“女性のための”
人と話すってほんと大事
仕事について、これからの人生について、について話す人なんて身近にいないから自分の頭の中ぐるぐる回ってるだけだったけど、どうしても人と話したくて久しぶりに連絡とって友達と話したら沢山の発見があった。
一人目の友達は、趣味があるって言う人はわりと馬鹿にしてるらしい。
本当にこの人はいつも常識を覆すような発言をするから飽きない。
真意は、日々の生活が一つ一つ感動に満ちてるからあえて何か見つけないと楽しみがないというのはつまらないし、趣味に追われて疲れてたり忙しかったりするらしい。
もう一人の友達は、教育って男女平等じゃなくていいと思う、と言っていた。
生物的に別の生き物だし、出産育児などもあるからそれにそった教育をすべきだと思うと言っていた。社会人になって学ぶことは多いけど、それを義務教育のうちにやれよ!ということらしい。
教育は男女平等じゃなくていい!
衝撃的だった。
が、この考えは私の今までのモヤっとしていた疑問を払拭したように思う。
先日『私のための金融リテラシー』という金融に情弱な女子に向けた本を読んだり、やはり金融女子という勉強サークルを知ったが、このわりとある“女性のための”、“女子のための”というワードが前から引っかかっていた。
わからないもの同士ワイワイしながらお茶飲みながらお勉強しましょうみたいな感じなのもわかるけど、それ以前に女性と括ったものがとても多いことがとても気になっていた。
男性だってわからない人や勉強しはじめの人だっているんだから何も女性の、とくくらなくていいんじゃないかと。
そこに、女子は女子のための教育が必要なんだ!と力説があった。
女性は社会人になって初めて会社のルール知ることになる。結婚や妊娠をしてみてはじめて国や自治体の制度を知る。
しかし知った時には時すでに遅し、保育園に預けられず会社に復帰できなかったり、昇格を諦めたりしないといけないことになるのだ。
よく考えれば、戦後男性が受けていた教育に女性が参加するようになった。そして男性しかいない会社に女性が入るようになった。
国の制度や会社のルールが徐々に女性に歩み寄ってくるようになったとはいえ、その過程では女性が無理やり男性社会にあわせてきたのだ。
そりゃ無理も生じるだろう。
そしていくら国や会社が制度を整えようがそれを受ける本人が知らないのだから仕方がない。
義務教育中に少しは教えてくれてもいいんじゃないか?
かつて女学校では料理や裁縫など卒業してから女性として必要なスキルを教えてくれていたように、現代では現代の女性が必要なスキルを教えてくれてもいいと思う。
“男性のための”と銘打ったビジネス書がないのは当初から確立しているので必要ないのだ。現代になって“男性のための”と銘打ったものは家事や子育てに関してのものが多いが、やはりそれを知るのは社会人になってからであろう。
こんなに長く書くつもりはなかった上、論文調になってきた。
初めに戻ると、人と話すと自分の見識も広くなるし考えもクリアになるし、本当に人と話すって大事だなと思ったお話でした。