題です。まず僕は他の方の採点や投票について不満を持ったことはほとんどありません。(さすがにネタボケライフで10点と1点しかつけないというようなあまりに不自然なものには疑問を抱くことがありますが)そのため、スレッドで目にするような「○○の採点はおかしい」というような意見はよく分かっていないのです。
そもそも採点や投票に正解はあるのでしょうか。確かにあまりにボケから逸脱しているようなものばかりに高点をつけることは避けるべきでしょうが、採点・投票者が自分のツボに合った面白いボケに高点を与えるという中で、面白いと思うかどうか、ツボに合うかどうかは人それぞれでしょう。仮に面白いと思わないのに、一般的にはこういうボケが面白いと思われるであろうと考えて高点をつけたりすることが正しいことなのでしょうか。そうしていろいろなツボを持つ人たちが採点しながら、その多くが評価したボケが上位になるというのが採点・投票のプロセスでしょう。だから、そのボケが上位に来ることは決しておかしいことではないのです。(もちろん不正等は除きますが)
また、人の採点や投票に不満を抱くのは、自分が面白いと思った自身の(あるいは他人の)ボケが評価されていないからという理由が大きいのかもしれません。しかし、結果として出ている以上、そのボケを面白いと思ったのは自分と少数のみで、大多数は面白いと思っていないのです。そんな中でいくら自分が正しいと言ってもどうしようもなく感じます。
採点や投票はある程度のルールやマナーを守った上で自由であるべきです。その上で行ったものであれば尊重されるべきだと感じます。現代は多様化の時代です。ネット大喜利でもボケや採点や投票が多様化していくのも時代の流れでしょう。新たな参加者もたくさん入ってきます。そうした人々は自分とはツボが違うかもしれませんが、それは間違っているのではなく、人それぞれ持つ個性だと受け入れたいと僕は思います。そうしてツボが多様化する中でも共通して面白いと思ってもらえるような、笑ってもらえるようなボケを出したいと思っています。
以上が電波時計(俺気楽派)の考える採点・投票論です。ちょっと偉そうな言い方になってしまったかもしれませんが、これは一つの考え方なので全然違う考え方の人がいてもそれはそれで良いと思います。ボケも採点も投票も、そして大喜利に対する考え方も多様化していくのが健全な時代の流れなのかもしれません。
ネット大喜利界に幸運あれ!
電波時計(俺気楽派)