原点
原点ー広辞苑を引くと「根元の地点。基準になる点。」とある。
原点ー先日逝去された野村克也さんの言葉をお借りするなら「外角低めの直球」。
原点ー原辰徳巨人軍監督が2009年に出版した著書の題名。
無事に大学を卒業することができ、入社式まで実家でお世話になることとなった。
或る日、真夏の大感謝祭のDVDを通しで見ようと考えた。
帰省の度にところどころや飛ばしで見てはいたが、通しで見るのは、東日本大震災で学校が休みになり、インターネットの回線が壊れてテレビを見るしかやることがなかったものの、テレビは震災特番ばかりでつまらないからDVDを見ざるを得なかった中学生のときの春休み以来である。
小学5〜6年のとき熱病のように毎日見ていてディスクが擦り切れたからなのか、Disc1はところどころ止まってしまう。一番好きな『Hello My Love』のチャプターは全く動かなくなってしまった。
サザンを聴きはじめた当初はDisc2ばかりを見ていた。シングルA面、それもライブ映えする曲ばかりだから当然と言えば当然だろう。一方、サザンファンになっていく過程でDisc1に手が伸びる回数が増えていった。
『You』1曲目から桑田さんがアコギを持つのは大変貴重である。『ミスブラ』イントロとBメロのアルペジオを弾く原さんの指に目が釘づけになる。『LOVE AFFAIR』イントロと同時にオーロラビジョンで『さくら』のジャケットのアニメーション。間奏のスキャットコーラスでは「本日は『真夏の大感謝祭』にお越しいただき誠にありがとうございます!!」の文字。いずれもこれまでの重みを感じる演出だ。
『青山通りから鎌倉まで』のメドレー。
サザンを聴きはじめたばかりのいわゆるにわかファンは呆気にとられるセットリストである。かく云う私がそうだった。一番好きな『Hello My Love』のチャプターが動かなくなったのは前述の通り。『Oh!クラウディア』がメドレーに入る贅沢っぷり。『クラウディア』の後すぐに『東京シャッフル』に入るのは「しんみりしてる場合じゃないよ!まだまだいくよ!」という桑田さんからのメッセージだと考えてしまうのは私だけだろうか。原さんファンのパープーとしてはやはり『そんなヒロシに騙されて』は絶対に欠かすことができない。
『由比ヶ浜からキラーストリートまで』のメドレー。
2008年バージョンの『爆笑アイランド』。世相を皮肉るセンスは流石だ。ただ体制への不満を書き連ねるのではなく笑いを混在させて音楽の一部として昇華してしまう。『ごめんよ僕が馬鹿だった』フレーズに合わせてギター・ベースを上げ下げするイントロとアウトロ。最後の『ジャン』を勿体ぶっているときの桑田さんと誠さん。まさに大学の先輩後輩といった雰囲気でホッコリする。『RRSM』白い風船を持ってサビで両手を左右に振る画は幻想的な非日常感を醸し出す。
ファンの仲間入りをしたと言える今でもDisc2は十分十二分に楽しめる。
アコースティックバージョンの『涙のキッス』『チャコの海岸物語』『せつない胸に風が吹いてた』『夕陽に別れを告げて』は大変貴重だ。特に『せつない〜』のライブバージョンでの原さんのアーウーコーラスとヒロシさんの追っかけコーラスはサザンのコーラスワークを愛する人間としてまさに垂涎ものである。『いとしのエリー』『真夏の果実』『TSUNAMI』の3連発は2019年巨人軍の坂本、丸、岡本を彷彿とさせる豪華な並び。当時の新曲で某ダンスグループを模倣した後は泣く子も黙る『希望の轍』。“エロいの”がお出ましの煽りコーナーがあってアンコール。『WE ARE SAS FAMILY』の人文字が涙を誘う。『勝手にシンドバッド』までの3曲でグッと盛り上げてから『Ya Ya(あの時代を忘れない)』で落とす。
『Ya Ya〜』が終わった後すぐに「On Drums 松田弘〜!」とメンバー紹介に入ったのは感動の余韻を残したくなかったからではないか。だって『いつも通りのサザン』だから。『伝説にはしない』から。『単なる途中経過ライブ』だから。
当時はわからなかった『I AM YOUR SINGER』の歌詞の意味も、お客さんたちの涙の意味も、30年の重みも今ならわかる。
敢えて角が立つ言い方をすれば私は「真夏の大感謝祭を超えるライブは後にも先にも存在しない」と考えている。
マニアックな曲とキラーチューンとが相半ばするセットリスト。誰もが知るシングルA面のイントロが流れた瞬間の「待ってました!」とばかりの歓声。B面曲やアルバム曲、しばらく歌われていなかった曲のイントロが流れた瞬間の「え、この曲聴けるの!?」驚きと喜びが同衾した感嘆の息。
これを最高のライブと呼ばずして何と呼ぼう。
私の原点は間違いなくこの真夏の大感謝祭だ。
別に楽しくもなかった習い事のピアノが楽しくなったのも、ハモりやウーアーコーラスに耳がいくようになったのも、『桑田さんのようなミュージシャンになる』という夢をもったのも、原点は真夏の大感謝祭だ。
結果的に私の夢は夢で終わってしまったわけだが、小学5年生から昨年まで、とびきり素敵な夢を見ることができた。幸せなことだと思う。
これまでは遠く遠く離れたサザンの背中を、サザンが走ってきた『希望の轍』を追っかけてきたが、それももう終わりだ。今年からは闘う戦士(もの)として生存競争(いきていかな)ければならない。いわば「大人になるための裁きを受けた」わけだ。「ためらいがちに歩いた遠い過去が終わりの無い道に変わる」よう汗をかいていかなければならない。
大学生活において幸いにも、音楽の他に生き甲斐と呼べるものに出逢うことができた。その目標に向かって、いざとなれば崖から飛び降りる覚悟でまさに常在戦場で、準備だけは怠らずに毎日を生きていこうと思う。
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