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#04 「未来のだるまちゃんへ」から学んだこと

今日は書籍の紹介をします。
「未来のだるまちゃんへ」かこさとし著 2016年 文藝春秋

この本は、人気絵本作家のかこさとしさん(2018年逝去)が、幼少期のころから大人になるまでを振り返った自伝であり、今を生きる子どもたちへのメッセージでもあります。

 かこさとしさんの絵本の代表作は「だるまちゃんとてんぐちゃん」「からすのパンやさん」「どろぼうがっこう」「おたまじゃくしのひゃくいっちゃん」などがあります。大人の皆さんも、幼少期に読み聞きしたことがあるのではないでしょうか。
 私は30代ですが、小学校のころ、「どろぼうがっこう」「おたまじゃくしのひゃくいっちゃん」は学芸会でやりました。今は家に「だるまちゃんとてんぐちゃん」があって、我が子に読み聞かせています。

 しかし、この「未来のだるまちゃんへ」を読んでからは、絵本の見方が変わりました。戦前戦後の激動を生き抜いたかこさとしさんが、どれだけの熱意で、子ども、絵本に向かい合ってきたかが、鮮明に伝わってきたからです。

 ここでは、3点に絞って、本書から感じ取ったことを紹介します。

~目次~
1. 人間社会の脆弱さに立ち向かっていくこと
2. 子どもから学ぶ姿勢
3. 社会を観察し、より良いものに変えていくこと
4. あとがき


1. 人間社会の脆弱さに立ち向かっていくこと
 是非みなさんには、本書の「はじめに」だけでも読んでほしいです。ここに、著者がなぜ絵本作家になったのか、どうやって戦後の人生を生き抜いたのか、全てのメッセージがつまっています。
 著者は、敗戦を迎えて、手のひらを反すように態度を変えた大人たちの姿に、失望憤激しました。真実を知ろうとしないで、誤った方向へ進み続けてしまったことへの、何の反省も見られなかったからです。
当時19歳だった著者自身、給料と親孝行のため、軍人の学校に行こうとしました。近視のため軍人にはなれませんでしたが、“誤った判断のまま、一生懸命やりくりさえすればいいだろうと思っていた僕は、日本が戦争で負けた途端、足をすくわれ、ひっくり返ってしまった”のです。
軍人を志した同級生たちはみんな死んでしまい、自分は「死に残り」だった。そんな自分は、これから何の償いもせず、おめおめと生きていくのかと思うと、本当に必要のない人間に思えました。それでも生きるなら、どうやってその先の人生を過ごすのか、必死で出口のない自問自答を続けたのです。
せめて人間らしい意義あることがしたいと、生きる意味を探っていた中で、未来をつくっていく子どもたちに焦点が当たり始めたのでした。これからを生きる子どもたちが、“ちゃんと自分の目で見て、自分の頭で考え、自分の力で判断し行動する賢さを持つようになってほしい”という一心に、生涯子どもと向き合い続けたのです。
この著者の想いは、私たち大人自身も自覚すべき心構えであり、子どもたちに伝えていくべき最も大切なことだと感じました。
戦争だけでなく、人間社会では過ちも多く犯すし、今現在でも社会の歪みは沢山あります。そうした社会の脆弱さを見過ごしてのうのうと生きるのか、それとも、向かい合っていきていくのか。そうした強い問いかけをされたように感じました。

2. 子どもから学ぶ姿勢
本書は、著者のこども観、心にしっかり残したいフレーズが随所に書かれています。少し長いですが、3つ引用・紹介します。

“ 子どもは、生きるエネルギーを日々、空費したり、乱費したり、浪費しながら、成長していく。あまりにとりとめなく、行き当たりばったりで、まったく非効率に見えるかも知れない。
 ですが、その野放図で、自由で、とりとめがないことこそが実は肝心で、自分で間違えたり、失敗したりして、行きつ戻りつしながら、ぐんぐん伸びていく時にしかわからないことがある。
 それを大人が頭ごなしに抑えつけてしまったら、子どもは息苦しくて、伸びるべき時に十分に伸びることができなくなってしまうでしょう。大人が思う「いい子」の型にはめようとすると、とりこぼしてしまうものがあるのです。(第1章p31) “

 私はこのフレーズにとても共感すると共に、子どもというのは、効率を求めずに生きていける、素晴らしい能力をもった生き物だと気づかされました。資本主義社会で生きる私たちは、ともすれば効率化を求められますし、自ら率先して効率化に励んでいます。隙間時間をいかに有効活用するか、有限の時間を最大限に利用しようと生きています。そうやってあくせくする大人たちを尻目に、子どもは行き当たりばったり、どこに進むのか分からない中で生きるエネルギーを発散できます。そして、そうした野放図なエネルギーによって、失敗を積み経験を積んで、子どもは成長していくのです。
例えば、何か自分の人生に投資をしたいという明確な目的をもって考えると、限られた時間の中で、何に投資しようか迷い決められず、一旦決めて始めたことでも、伸び悩むと、「もっと他のことに時間を費やした方が良いのではないか」と焦りを感じて別のことに手をつける。こうした行動を、大人の私たちはとりがちではないでしょうか。効率的に時間を使いたいあまりに、目の前のことに夢中になれずにどこか常に焦りを感じてしまうことはないでしょうか。
ここにきて、実は非効率なことを夢中でできることこそが、真の意味で豊かな時間の使い方なのではないか、と気づかされるのです。何かに夢中で取り組めること、それ自体が、人生の充足度に大きく関係していて、また、一つ自分の人生に使命を見つけて、ひたすら突き進む、まさに著者のような生き方は、多くの大人たちが望んでいる人生観でもあると思うのです。少なくとも私は、そういう人生を送りたいと思っています。


