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だから私はライブをやらない

「飲みに行こうよ」
「今は無理かな」
「コロナ、真に受けちゃってる感じ?」
「真に受けるって何?」

切っ掛けは些細な一言だった。
これが、音楽を生業として、人前に立つことで金銭を授受している一部の人間の発言だ。

ここで重要なのは、金銭を授受し、自分達の音楽を発信している人間が、「真に受ける」という発言をした。それが1人や2人じゃないということだ。

「会いたいね」
「落ち着いたらご飯食べに行こ」
「リモートでもいいよ」

私のいる世界で、常々繰り返されてきた会話が何だかとても馬鹿馬鹿しく感じた。

勿論、私と同じような感覚で音楽を生業としている人も沢山いるし、皆が皆そうだとか、何が悪くて何が良いとか、そういうことを言いたい訳じゃない。

「真に受ける」
ただその言葉が気に食わないだけだ。

5分に満たない曲の中で1つの物語を完結させ、目の前の人々を魅了し続ける人間の選んだ言葉だったという事実が悲しかった。悔しかった。そして、少し寂しかった。

私なんかとは違って、知名度もあって、ライブのたびに利益を出しているような人達の言葉だったという事実がとても虚しく感じた。

リスクベネフィットを考えて、各々が好きなように行動してくれて構わないよ。

リスクを知った上で、感染対策もして、自分が胸を張って出来るなら、ライブだってパーティだって飲み会だってスポーツだって旅行だってなんだってやればいいと思うよ。

だってそれは其々の価値観の問題だもの。
自由を奪うなんて誰にも許される事じゃない。

「バンドはライブがゴールじゃないすか」

そう言われたこともある。意味もわかる。
発信し続けなければ淘汰されてく。発信してても淘汰される。それが現実で、応援してくれる人もいるのに、ライブをやらないとはどういう考えなのか、最近聞かれる事が増えたのも事実だ。

何故、ライブをやらないのか。
私と関わる全ての人が安心して生活できるように、1人も不安な気持ちにさせたくない、危険に晒したくない。0.1%でも可能性があるなら排除したい。ただそれだけの事だ。

推奨されている自然換気の方法、知ってる?
30分に1回以上5分間の換気なんてスタジオでは非現実的だ。1時間に2回以上だとしても、それは変わらない。機械喚起ができていたとしても、自然換気を忠実に実践できるだろうか。努力は個々人がすべき事ではあるが、3時間スタジオに入ったとして、私はそれを実践できる自信がない。だから、バンドメンバーとスタジオには入らない。入りたかない。

他のメンバーは、当日合わせのリハなし本番でも、突然の無茶振りにも、臨機応変に対応できるだけのスキルと実績がある。私には度胸があっても、そんな技術は微塵もない。ライブをやるなら、メンバーを巻き込んだスタジオでの練習がなくては困るのだ。

不完全な状態でヒトサマから時間もお金も奪いたくない。

何より、誰がどこで何をして過ごし、3週間以上都内に滞在していて、毎日2回の検温、体調変化の有無を確実に把握できるか確証が持てない。

感染症となると、話は大きく変わるもんで、確証が持てないことに対してのチャレンジ精神なんてクソ喰らえだと個人的に思っている。

例えばPCR検査を受けたとしても、ワクチンを受けたとしてもだ。日々、心身ともに健康とは言えない人々やその家族の方と接している私にそんな物は何の免罪符にもならない。

もし私が感染していたら、メンバーに感染させる可能性がある。メンバーからまた他の人へ広まる可能性がある。

もしメンバーが感染していたら、私が感染する可能性がある。メンバーと会った後、3週間も大人しく自宅待機なんて非現実的だし、心身共に健康とは言えない人達を危険に晒すことになる。その確率は果たして健常者の何倍かなんて考えたくもない。

なにより、そういった感染リスクの高い人たちがもしも私がスタジオに複数名と入っていることを知ってしまったら?ライブをやっていることを知ってしまったら?

少しも不安を持たずにいられるか?
少しも不快感を覚えずにいられるか?

もし、私が感染して発症したら、職場はどうなる?会社に与える損害は?それに付随する地域の医療体制のバランスは?

考え出したらキリがない。
悩む、悩まない以前の問題だ。

資格を取得して資格を盾に働くということは、人を殺す覚悟と殺さない覚悟を持つということで、私たち有資格者は、不安感や不快感を与えただけでも十分に謝罪する意味があって。

それがプロだと思うから。

リスクを限りなく減らすために出来ることは、率先してやっていきたい。

バンドの舵取りをするのがセンターの仕事だと言うなら、メンバーの命を守るのも私だし、ファンの感染リスクを乗船中限りなく減らすのも私の仕事だ。

私はリスク要因がありすぎる。

だから、ライブはやるって言えない。

だから、スタジオにも入らない。
入りたくないから入らない。

リスク管理が曖昧な人とも会いたくない。
どうしても誰かに会いたくなった時は、考えに考えて取捨選択するよ。

それが私という人間なのだ。
嫌われても構わない。

私だって医療に携わらない人間だったら、スタジオに入っていたかもしれないし、ライブをやっていたかもしれない。何人かの仲のいい人達とパーティー三昧だったかもしれない。

これは良し悪しの問題じゃない。
リスクと価値観の問題だ。

新型コロナウイルスだってただの風邪という医者もいれば、重大視している医者もいる。

これが現実だ。
オーストラリアはどうだとか、アメリカはどうだとか、そんな話をしてるんじゃない。

言葉を武器にする人間から「真に受ける」なんてそんな言葉、もう一生聞きたくないから、知ってほしい。

真に受けるとか受けないとかじゃない。

私は誰ひとり不安にさせたくない。
ただの風邪だったとしても同じ行動をとる。

それが私の覚悟だ。
退学せず、卒業して、音楽も資格もどっちも選んだ、欲張りな私の覚悟なのだ。

好き好んで定員一名のお高いプライベートスタジオに入るわけじゃない。好き好んで人と会わないわけじゃない。好き好んでライブをやらないわけじゃない。真に受けてるからじゃない。

私は、誰も不安にさせたくない。
ただそれだけなのだ。

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