甘橙:おれんじ(原作 梶井基次郎『檸檬』)①/⑥
得体の知れた不吉な塊が、私の腹の中を終始押さえつけていた。怒りと言おうか、虚しさと言おうか、酒を飲んだ後に二日酔いが来るように、その塊は私の中に居座っていた。この塊の正体について、私は大凡検討がついている。それは、散っていった恋慕の情。そう言えば確かにそんな気がする。友情と慰めの証。否、そんな美しいものではない。己の罪と罰。うむ、誰しもが「その通り」と頷くであろう。
どうやら時刻は昼過ぎらしく、スーツ姿の男たちが、憐れむような目で路上に転がる我々を見下ろしていた。私は体を起こし、傍らで横たわる高見沢に帰宅を促したが、彼は私を睨みつけると「おぬしは先に帰れ!私もあとで行く!」と、訳の分からぬことを叫びながら再び眠ってしまった為、仕方なく彼を残し、私はとぼとぼと歩き始めた。
例の塊は、一歩踏み出すたびに私の口から出ようとしているらしかった。私は速度を落とし、ゆっくりと地面を噛みしめるように歩いた。そう、私は紛れもなく二日酔いだったのである。
何故こんなことになってしまったのか、時は二日前に遡る。私は、二年間交際を続けたとある女性との関係を絶った。いや、絶たれたのである。
名は涼子。京都にある某大学にて、私が所属する演劇サークルの後輩。さらに、小野小町も顔を隠す程の美貌と天賦の才の持ち主。彼女こそ、まさに生まれながらの女優であった。
彼女が入部した日のことを、私は決して忘れない。男達はこぞって彼女との”二人芝居”を所望したが、それは勿論口実で、彼らの鼻の下が伸びきっていたのは言うまでもない。涼子は不潔極まる男達の誘いに応じることはなく、それがかえって男達の胸を高鳴らせた。
一方、私は涼子を手に入れることことなど最初から諦めていた。平凡で、地味で、何の特徴もない私と涼子では、まさに月とすっぽん。もはや、すっぽんにも申し訳ない。そんな涼子が、どうして私なんかを選ぶことがあろう。
しかしだ。「現実は小説より奇なり」という言葉が存在する。人生という物語においては、時に想像も妄想も超越した展開を見せ、スポットライトが突然当たることもある。そう、あれはサークル全体での飲み会のこと。
《②》へ続く