おとなになるのがたのしみなおがになるためにvol.1

2025年4月、保育所型認定こども園「船越こども園」の新設が予定されています。この連載は、設計を手がける建築家の三浦丈典さんが男鹿の人・もの・暮らしとのであいを通して「未来の男鹿にどうあってほしいか」をテーマに市民の今の願い、思い、小さな声を集めた記録です。(全6回/隔月連載)

今回は大龍寺の三浦賢翁さんにお話を伺います。
ライブやアートイベントなど、従来のお寺の使い方の枠を越えてまちにお寺をひらく試みを長年続ける三浦賢翁さんの原動力とは?

登壇者
●大龍寺 住職:三浦 賢翁
●株式会社スターパイロッツ:三浦 丈典
於/大龍寺

表現は違っても根っこは同じ


三浦丈典(以下、丈典) 大龍寺や住職について事前に調べていたら、普通のお寺とは違う取り組みをいろいろとされているのを拝見して、今男鹿で活動されている小さな灯火がどんどん増えていくとこれからの時代にフィットするのではないかな、と思っていて。今日は住職のこれまでや男鹿のこれからについてお話をお伺いして勉強したいと思っています。


三浦賢翁(以下、賢翁) 僕は駒澤大学を卒業して、永平寺に3年いたんですね。


丈典 駒澤大学! 仏教学部がありますもんね。


賢翁 そうです、仏教学部。曹洞宗の大学なんですよね。
永平寺に3年いたんですけど、もっと広い世界を見てみたいなと思って、バックパッカーとしていろんな海外を回りました。


丈典 それは20代のころ?


賢翁 永平寺を出てからだから25歳くらい。8ヶ月旅行しては、帰ってきてお金作って、また8ヶ月旅行してというのを繰り返していました。

丈典 へー! 楽しそう!

賢翁 海外のお寺は結構活発に動いているんです。日本のお寺はどちらかというと先祖崇拝、葬式法事が主体ですけども、海外のお寺は教会と比較されてしまうので活発にやっていかないと人は集まらない
最初にお邪魔したのがロサンゼルスのリトルトーキョーにある曹洞宗のお寺でした。貧乏旅行なんで「お茶でもご馳走になれればしめたもんだ」と思って行ったら案の定お茶を出してくれて、今度はランチにも誘われて、ランチが終わったら、「実は人手不足だからもしよかったらしばらくうちにいてくれないか」と言われて、じゃあというので3ヶ月結局そこで居候させてもらいました。

いずれお寺を継ぐ身としては、少しのあいだお寺というものから離れたくて飛んでアメリカまで行ったんですけど、結局坐禅してたり精進料理食べてたり、お経唱えたり、結局日本にいても海外にいても同じことをやってるなっていうか(笑)孫悟空の話じゃないですけどお釈迦さんの手から離れてなかったなあって。


丈典 アメリカでは、説法は英語でやるんですか?


賢翁 そうですね。お経も、般若心経を「ハートスートラ」というのですが、ハートスートラで(英語で)読経することもあります。そのへんは柔軟にカスタマイズする「アレンジ思考」があって。
あとは、花輪。今はあんまりないですけども、私が永平寺にいた頃は田舎の方では特に葬儀のときに花輪が飾られていたんですよ。日本のイメージでは葬儀の花っていったら菊とかですよね。


丈典 そうですね、仏花ですよね。


賢翁 それがアメリカに行ったら、赤いバラだったんですよ。


丈典 えぇー!!


賢翁 赤いバラをハートの形にさして、LOVEとかって書いてたりして。日本のものとして花輪があるんだけど、アメリカ風にアレンジされていました。

ベースの思想っていうのは宗教を超えていて、たとえ他の宗教であっても通じるものがあるなと思っていて。

賢翁 例えばですね、日本だと人が亡くなったときの埋葬はほぼ火葬ですが、風習が違うと土葬にしないといけないっていうのもあって。
風習の違いっていうのもあるとは思うんですけど、心情としてはゆっくりと土葬して自然に還るスピードでゆっくりとお別れしたいんだと。急に火にかけて急にパッとお別れはしたくない。日本の仏教でも、七日、二七日、三十五日、四十九日があって、ゆっくりと時間をかけてお別れしたい、っていう思いがあるので、根っこにあるのは同じだなと思って。


