【よみか】映画「アルキメデスの大戦」~この青年は戦艦大和を否定できたのか?
「数学で戦争を止めようとした」というメッセージで公開された映画。ヒャクタの零戦小説「永遠の0」を撮った山本貴監督(ちなみに僕は「永遠の0」は見ていない)。
「止めようとした」というタイトルからも、予告広告からも、「戦争否定」を想像させるものの、果たしてどうなのか?
で、あえてここまではネタバレ前に書いておく。
戦争も戦艦大和も肯定していないけれど、戦争をシビアに見る視点がない一般の観衆の視点では、結局のところどこか戦艦大和を肯定的に見てしまうだろう。戦争も「やむを得なかった」と考えてしまうだろう。
映画としての完成度はまあまあ高く、そのせいか公開4週目の平日でも200名の劇場がほぼ満員。この一般観衆に戦争をきちんと否定するメッセージが伝わるかと言ったら多分そうはならなそうという意味で、ヒットしていることをネガティブな気持ちで受け取らざるを得ないような映画。観衆のリテラシーが問われる。
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(ネタバレあり)
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冒頭は、戦艦大和が特攻出撃し、鹿児島沖で沈没する壮絶なシーン。初めて知る観衆も多いだろうが、大和沈没の具体的な経過はすでに多くの再現映像ができているので、僕にとっては目新しさはない。
そこから時代が10年ほど戻り、企画段階の戦艦ヤマト。
ヤマトの設計担当の平山中将は時代遅れになりつつあるのを承知で大型戦艦を設計し、異例の安い見積を提示して建艦決定を勝ち取ろうとする。その背後に造船会社との癒着(汚職)があり、利益率の高い別の軍艦を発注することと抱き合わせで安い見積もりを出させている。
主人公の櫂(かい)は、天才数学者で大和の外観などわずかな情報だけから数学的な法則を見出し、大和の見積が異例の安値であることを証明、汚職も明るみ出して、大和の建艦を阻止することに成功した、かに見えた。
でも本当に大和建造が阻止されてしまうと史実と異なってしまう。映画もどんでん返しに向かう。
大和建造が中止されたかに見えた後日、櫂は平山のオフィスに呼ばれる。平山は独自のロジックを展開し、敵である櫂に協力を求める。
(1)すでに対米開戦は避けられない。大和を作らなくても対米戦になり、敗北するだろう(櫂も日米の数字を比較して同じ敗北の予想)
(2)日本は負け方を知らない国だ。最後の一兵になるまで戦いをやめられない。
(3)大和を建造すれば、大和が対米戦の勝利に戦意高揚させるための象徴になるが、大和は米軍に沈没させられることになるだろう。象徴が沈むことで、日本は対米戦をやめることができるだろう。
(4)戦争にうまく(国民が納得して)負けるために、大和が必要なのだ。
こう語りかけて、ロジックでは負けた櫂を説得し、ヤマト建艦に協力せよと訴える。櫂はこの説得に応じたことが示唆されて、映画はヤマトが処女航海に出るシーンで終わる。
★ ★ ★
戦争に対する正しい認識を持つために、この、一見思慮深そうな平山の説得が、まずい効果を上げてしまうことに気づくだろうか?
まず、(1)。対米戦は避けられないかと言えば、1930年代前半のこの時代なら、十分避けられたと僕は考える。少なくとも、この時点で避けられないと決めつけるのは自殺願望と指摘できそうだ。満州国建国は完全にミスだったし、中国大陸からいったん撤兵し、欧米と協調しての植民地化をしたほうが、日本は経済利益も大きかった。一介の海軍中将である平山の説が説得力を持ってしまうように描くのは、物語の全体のトーンがすでに戦争肯定(やむを得なかった説)の立場に立っていることになり、誤った印象を現代の観衆に与えてしまう。
(2)は現実に起きたことを的確に指摘している。ある意味これが平山の唯一の優れて説得力がある視点だ。
(3)(4)は完全に予想が外れている。ヤマトが沈んだのは1945年4月。日本は完全に敗色で、もし平山が言うようにヤマトが沈んだらもう戦争には勝てないと海軍も国民も思い、戦争をやめていたら、日本の戦後はもっとずっとよいものになっていただろう。実際にはヤマトの沈没は戦争をやめるきっかけにはならず、その後、絶望的な沖縄戦、各地の大空襲、原爆投下をへても、日本政府は降伏できなかった。すべての艦船と航空機を失い負け戦がはっきりしているのに、海軍自身も戦争をやめるといえなかった。平山の予想は史実に反しているのだから、櫂ははっきりそれを櫂のロジックで否定して平山を打ち負かすべきだった。
もちろん、物語全体がフィクションなので、櫂が平山をロジックで打ち負かす必要などない。しかし悪役・平山に対するヒーローが櫂なら、櫂は最後まで戦争をやめるロジックで勝負する物語にするべきだった。少なくとも太平洋戦争の馬鹿馬鹿しさを櫂が堂々と主張する役回りなら、最後まで平山の間違った議論を打ち負かす姿勢を持ったヒーローとして描くべきだった。
物語ではその後、結局大和は建艦され、櫂はその乗組員となる。めでたくヒロインの浜辺美波ちゃんとも結婚しているんだろう。ヤマトの悲劇を予見しているだけに、すでに歴史の傍観者になってヒーローを捨ててしまった櫂だ。だったら、ラストシーンではもっとダメダメの櫂を描くべきだった。
ラストはピカピカのヤマトが処女航海に出るシーン。
冒頭が沈没シーンだから、映画全体を通すと、なんだか沈没したヤマトが復活する「宇宙戦艦ヤマト」的な陳腐な世界観に見えてくる。監督はもしかしたら、ピカピカの大和がすぐに沈むんだということを示唆したかったのかもしれないけど、戦争の意味がわからない現代の観衆は、宇宙戦艦ヤマト的な復活を印象に持つことが多いと思う。そこまで行かなくても悲劇のヒーローであると理解するだろう。 大和は悲劇のヒーローではない。国民とアジアの民を苦しみに追い込み、その後の日本を現代に到るまでおとしめ続けている呪いそのものだ。
呪いであるなら、ラストシーンは大和が処女航海に出るシーンに続いて、冒頭の米軍の攻撃にさらされるシーンに転換して沈没シーンで終わるべきだ。ピカピカの大和で終わったことによって、この映画が戦争を肯定していると批判されてもいいわけできなくなった。
山本貴監督は戦争オタクが反戦の着ぐるみを着て戦争を肯定する「中の人」なのだと僕は言っておきたい。
戦争肯定派が、その行動を複雑化させているのが非常に気になる。ちゃんと歴史的背景を分析できない人は見にくべきではない。
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