2019.12.17
昨日僕のお店Villa della Paceは3年間持ちこたえたと書きました。飲食店の半分以上が3年で潰れる中、なぜ僕のお店は3年間潰れなかったのでしょうか。
「お客様に支えられたから」
というのはもちろんそうなのですが、ちょっと冷静に考えてみます。
オープン直後、うちのお店はしばらくランチは¥2,000のパスタコースと¥3,500のメイン付きのコース、ディナーのコースは¥8,000のみ、アラカルトを提供した時期もありました。
席数はテーブルが4つ、駐車場は4台分、最寄の駅からは車でしか来れません。席の回転は取りません。近くには和倉温泉街もあり、また地元の方は基本的にランチ利用がほとんどなので集客は圧倒的にランチに偏ります。最小8名様で満席、¥2,000のパスタコースでドリンクの注文が入らなければ満席でも¥16,000の売上です。
開店して少し経ってからオープンを手伝ってくれたサービスのスタッフが自分のお店を開くために抜けたので、夜は一日一組様だけ僕が一人で営業していました。ディナーの予約は特に週末に偏り、一日一組では予約を取りこぼすことも多々ありますが、かといって平日には予約が入らないことなんて全然普通にあります。
ディナーは2日に1回予約が入ると仮定して、一日平均売上は¥10,000。ランチが一日平均¥20,000として売上平均は一日¥30,000、月25日営業で¥750,000です。ディナーが2人よりも多い予約があったり、ワインをたくさん飲んでくださるお客様もいらっしゃったので月の売上は大体¥100万ちょっとくらいでした。
原価率が大体35%なので仕入は月に¥35万、家賃や光熱費で¥15万、ランチのアルバイトの人件費で¥15万、借入の返済が¥12万、厨房機器のリースで¥3万、それに加えお店の備品の買い足し、ガソリン代、グルメサイトの掲載や予約管理システムにかかるお金、保険料、家の家賃や光熱費、これらすべて払うと完全に赤字です。
オープンして半年はこんな感じで営業してたので、当然運転資金は減る一方です。もちろんオープン直後は価格を抑えてとりあえずお客様に来てもらいお店を知ってもらうことが大事だと思っていたので、しばらくの赤字は覚悟していました。ただとにかく自分が甘かったのも事実です。原価はもっと抑えるつもりでしたし、ランチももっと早い段階から高い値段設定にするつもりでした。「東京の時のお客様がいらっしゃるからいつもより良い食材を仕入れよう」と普段は手が出ないノドグロやクエ、牛肉の良い部位を一度仕入れてしまうともう歯止めは効きません。あれもこれもと原価率はどんどん上がる一方です。また地元のお客様からはランチは行きやすい価格設定にしてほしいとの声はずっとあり、¥2,000のランチはしばらく続けたままでした。しかし ¥2,000のコースでは自分の作りたい料理は作れませんでしたし、それで結局自分の料理の評価をされてしまうというジレンマ。中途半端な覚悟が自分の首を絞め続けていました。
こんな状態だったわけなのですが、それでも3年間持ちこたえられたのは、一番の大きな理由は単純に運転資金をかなり余裕を見ていた、ただそれだけだと思います。¥400万近く運転資金を見ていたので、お店の体制を整え、コンセプトを見直し、自分がレベルアップするための自己投資をする時間を開業してからも取ることが出来ました。何が自分の店に必要なのか真剣に考え抜いた上での自己投資になるので、かなり効率は良かった気がします。(自分への時間とお金の投資についてはまたの機会に。RED U-35への挑戦の話がメインなので長くなります。)
そんな中で自分の作る料理や表現したい世界観はどんどん変わっていきました。今は常に一緒に働いてくれるスタッフが一人と、ランチは妻が手伝ってくれています。仕入れや仕込みには相当時間がかかるので、それをスタッフと二人でやるにはランチ4組、ディナー2組が限界です。仮に毎日満席になったとしたら今の僕たちのレベルでは完全に追いつかなくなってしまうので、定休日の他に仕込み日や仕入れ日も設けなくてはなりません。この中でお店が回るくらいの売上を立てようとすると自ずとコースの値段は上がります。しかも使うのは地元の農家さんが育てた野菜や、山に自生する果実や木の実、庭や田んぼの脇に生える野草なんかもかなり使います。魚は今となっては鰤やノドグロなどの高級魚はほぼ使いませんし、お肉は地元では害獣であるジビエばかり。地元のお客様が高いお金を払ってそういった食材を食べたいかと思うと難しいと思います。地元の方を切り捨てるつもりは全くありませんが、今の自分の作りたい料理はやはり遠方から来られるお客様がターゲットなのです。
長崎県島原市のペシコというレストランの井上シェフがONE STORYの記事で特集されていましたが、「田舎では食べられない料理」から「田舎でしか食べられない料理」に切り替えたという話がとても印象的で、他人事には思えませんでした(彼は同い年ですしとても刺激になります)。僕のレストランも自分が表現したい料理である「田舎でしか食べられない料理」を作ることを目指しています。なぜならそれが能登の里山里海の自然の恵みであると思うからです。
2019.12.19