丈典 なるほどなるほど、手段が違うだけで。仏教の根っこの部分の、表現が違ってもいいんだ、方法が違ってもいいんだ、という経験もされたんですね




自由なアイディアがお寺を育てる


賢翁 海外を回って帰ってきて、ある程度英語とかも話せるようになった頃に男鹿に住んでいる男性のALT(外国語指導助手)と知り合いました。秋田のALT同士はネットワークがあるんですよね。週末ごとに今週はここでパーティー、来週はあっちでチャリティイベント、来週はこっちで相撲大会、とか結構みんな仲良いんですよ。
その中で、例えば車が欲しいんだけどどうしたらいいか、とか、こういう場所探しているんだけどないか、とか、彼らにとって日本・男鹿の生活で難しいことのお世話をしているうちに仲が深まって、そこでこのお寺を使ってなんかしようよっていうことになりました。お寺を今のようなかたちで活用し始めたのはそれが大きなきっかけですかね。
最初に大きなイベントをやったのがバイリンガル劇でした。英語と日本語で脚本をALTの1人が書いて、大学で演劇を勉強した人が演技指導をして。


賢翁 そのときは僕もキャストで参加しました。僕は当時ロッククライミングをやっていて、ハーネスを持っていたんですよ。それを使って、龍王殿の2階から降りてきたんです。


丈典 えー! すごい。普通ね、罰当たりー! とかそんなの危ない! とか言われるよね。


賢翁 最初は、劇一緒にやる人たちにも内緒にしてたし、実は僕、その劇の1ヶ月前に足を骨折して入院してたんですよ。その手術をしてくれたお医者さんも見にきてくれてて、その先生がいちばんびっくりしてました。(笑)


丈典 (笑)


賢翁 帰るときに「三浦くん、もう大丈夫だね」って言われちゃって(笑)


丈典 (笑)
なるほどなぁ。なんとなく腑に落ちたというか納得したんですけど、日本で社会的な活動している方って、なんとなくなんかやってあげようみたいな感じでやる方が多いんですけど、そうするとなんかちょっとわざとらしかったり、ニーズとマッチしてなかったり、押し付けがましかったりする場合があるんですよね。
でも今の住職の話を聞いてると、外国人の方のALTのコミュニティの「こういうことやりたい」というニーズから先に来ているんですよね。それを受け入れていくうちに、お寺のキャラクターができてきた。それがすごくいいですよね。

日本人はお寺に過大なリクエストってしないじゃないですか。でも彼らは公共空間とは地域の人々がクリエイティブに使うものだ、という経験をしてきて育ったので、当然お寺もこんなふうに使わせてくれない? というイマジネーションがわくし、空間を使うクリエイティビティがきっとあるんですよね。

賢翁さんが劇中にハーネスをつけて登場した龍王堂(これはかなりの迫力!)


お寺は最先端な多目的公共サービス?


賢翁 彼らはお寺の使い方も、うまいんですよ。せっかくあるものは生かさないと、という思いがあるから、一幕は本堂、二幕は位牌堂、三幕は龍王殿、四幕は中庭、で、また本堂に戻る。一幕ごとにガイドが旗振って次はこっちですよーって案内するんです。お寺も生きるし、演劇も生きますね。

丈典 その脚本を書いた方から見たらこのお寺は演劇のステージで、僕だったらこう使う、こうだったら面白いよねっていうのを提案してくれたんですね。そして、逆に住職はそれを面白がるっていう。


賢翁 そう。そういう発想もあるのね、っていう。皆さんどんどん新たな発想が生まれてくるんですよね。


丈典 よく言うんですけど真っ白い紙を渡して自由に描いてくださいって言うよりも、下絵とか補助線がなんとなくあると想像力って膨らんでぶわぁーっとペンが進むんですよ。だからお寺に、本堂と、お庭と、っていろんなところがあると、じゃあここでこうやってこうやって、って想像力が膨らむ気持ちがよくわかりますね。お客さんからまた教えられますよね、我々が。


