「収集→保存あつめてのこす」展

本展は2020年4月4日から5月17日を会期として、高知県立美術館にて企画開催された。美術館としては「tupera tupeta」展に続く改修後2回目の展覧会である。企画のきっかけは、学芸員が改修中に収蔵庫の整理作業にあたり、美術館自らの抱える課題に向き合わざるを得ない状況に立たされたことだという。

2020年5月現在、高知県立美術館は3つの収集方針のもと約41,000点の作品を収蔵している。その収集方針は、(1)マルク・シャガールの作品、(2)表現主義的傾向のある国内外の作品、(3)高知県にゆかりのある作家の作品、の以上3つだ。

今回の展示は従来からスペースを設け展示してきたという理由で(1)は除外され、(2)および(3)に関連する作品で構成されている。

筆者は高知に越して4年目になるが、展示の多くは初めて目にする作品であり、他の特別展と同様に驚きと感動をもって楽しむことができた。一方、バスキアの<フーイー>や、キーファーの<アタノール>など表現主義に分類される作品のいくつかは、2018年末頃に同美術館で開催された「ニュー・ペインティング」展での記憶を再び思い出させてくれた。

作品として印象に残っているのは、高崎元尚の<装置>と<COLLAPSE 現代美術の崩壊>だ。一種のダダイスムを体感することができた。

全体として展覧会の内容は、美術館に対する「親近感」を抱かせてくれるものであった。いままで美術館を、「生活から遠いところにある謎めいた箱」として認識していた一般市民に、その箱の中身を見せてくれたからだ。これまで美術館がどのような作品をどのように集めてきたのか、どのような危機を乗り越えてきたのか、いまどんな危機に直面しているのか、展覧会はこれらを一つ一つ明らかにしてくれた。

地方美術館の未来は「希望に満ち溢れ、光り輝く確実なもの」とは言い難い。だが、この展覧会は未来への「可能性」を感じさせてくれるものであった。自らの課題に向き合い、開かれた視点を大切にしながら、展示を企画しようとする姿に、強く好感を持つことができたからである。都市部の美術館にはない地方美術館としての、一つのあり方を見たように思う。

新型コロナウィルスの発生に伴う県の自粛要請により、実際に展示が公開されたのはわずか7日間で、関連行事もすべて中止となったことは非常に残念だ。高知県立美術館の前向きな姿勢が、今後の展覧会で市民に見届けられるよう願っている。




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