知っておきたい保険の歴史
保険の話
国民皆保険とかもろもろの保険の歴史について、
ちょっとお話ししていきます。
出典は、『地域の医療介護入門シリーズ』
国立国会図書館デジタルコレクションに
載っていますので検索してみてください。
https://dl.ndl.go.jp/ ←←検索はこちら
こちらは、皆さんも無料で読むことができます。
今回の内容は全17回の一部になるのでまあまあ分量多いんですけど
詳しいことが気になる方は読んでいただけたらなと思います。
それでは内容に入りますね。
結論からですが
理学療法士が今更になって
国民皆保険で厚生労働省がこの診療報酬を握っていて
自分たちは努力をしても賃金が上がらないんじゃないか
っていうことに対して不安を抱えているっていうことは
ぶっちゃけて言うと
70年前に医師会がもう既にそのことを気づいて
手を打っていたっていう話でございます
それではその辺りの歴史を話していこうと思うのですが、
国民皆保険ができる前からだと
江戸時代とかの話になります。
介護保険に近くなってくるのは
主には伝染病の対応のために保健所をいっぱい作ろう
っていう流れから始まります。
そのあたりが1920年代ぐらいで
皆保険に舵を取っているっていうのが日本の歴史としてはあります
そのもっと前ですね
もっと前に関しては江戸時代。
江戸時代のお医者さんって
基本的には漢方医なんですよ。
今の医療は西洋文化の蘭学って言われるやつですね、
その西洋医学が来る前のお話で
基本的には対症療法をするというよりも漢方とか
そういったものを調合して気長に治していきましょうよ
みたいな感じでした。
江戸時代の時代劇みたいなところで出てくるお医者さんのイメージです。
その時は診療所とか病院とかはなくて
患者さん一人一人のお家に回っては
その人に合うような漢方薬を調合して届けていた。
っていうのが主流になりますので
この時っていうのはどちらかと言うと自由診療でお薬を調合していただいた
この漢方医にその治療を受けた人が
直接お金を支払うっていう形だったんですね。
なので、
おっかあが病気なんだけどお金がなくて
みたいな、
貧しいと治療が受けられないやつあるじゃないですか。
お金がないと医療が受けられないっていう人たちっていうのはすごく多かった
逆に言うと医者と患者との関わりも金銭的なものもそうですし
その先生にこうお薬を委ねていたら治してもらえるんじゃないかっていうところで
心の繋がりも大きかったわけですね。
これがまずそもそもの江戸時代の背景です。
ここから江戸から明治にかけていくに当たって
蘭学が発達してきて西洋医学が日本中に入ってくる訳ですよ
西洋医学ってもう既に病院とかがあったんですね
この西洋っていうのが具体的にどこを指すのかっていうと
仮にイギリスとかその辺ヨーロッパ圏内ですね
社会保険でやっていたのは、「日本・ドイツ・フランス」
税方式が「イギリス」
ヨーロッパの1800年、1900代初頭で
日本に近かったのはドイツとかっていう国ですけど
この入院施設っていうのを作ってそこで専門的な治療をしましょうよって
いうのが西洋の考え方だったんですね
なのでそれに倣って日本でもそういった入院施設を作っていくところが増えました
何でこれ増えたかというと
基本的にはこの伝染病とか何か今現在症状が起きている人に対しての
的確な治療が向こう(ヨーロッパ)の方が進んでたんですね。
なので専門的な治療をして
その人たちを元気にしようっていうのが目的でした。
この江戸時代から明治時代の初期ってなると
第一次世界大戦ぐらいの時なので
農民や山民、漁民とか
その人たちが健康でかつ伝染病にかかっていない状態
っていうのを作ることによって
日本の元気な兵隊さんを作れるっていうのが
そもそものスタートなんですね。
1900年代の初期には実は保険っていうのがちゃんとあってですね
誰がこの保険っていうものを作った時に得をするのかって
考えないといけない事が結構難しいんですけど
保険を作って得をするのは誰かってなった時に
今みたいに戦争をしますって言ってるんですよね
第一次世界大戦と第二次世界大戦のときとかって
ものすごく世界で戦争が起きていた時じゃないですか
この時に戦争するよって言ってるのに
戦争でいく兵隊さんが体が弱いってなったら困るわけですよ
だから国として強い国民を育てないといけないので
保険を作ってみんなで体が元気な人をつくり合うみたいな形で
保険ができてきましたので始めは国主導です
ただそれ以外にも保険ができて得な人がいてですね
保険ができて得をする人がいてそれは誰かって言ったら
企業なんですね。
株式会社とか昔からそういった組織があったかっていうと
そういう具合ではなくてもう少しちっちゃな個体で考えて頂いたらいいかな
とは思うんですけど
三井とか住友とか財閥があったので
いろんな職能団体とか
そういった組合みたいなのがあったわけです
じゃこの組合の中で一生懸命仕事をすると
当然仕事をしていく中で傷病ですよね
怪我をしたりとか病気になったりとかあるわけじゃないですか
こうなったら仕事を振ってる側とか作ってる側は
要は今風に言うと会社の社長側は困る訳です。
昨日までラインにいてくれた人たちが
病気とかでいなくなっちゃうわけなので
それ困るからじゃあ組合として
労働者を守る労使組合を作って
そこで何かあった時のために
みんなでカバーできるような
保険を作ろうか
そういうような福利厚生を作ろうということでできたのが保険です
ふたつあって国として元気な
兵隊さんを作りたいっていうところと
もう一つは企業として、会社として
元気に働いてくれる労働者を作りたいっていう
この2つの目的があってそもそも保険ってできてるんですね
うん、オッケーですか?
