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悲しみの乗り越え方
生きていると、乗り越えられそうもない悲しみに出くわす事がある。
それはまた突然急にやってくる。
先ずは悲しみに打ちひしがれ、それが怒りに変わり、時間が解決というような流れが一般的だろう。
傷ついた時に自分の人間性が見えがっかりしてしまう事もある。
それが例え相手に非があっても、だ。
今の私の目標は自分を俯瞰的にみる事。
相手を受容していくこと。(相手をジャッジしない)
今に集中して生きること。
これを実践して生きていくと必ず辿り着くのは仏教である。
アプローチの仕方を間違えれば激ヤバな宗教になってしまいそうな気もする。
言葉にすれば簡単で、実行しようとするととても難しい。
気づいたら感情に飲まれているし、自分の価値基準で決めつけてしまう。
自分の正解を手放せれないのである。
みな自分の正義のもとに生きていて、貫き生きている。
そして私もそう。
ブッタは一切は苦であると説いています。
人生が思い通りにならないのは、あなたが生まれてきたからですとも言っています。
この世の終わりのように感じますが、だからこそ、今を全力で生きなければいけないのです。
忘れられていたと思っていた、古傷、生傷が突然急に痛む時がある。
今日はそんな日でした。
あぁ、悲しみを乗り越えられてないんだな、と感じた瞬間なぜだか笑えてきたのです。
哀しけれど滑稽でおかしくなって。
そんな自分を俯瞰的に見て、悲しみの山があるとしたら中腹くらいにはいるのかなと感じました。
今日もたくさん笑ったし、ご飯も美味しかった。
自分の仕事もちゃんとしたし、明日も明後日も毎日楽しく生きようと頑張っている。
色々な悲しみの山を登ってきたので、小さい山は1日で登り終えれるし、大きい山も昔より早く登り終えれるようになった。
結局のところ、一歩一歩登っていくしか乗り越える方法はないのかな。
そんな事を思った嵐のよる。