“ 親は、先回りして子どもの心を読みとったように思っているけれど、それはたいてい早合点だったり、見当違いで、かえって子どもにつらい思いをさせていることも多い。
 子どもは「そうじゃないんだよ」「わかってないなあ」と思うんだけど、言わないで黙っている。なぜって、親が自分のためを思って、そうしてくれたのがわかるから、その気持ちを傷つけたら悪い、否定したら悪いと思って、子どもの方が我慢しているわけです。
 だから、親が「自分の子どものことは、自分がいちばんよくわかっている」なんて思ったら、大間違い。そんなのはまったく、いい気なものでね。
 大人はわかってくれない。
 まさにその通り。
子どもの胸の内はせつなくて、悲しいものです。でも子どもっていうのは、親という一番身近な大人でさえ自分のことを適切に理解してくれないものだと知って、その葛藤の中で、いろんなことを受け止め、学びながら成長していくものだと思います (第1章p44)“

このフレーズは、「だるまちゃんとてんぐちゃん」のストーリーを知ったうえで読むと非常に興味深いです。この絵本は、著者自身の幼少期の経験を重ね、大人との齟齬を受け入れる子どもの姿を鮮明に映し出しています。
私は本書を読むまで、「だるまちゃんは、折角父親が沢山手助けしてくれるのに、文句ばっかり言って、わがまままな子どもだな」と、大人目線で読んでいました。
しかし上記フレーズにあるように、著者が伝えたかったのは、子どもは親が良かれと思ってする行動が、自分の望まないことがままあり、かといって直接反発するのは親がかわいそうなので我慢し、残念な気持ちを一人抱えていることが実は沢山あるよ、ということなのです。
言われてみれば、私たち大人も子どもだったころ、そうした経験があるのではないでしょうか。私の父も、割と何でも買い与えてくれる親でしたので、少し欲しいものがあると、すぐに買ってくれました。でもこういう時は、手放しで喜ぶわけではなく、手に入って嬉しい気持ち半面、「何も苦労をせずこんなに簡単に欲しいものを買ってもらうのは、なんだか申し訳ないな」という思い半分、という感じでした。
子どもにとっては、簡単に欲しいものが手に入る高価なものよりも、自分で工夫して苦労して、やっと手に入った、或いは下手でも自作したという経験の方が、価値が高い場合が多いと思います。これは大人でもそうですよね。何でもポチれば手に入る時代だからこそ、経験に価値を置くビジネスが流行っています。
これから子育てをしていく上で、子どもがどうしたら本当に嬉しいと感じるのか、大人の価値観に囚われずに向き合っていきたいと感じました。


“ 子どもという生き物は、それぞれに自分でも気づかないくらい鉱脈を秘めているのです。それに気づかせてやれば、そこから一気に花開いていく力を持っているものです。
今は学校の先生方も忙しくてそれどころではないのかも知れませんが、本当は生徒さんたちがひとりひとり、どんなものが好きで何に関心を抱いているのか、その生態を見極めて、先達としてうまいこと導いてあげられないものか。
型にハマった目標を掲げてお尻をひっぱたくだけでは、才能があっても埋もれたままになってしまっている気がするのです。
「君が持っている、ものすごい鉱脈はそれだよ」
そう気づかせてやることさえ出来れば、子どもは、大人が叱咤激励なんかしなくたって、自分からぐんぐん成長していけるのだと、僕は、川崎の子どもたちを目の当たりにして得た経験から、そう確信するようになりました。 (第3章p183)“

このフレーズの背景として、川崎セツルメント(*1)の子どもたちのなかで、一人、学校一のワルと言われたケンちゃんという男の子との出会いが描かれています。ケンちゃんは大人たちが警戒するような、腕白な男の子でしたが、著者は千載一遇のチャンスととらえ、ケンちゃんがイベントに顔を出した際、小さい子どもたちの見張り役を頼みます。 
すると、ケンちゃんは、見事に悪ガキたちを統率し、また次回からも率先して小さい子供たちの世話役を買って出たのでした。ケンちゃんは、自分のエネルギーをどこに向けたらいいか分からず、色々問題を起こしていたのですが、セツルメントでのふとしたきっかけを機に、自分の役割、自分の居場所を見つけたのです。
学校という場は、子どもの社会性、集団生活を学ぶ場でもあり、そうした中で、集団から浮いてしまう子、教育方針に馴染めない子、というのはいつの時代でも存在すると思います。それは人間が多様だという証拠でもあります。教育現場は、そうした子どもたちを問題児として扱うのでなく、一人一人の可能性を伸ばしていけるような場所であって欲しいと感じますし、保護者や地域社会の大人たちも、それを手助けできるような社会が望ましいと思います。

