発信が大事ってほんとにそれだけでいいの?
おはようございます!
今日から見出しに写真を入れてみました。hitodamakoさんありがとうございます。
さて、本日は「発信」について話をしていこうかと思います。SNSがかなり発達して、気軽に全世界の人に向けて発信ができるようになりました。特にTwitterなんかは、リツイートすることで、ちょっとしたことでも炎上してしまうことも起きています。
昨日、ネットを見ていたら東京の緊急事態宣言についての話がありました。そこでは、国民は頑張っているから国として何か援助はないのか?という話が発信されてたんですね。
確かに、緊急事態宣言が出されて移動が制限されたら、経済活動が滞りますので、今まで起きていた経済の循環が起きなくなり、稼げていた人が急に苦しくなることが起きます。その人たちを救うために国からの補助はないのか?
という問題提起としての内容でした。
昨年春にあった緊急事態宣言から半年以上経過してさらに緊急事態宣言。これまで何か有効な政策が取れていなかったからこそ、二度目はどうして起こるのかということだと思うのですが、
ここで考えて欲しいのは、その発信をすることで、誰にどのようなことを求めているのか、さらにその結果の先にはどのような見返り(または仕打ち)があるのか、を十分に検討してからの発信か。ですね。
検討という言い方をすると昨年多くあったネットでの誹謗中傷という話になりますが、そうではなくてこの発信をすることは表面的な問題にはアプローチしているけど、回り回って自分たちの首を締める結果に繋がらないかを理解しているか、ということが重要だと考えています。
非常に簡単にいうと、
ロックダウンされるから、補償として給付金が欲しい。
という主張をする場合、
・その給付金の財源は?
・給付金を渡すためにかかるコストは?
・給付金の対象者は?
などなど
少し考えただけでも給付金を渡すための決定プロセスにかかるリスクとコストがわかると思います。
では、その発信があったときにこの疑問を尋ねてみると、
「それを考えるのが政府の仕事だ」と返答があったとしますよね。
これって無責任だとは思いませんか?
主張をするには必ず裏付けが必要で、なんとなくだけで発信をすると何かを傷つける恐れがあります。だからこそ、発信は慎重にならなければいけません。
そうすると、発信することに恐れが出てきて、現状が滞るので、組織も停滞する・・・・
あれ?
良いことが無い。。。
そうなんです。発信に対して全て裏付けを求めていくと、完璧じゃないと発信ができないというジレンマに陥ります。ちなみに海外では、討論を好む国もあるので、自分の発言に一定の根拠を持っている文化がある国もあります。
しかし、日本では、右にならえの教育だったので、発信の根拠が「みんなもそうだから」になってしまいがちです。なので、渡りに船のように流行り物には意味なく乗っかるみたいなことが起きてしまうんですね。
長くなりましたが、今日お伝えしたかったことは、発信に根拠を持つためには、普段から裏付けを考える、理由思考を身につけようという話でした。
ちなみにこの理由思考をストレス軽減に活用するとマインドフルネスへと変わります。今、体はどのような状態か、それはどうして起きているのか、その原因になっていることはなんなのか
についてじっくりと考えるということですね。
そう!
じっくりと考える
この思考過程が発信には非常に重要なのです。なので、発信をするためにはそれを咀嚼できるくらいに余裕をもった頭で一度考えてみてください
一旦小休止してリラックスして考える。
それからでも発信は遅くないと思いますよ。
僕が頭を整理しながら発信している方法としてはこちら
頭に出てきたことを文字にするのではなく、一度言葉として表現してみるのも整理ができて良いですよ。
それでは、また明日〜
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