ここまででこの成り立ちを押さえておけば
よく分かると思うんですけど
保険を作って保険を生かすとか
保険で健康にすることによって
誰かしらのメリットがないと保険って
充実していかない訳なんですね
目的がそれ(戦争で勝つため、そのための健康な農民)なので
つまり、
今例えば
高齢者に対して保険をもっともっと拡充させていこう
充実させていこうっていう流れを取ったら
高齢者の方が保険を使うことによって元気になったら
なんか得をするような、何かになってないといけないわけです
これが得をするからその病気に対して治療であったりとか
リハビリであったりとかにお金が使えるわけですよね
じゃあその高齢者がリハビリとか治療をすることを
保険を使って治療をしていくことにあたって
何か世の中的に得を生んでるのかっていうと
現在はっきりとしたものはないわけです
だから思い切った社会保障の充実ってできないですね
これがベースが増えにくい
その社会保障費が拡大していくことが
問題だっていうてしまっている理由です
仮になんですけど
例えば社会保障費今だったら約40兆円だったかな
100兆円の予算のうちの40兆円でしたよね、
これを50兆円に伸ばして予算組みが
例えば税収が15兆円上がればいいわけです
保険を使った結果、税収が上がるっていうことが見込めるん
だったらどんどんどんどん保険を使うべきなんですよね。
でもそうじゃないから困る訳ですよ
その時に僕たち医療者が考えないといけないのは
何を目的にこの人達に治療を提供して
どういったことが理想的かっていうのを考えておかないといけない訳です。
この辺考え始めるとめっちゃ難しくなるので
もう少し簡単にしていくと
結局、みんなが健康でみんなが自分らしい
人生を送るために病気にならならず
病気になっても社会復帰できるのが望ましいんじゃないですか
この時にその価値として
経済的に豊かになるっていうところに重きを置いてしまうと
お金だけの尺度になってしまうんですよね
これをしたら
すごく難しい世の中になっていくんじゃないかなと
個人的には思いますが、ここから僕の見解です
今のバックグラウンドを踏まえた上で
理学療法士が診療報酬に縛られた
ライフスタイルを送りたくない
っていうのであれば
この診療報酬というものの仕組みについて
医療とかの意義をものすごく考えないといけないわけです
じゃこの診療報酬ではない部分で
収益を増やそうって考えると
当然それにも目的がつくわけですね
じゃあこの目的って結局はどうすることなのかがすごく重要で
だから診療報酬が下がってくるから
理学療法士はこの先やばいよって言うんだったら、
このやばいよ論だけではなくて
その先にある何を目的に仕事がしたいとか
何を目的に自分は価値提供したいのかっていうことを
すごく考えないといけないんじゃないかなと思います
もうちょっとだけ具体的な話をしようかな。
その診療報酬制ですね
診療報酬で基本的には一律で国が決めた診療報酬に則って
各種保険から支払いをされるっていうのが
1948年とか47年とかに決まってるんですよ
でここで凄くね、医師会の武見会長っていう人が頑張ってですね
1950年ぐらいかな、
頑張ってこの医師の地位とか
要望を国に飲ませていくっていうやりとりがあるんですが
この時に医者側の気持ちとして何があったのかっていうと
元々自由診療として患者さんと繋がっていたのに
保険診療に変わった瞬間に
保険っていうのはあくまでも保険者、つまり運営者がいるわけですね
運営者に自分たちの技術を提供している
っていう関わりになるんですよ
簡単に言うと
例えば十割給付の保険があったとしたら
自分が治療を受けるじゃないですか
患者として医者に治療を受ける。
でも負担をしてくれるのはこの人(運営者)な訳ですよね
これが保険者っていうやつです。
今で言ったら市町村とか都道府県とか国とかになる訳ですけど
ここが負担をしてくれるってなったら
医師はあくまでも保険者の代わりに医療技術を提供してるってだけで
患者と保険者の信頼関係になる訳ですね
つまりは保険のルールを知ってたら
患者さんは医師に対して
こう信頼関係を築いていくとかっていうわけではなくて
要望していくようになる訳です
医者も保険者に対して技術提供しているのがあって
医師は保険者に対して、あくまでも保険者たちが見ろって言ったから
見ているだけになるわけですね
なので患者とのコミュニケーションとか
信頼関係が気づきにくいんじゃないかっていうのが
武見さんとか
その1950年代の医師たちが考えていたことでございました
どこまでほんまか分かんないですよ
どこまでほんまかわかんないです。
だって信頼関係ができて先生に診てもらわないといけないんだ、みたいになったら
自分の命とお金を天秤にかけて
その先生にいっぱいお金を渡せたはずだったのに
それが診療報酬で、何かをやったらいくらみたいなので
決まってしまうと
渡したくても渡せないっていうのがあった訳ですね。
つまり
患者さんと医師との信頼関係が結びつきにくいっていうのが
皆保険制度なんだっていう言い分なわけです。
これは今と同じことが起きてる訳ですよ
当然保険制度の中で患者がいて僕たちがいて
僕たちは保険者に代わってリハビリを提供しているっていう状況で
患者は医療者が何とかしてくれるから
治療に来てくれた人たちに対してありがとうと言っていただけ
みたいな状態になってて
信頼関係が非常に築きにくい
自分が良くなりたいからという目的で
選んだ先生だったら
すごく信頼関係を築きやすいんですけど
そうじゃないっていうのが今の問題点なんじゃないかな
と個人的には思っています。
なので保険という制度は
どういう形でお互いが当事者意識を持たせるのかですね
そこのコミュニケーション能力であったりとか
思想の共有や目的の共有であったりとかが
結構ポイントなんじゃないかなと思います。
最後までお読みいただきありがとうございます!
要約してお伝えしているので、細かな点は異なるかもしれませんが
それも含めて、ご自分で調べて、より理解を深めてもらえると嬉しいです!
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