(*1)セツルメント…社会強化事業を行う地域の拠点。日本では、貧困救済事業として戦前から学生を中心に活動が開始された。現在のボランティアサークルの原型 (ウィキペディアより要約)


3. 社会を観察し、より良いものに変えていくこと
最後に第5章で、著者はこれからを生きる子どもたちへメッセージを投げかけます。ここでも少しフレーズを紹介しましょう。

“ 生きるということは、本来、喜びでなければいけないと僕は考えます。しかし、社会的生物である人間は、生きていくことに伴う苦しみを避けて通ることが出来ません。
 その時に、ただ逃げていてはダメで、やっぱりそれをまっとうに受け止め乗り越えなければならない。
 そのためには「誰かに言われたからそうする」のではなく、自分で考え、自分で判断できる、そういう賢さというのを持っていて欲しいのです。 (第5章 p255) “

 ここのフレーズは、戦争、敗戦という経験によって、人間社会の醜さを嫌というほど経験した著者自身が、人生から学び取った教訓でもあります。著者は、苦しみもがいた上で、それでも人生を諦めず、昭和20年を機に別の人生を生き直したのです。こうして、現実を受け止め、乗り越えてきた著者だからこそ、その言葉には重みがあります。 自分で考え、自分で判断することがいかに簡単なことではないが、人生で一番重要なことかを考えさせられました。
今を生きる大人の私たち一人ひとり、世間に流されず、一人ひとり考え、判断していく世の中になるよう、個々が努力していかなければならない。それが、時代に翻弄された過去の人々に対する、償いでもあります。日常に流され、頭を使わずに生きることに慣れてしまっている自分自身を深く反省しました。


“ 自分が生きている社会をよく見つめ、観察し、より良いものに変えていってほしい。現実が、醜く思えることがあるかもしれない。
 しかし、それは今の現実に過ぎず、今をどう生きるかで未来は変えてゆけるはずなのです。
 生きるということは、本当は、喜びです。
 生きていくというのは、本当はとても、うんと面白いこと、楽しいことです。
・・・(中略)・・・
 だから僕は、子どもたちには生きることをうんと喜んでいてほしい。
 この世界に対して目を見開いて、それをきちんと理解して面白がってほしい。 (第5章p258) “

 これは、著者の心からの願いです。人間社会は醜い面が多いけれど、向き合って、より良いものに変えていこうとすること、そして、生きることを楽しむこと。まさに、子どもに伝えていきたい、メッセージの真髄だと汲み取りました。
 社会をよく見つめ、観察し、より良いものに変えていこうとする姿勢、これは本当に、社会の一員である私たち一人ひとりに求められている姿勢です。
本書、本章は、これからを生きる子供たちに向けたメッセージですが、大人たちも、もう自分は年だからと腐らず、子どもたちと共に、これから先の未来に向けて、実践していくべきことです。私自身、これから子どもと共に、人生を生き直していきたい、と感じたのでした。


4. あとがき
この記事では、「未来のだるまちゃんへ かこさとし著」を読んで感じたことを、下記の3点に焦点を当てて紹介しました。
・人間社会の脆弱さに立ち向かっていくこと
・子どもから学ぶ姿勢
・社会を観察し、より良いものに変えていくこと
 
 ここで紹介した点以外にも、本書では著者の幼少期、学生時代の出来事思想が、とても鮮やかに描かれています。
幼少期は福井県の武生(現在の越前市)の豊な自然に囲まれて過ごしたことも生き生きと描かれており、我が子にも小自然(=子どもの能力、力の範囲でなんとか処理できる自然)の中で、生き物たちと触れ合う経験をさせてあげたいなと思いました。
また、一番初めに紹介した代表作が有名ですが、著者は工学博士であり、47歳で退職するまで、民間企業の研究所で働いていました。そうした背景から、なんと300ほどの対象を科学絵本にしてきたのです。私は代表作しか読んだことがなかったので、これを機に、著者の科学絵本を子どもと共に、読破していこうと思います。
著者はなぜ、会社をやめず、会社員と絵本作家という二足のわらじをはいてきたのか、それは、一人前の社会人として、子どもと真剣に向き合うためでもありました。全力で子どもたちと向き合うために、会社員としての仕事も人一倍努力することを惜しまなかった著者の姿勢にも、ただただ信念の強さを感じました。

著者の人となり、未来へのメッセージが重みをもって伝わってくる本著、是非みなさまにも手を取って、読んで頂ければ嬉しいです。

ここまで読んでみなさった皆様、どうもありがとうございました。

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