25歳 女性 アトモキセチン(ストラテラ)服用記録 「飲み始めたきっかけ」
みなさん、突然ですが私はADHDの25歳女でアトモキセチンを飲んで現在7ヶ月になります。
この記事では受診のきっかけについて取り止めもなく話します。受診を迷う方の手助けになれば幸いです。
かなり個人的な事情をダラダラ書いてますので、受診後について知りたい方は次の記事からお読みください。
まずはよく、ADHD診断基準に挙げられる幼少期〜学生時代についてです。
症状としては、不注意優勢型でなんかちょっと鈍い不器用な子って感じでした。提出物は出さないし、授業中はぼーっとして図画工作や家庭科もなんか人よりうまくいかない子でしたが、テストの成績はいつも中の下ぐらいで、目立ったビリになることもありませんでした。女性だったこともあって、ADHDでいじめられたりはなかったです。友人も常にそれなりにいました。
苦手な科目は多かったですが、国語や音楽など得意な科目もありましたし、高校生になる頃には自分でやり方を見つけて成績も上の中ぐらいになりました。
進学も問題なく、大学はそこそこ良い成績でそれなりに就職に有利そうな医療系の大学を出て国家資格を取りました。
(もちろんそれまでに、周りのしっかり者の友人に大幅に助けられまくってます)
ちなみに、私の家族は兄弟や親戚含めてADHDかASDかなと思います。みんな自営業が専門職で、普通のサラリーマンがほとんどいません。でも、素敵な家族ですし、それなりに裕福です。私も含めて全員コツコツ努力することが苦手ですが、何やかんや努力家で生きるのがうまい楽天家の集まりだと思います。そんな親族を見渡すと環境次第では発達障害も悪くないなと思うのです。
そんな中私も医療系の資格を取ったのですが、医療を学んだ身だからこそ自分にADHD様の不注意があることには気づいていました。その上で、私はいつか不注意で患者さんに健康被害を出しそうだなと思い医療現場の職種はやめて、学んだ知識を活かせそうな医療系の会社に正社員で勤務しました。似たような理由で車も運転してません。
ちなみに、医療現場で働かずに新卒で会社員になった理由は他にも色々あります。
・社会性を身につけたいから
・座って働きたいから
・リモートワークをしたいから
・自分のペースで働きたいから
・フレックスで働きたいから
・土日休みたいから
・単純に給料がいいから
・医療現場は資格さえあればいつか働けるから
ADHDで苦労してきたからこそ、自分が生きやすい環境を見つけることに必死になれたと思います。人に健康被害を及ぼす危険を思えば、本来必要ではなかった就活も、大して苦じゃありませんでした。(医療職志望なら、高望みしなければほぼ就活は必要ありませんでした)
自分にADHDがあるかも、と思う方は周りに合わせずに自分の生きやすそうな環境を第一優先で選ぶことをお勧めします。
そんなこんなで晴れて会社員になりました。
会社はそんなに大きくありませんが、異動も転勤もなく、同じことをコツコツ続けられる職種ですし、リモートもフレックスもあります。何よりチームで仕事を進めるので、自分一人の確認不足を色んな人に助けてもらえます。
が、あまりにも不注意なミスが多く、入社3ヶ月目には私は絶望していました。
幸いにも上司は全員人格者でしたし、誰も私に怒ることはありませんでしたが、どんどん先輩の信頼を失っていくのがわかって、とても辛かったです。話しかけるたびクビにされるんじゃないかとビクビクしていました。
毎日、「仕事 ミス 減らす方法」で検索をかけていました。ミスを減らすための自己啓発本なんかも何冊か買って、毎朝出勤前の電車で読んでいました。メモ帳はリマインドだらけでした。
今思い返すと、ビジネスを脅かすような重大なミスはしていませんし、仕事のことがわからないなりに少しずつ前に進めていたと思います。しかし、自分はADHDであるかもしれないことを隠してここにいると言う事実が、自分の行動全てを後ろめたく感じさせて、何をするにも自信が持てない時期でした。
それから、プライベートでも恋愛絡みの辛いことが起き、メンタルがキツくなってしまったので、まずはADHDを何とかしないと前に進めないと判断しました。
精神科の先生のYouTubeを見たり、アトモキセチンを服用されてる方のブログを読んで、まずは試してみたいと思ったことも理由の一つです。そして、もし私が医療従事者として働いたとして、自分と同じ状況の患者さんがいたら、合わないなら薬をやめればいいしまずは受診してみろと言うだろうなと、整理がついたので受診を決めました。
そして12月、WAISテストが実施できそうなメンタルクリニックを、ネットで予約しました。
近所の目を気にして、電車で通う距離の精神科にしました。
今思えば、この決断ができるまでが一番つらかったです。それ以降も乗り越えるべき課題は多かったですが、行動を起こして長年悩んできたADHDと向き合えていると言う事実に心が楽になったのを覚えています。
続きます