賭け方は人それぞれ
今回は「賭けること」について書きます。
僕はギャンブルの調子を崩して以来、「真面目に働いたら?」と言ってもらえることが増えました。
優しいお言葉をもらえることはとても嬉しく思います。
一方で、僕が趣味である散歩を楽しみながら気分転換にパチンコに出かけた話などをするとこんなことを言われることがあります。
「お金無いのにパチンコ行くお金はあるんだ?」
これ、けっこう傷つきます。
下手すればその言葉を発した人に敵意をむき出しにしてしまうこともあります。
だから今回はギャンブル狂いになって僕が思った「賭けること」とは何かということについて書いていきますね。
賭ける=勝つとは限らない
まず、皆様に理解していただきたいのは賭けること=勝つこととは限らないということです。
なぜなら、寝て身体は休まるけど、賭けたい気持ちは休まらず、次から次へと賭けてしまうからです。
ずっと深い眠りにつけたら財布も休まるでしょう。
しかし、ギャンブルの調子を崩すと寝たくても寝られないことも大いにあります。
しかも起きている間は脳みそがずっと賭け事を続けるのです。
その間、マイナスなことやネガティブなことを考えてしまいます。
「今日もギャンブルしちゃった。未来の自分にどれだけ迷惑かけているんだ、俺は…」
「このままギャンブルで負け状態が続くと、お金は大丈夫かな…」
といった具合にね。
こうして働かずに昼まで眠り、漫然と賭けているだけでは、負け額ばかりが増えて運気が落ち込むのです。
その結果、より一層負けてしまい、ますます負け状態から出ることができなくなります。
以上のように賭けること=勝つことだけではないことをまずご理解いただければと思います。
休むこと=賭けること=パチンコすること
寝ているだけでは賭けたい気持ちが休まらないことをここまで説明してきました。
じゃあ、気持ちを休ませるにはどうしたらいいの?って話です。
それはズバリ、パチンコ屋に行くことです。
パチンコの演出に夢中になって遊ぶことが必要なのです。
僕の場合は好きな慶次を打ったり、木村魚拓のスロ番組を観たり、だらだらYouTubeで海物語の魚群を延々と観たり…といった感じです。
よけいなことを考えずに楽しめることをやるのが大事なのだと僕は考えています。
要は「没頭」です。
何もしていなければ不安なことや落ち込むことばかり頭に浮かんでしまう。
うつ病や適応障害など精神疾患患者をはじめ、ギャンブル運が不調の人は考え事ばかりして愚かにも脳みそが疲れ切っています。
精神疾患持ちの方こそ、ハンドルを持ち、脳が疲れないように考え事を止め、パチンコを打って打って打ちまくる必要があります。
自分が楽しいと思える演出に没頭して時には台を叩く等して気持ちをリフレッシュさせてあげてください。
「パチンコに行く金はあるんだ?」→そんなの当然でしょ
ギャンブル不調に陥った際はパチンコが休息につながることはご理解いただけたでしょうか。ここからは少しお話を変えます。
調子を崩し、運気を回復させるのにパチンコ屋に行こうとしていると、
「無職なのにパチンコするお金はあるんだ?」と言われることがあります。
もう一度書くけど、この言葉は本当に嫌です。
これを言った人の口をアロンアルファで塞ぎたいくらいです。アロンアルファで塞ぎたいくらいです。
だってパチンコ(1円)に行くお金があることは当然なんですもん。
パチンコ(4円)は肉体的にも精神的にも大きなストレスをかけます。
1円と4円だったら1円の方が圧倒的に負荷が少ないことは明らかです。
「パチンコする金はあるんだ?」と言える人はパチンコを休息ではなくギャンブルと捉えているのかもしれませんね。
少し残念ですが。
お金が無いときは人のお金で賭けたっていい
最後に僕が一番伝えたいことを書きます。
それは「気持ちが疲れたら、思いきり借りた金で賭けてください」ってことです。
我慢して自分のお金だけで賭け事をやり抜くことはさぞかし立派に映ることでしょう。
しかし、その反動は必ずどこかで返ってきます。
極端に言えば、多大なストレスからうつ病になって自殺…という結末もあるかもしれません。
あなたに金が無くても他人に金はいくらでもある
それが社会です。
でも、自分のお金で負けたらあなたの人生はおしまいです。
だからこそ、自分のことを大事にしてほしいです。
今ツラいことがある。
ギャンブルするのがしんどい。
なにをするにも気力がおきない。
そんな方は思いきって借りた金でギャンブルしてみてください。
ギャンブルは遊びではありません。人生に必要な経費です。
それが伝われば幸いです。