子どものケンカに介入しすぎでは?
こんにちは。えめです。
子ども同士で遊んでいると、突然ケンカに発展することって日常茶飯事ですよね。
特に小さい子だと、
途中からアドレナリン全開になって、
お互い譲れず取っ組み合いみたいなことも。
私には息子がいますが、
やっと喋れ始めたばかりで、
まだまだ上手に遊べません。
同じ歳の子と遊んでいても、
友達よりおもちゃが大事なのかな?と思うようなことはしょっちゅう。笑
そんなやり取りに、
やはり大人が介入することはあるのですが、
そこで思うことがいろいろとありまして。
今回は、そんな話をつれづれ書きたいと思います。
お互い独立国家でもいいんじゃないかな?
「おもちゃ貸して」
「イヤ」
みたいな、
自分のテリトリーに入ることを拒否するやつ。
ありますよね。
そこでよく見るのが、
「貸してあげなさい!」
って親が介入するやつ。
この介入があると、内心、
「うーん…」
と思います。
私は、テリトリーに入った方が良くないので。
折り合いつかなければ、
諦めて別のおもちゃで遊ぶよう促したりする方針を取りたいです。
一緒にいても、
絶対に「一緒に仲良く」遊ばなきゃいけない訳ではない。
そう思ってます。
協調性は大事だけど、
まず自分を大事にすることが先だと思う。
だから、
問題のものが、
もともとその子のテリトリーの物ならば、
「イヤ」を尊重してあげたい。
だけど、
「こうやって遊ぶのが正解」だとか、
「一緒にいる人は一緒に仲良くするもの」だとか、
「いじわるな子だと思われたくない」だとか、
親のエゴが入りまくった「貸してあげなさい」が入ってしまう。
そうすると、その時点で、
親が子のテリトリーを荒らしているし、
子が考える機会を奪うし、
もう一方の親である私も、「貸してあげなさい」をやらないといけない空気になるし、
そうすると教育論押し付けられる訳で、
「うーん…」ってなります。
おもちゃだからまだいいけどさ、
「貸してあげなさい」のプレーの延長には、
将来とか貸したくない相手にも、
「相手が困っているならお金を貸しなさい」
とか言うのかな?
とか思ったりするし…
まぁ…
「俺のものは俺のもの、お前のものは俺のもの」
的な、ジャイアンプレーに発展すると、
相手にとって理不尽なので、
さすがに「おかしいだろ」って止めますが…
初段階、早々に親が結論持って介入されると、
「うーん…」ってなります。
ケンカしちゃダメなの?
そうとはいえ、
最初からテリトリーがガチ合ってしまってる場合、
どちらが引けばいいかわからない時もありますよね。
自分を守るには、
戦争をしなくちゃいけなくなっちゃう。
そんな時、私は、
とりあえず暴力行為一歩手前までは見守るのですが…
「ケンカするなよ!」
「〇〇が悪い!」
「譲ってあげなさい!」
などと、やはり早々に介入が入ることが多い。
「仲良くさせること」が最優先目的になっている。
だから、早々に親が解決策を提示してしまう。
だがそれで子は、納得いっているのでしょうか?
たいがい、親の介入は、建前もあり、
我が子にのみされることが多いので、
時によって結論が変わることも多々。
毎回、我が子に譲らせることも。
絶対、
「え、なんで、毎回自分が我慢する前提なの?」
って思ってると思うんです。
また、ダメなものは教えないといけないですが…
なんかいとも簡単に、悪い方を決める親も気になる。
そんな明確に悪者を決める必要ある?
「ケンカだったね」でいいんじゃないかな?
テリトリーがガチ合ってしまうことって普通にあると思うんです。
テリトリーがガチ合えば、
すれ違いとか、譲れないものとか、出てくると思います。
大体、そういうのって正解がないんだけど、
さっさと悪者を決定してしまう親がいる。
私は、その人が大切に思ってることを大切にしてあげるのが「愛」だと思ってますが、
「悪者を決める」行為は、
よく「大切なもの」をないがしろにしてしまっていると思います。
子育てにおいて、
「大切なもの」をないがしろにする行為がどれだけ危険かを理解して欲しい。
だから、安易に悪者を決められると、
「あぁもう!!!」ってなります。
たしかに、前頭葉が未熟でおさえが効かない子どもは、過激なケンカには発展しやすいです。
でも、話し合いができないなら、
暴力行為になる前に切り上げて、
ケンカから距離置かせたらいいと思います。
距離を置かせて、
「あぁ、そこが大事だったんだね。
だけど、お友達はここが大事だったみたい。
どうしたらよかったかな?」
とか、反省会したらいいと思います。
上手く仲良くできなくても、
上手に譲り合いができなくても、
ごめんなさいを言えなかった時の空気、
ケンカしたらどうなるかとか、
今のうちから自分で知って、
自分で考える。
そういう事が大切なんじゃないかなと思います。
小さいうちって、切り替えがいいから、
仲良くできなくても、
なんてことないと思うんです。
納得できないで、
疑問やらがズルズルするより、
綺麗な結論がなくても、
納得しどころを自分で見つけて、
きれいさっぱり引きずらない方が、
メンタル強くなると思います。
だから、ぐたぐたケンカして、
よく分からない空気になってもいい。
ゴタゴタしながら、
なんだかわからないものと、
何度も時間もかけて向き合って、
グレーとは何かを知る方が、
今の世の中では大切な気がします。
もっと、自分を大切にすることと、グレーな世界を教えた方がいいと思う
結果がはっきりしてるのって、
気持ちがいいことではあります。
子どもが仲良くしていると、
親は心穏やかに過ごせるでしょう。
ですが、
あまりに白黒つけてしまうと、
ないがしろにされるものが多くて、
辛くなっちゃうんじゃないかなと思います。
助け合って仲良くするのは大切ですが、
自分を大切にして、自分の心が自立してないと、
人と仲良くしても苦しいだけじゃないかなと思います。
グレーな世界って、
いけないことをしてるイメージがあって、
あまり教育に取り入れたくないとは思います。
私もグレーな世界には、
「責任感がない」ことをする人がいるイメージで嫌悪感があります。
だけど、白黒つけるのも、
あんまり優しいことでもないようです。
だから、
「お互いのことを考える時間」という、
「優しいグレーゾーン」を教えていくのは、
大切なことなんじゃないかな、と思います。
あなたはどう思いますか?
最後まで読んでいただき、ありがとうございました✨
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