賢翁 教えられますね。2021年12月に長男がこの寺で絵の展示会を企画したときは、さて、お寺のたくさんの絵をどうやって展示するんだという話になって。
でも、実際お寺で展示会をやってみたらみんなが工夫して椅子とテーブルを組み合わせて絵を並べていて。なんとかなるんだなあと思いました。それを考えるのもまた楽しんでくれたというか。


丈典 本当は公民館とかギャラリーがそのために作られてる場所がすでにあるのに、そっちじゃなくて大龍寺でやりたいっていう人がいるのって、すごいですよね。


賢翁 昔はやっぱり地域で唯一広い場所っていうのがお寺くらいで、もともとはいろんなイベントで使われていたんです。でも寺請制度っていうのもどんどんなくなっていって、そして、残ったのが葬儀とか法事とか。でもかつては公民館のような感じでいろんな場面で使われていたんですね。


丈典 さっきの根っこの話につながりますね。もともとお寺はみんなに使われる場所だったんですよね。
これからの時代の流れとしては、行政はだんだんお金がなくなっていくので、公共投資とかがどうしても減っていくことになると思います。そのときにこれまで公共が担っていたいろんなサービスを民間の人たちが楽しく引き継いでいかないといけなくなってくるので、おそらくお寺っていうのは最先端な多目的公共サービスになっていくんだろうと思います。


賢翁 今、コンビニが男鹿市で10軒くらいあるんですけど、お寺は何軒くらいあると思いますか?


丈典 ん~……、10軒くらい?


賢翁 お寺は、40軒あるんですよ。


丈典 ほ~!! コンビニより多い!


賢翁 本当にそうですね。昔は歩いて行ける距離にお寺があるっていう感じだったんですよね。
でもね、だんだん人口が減っているのでお寺の数よりも住職の数、坊さんの数のほうが減ってるんですよ。だから1人の坊さんが2つ、3つのお寺を兼務しているというのが現状です。その次のステップとして、お寺の維持もお金がかかるのでお寺の建物をなくしますという方向になっていくことが予想されます。だから今は男鹿のお寺の数は40だけど、これから何年かで数は減ると思います。

だからこそ、これからは住職の考えでお寺をどういう場にしていくのかは大切だと思っています。時代に合わせて、人の話をよく聞いて、何に不安を抱えているかとか何を問題にしているのか、安心して生きられるような仕組みづくりを考える必要がある。これからのお寺で何ができるのかっていうのは、人の話を聞いて、その上で行動していかないと。

賢翁さんのお父様が住職を務めていた頃、三遊亭圓楽さんが講演にいらしたときの様子。
今でこそお寺を自由に使う人は増えましたが、大龍寺は当時からお寺をまちにひらいていたことがわかります。



自由な空間が人を育てる


丈典 例えば展示会をしたいとかイベントをやりたいですという際に、規則とか契約書とかはないんですか?


賢翁 ないですねぇ。


丈典 ないですよね。それがやはりよくって。
僕もいぜん、シェアオフィスを経営していたんですけど、僕、初めてシェアオフィスを経営したので規則っていうのが思いつかなくて、僕が面白いと思ったらいいし、僕が嫌だと思ったら嫌です、だから相談して、っていう今の住職みたいなスタイルでやっていったら、使ってくれてる人たちがすごく面白がって、自分ごとで「じゃあこういうのはいいの?」とか「こういうことしたいんだけど」って言ってくれるようになったんです。
ルールが先にあると、なんでそのルールが書かれているかっていうのを誰も知らないのに、「それはダメってなってるので」、「規則なのでそれはできません」ってなっちゃうんですよね。大龍寺はそういうのがすべて撤廃されているから、使う人たちにとって自由な表現な場所になるんですよね。


賢翁 規則化されちゃうとできることって限られてきちゃうんですよね。


丈典 本来絵を飾るために作られた場所じゃないからこそ頭を使う。でもねぇ、そういうのって日本人は得てして苦手な傾向がありますよねぇ。
僕らも設計や、施設をプロデュースするときに、普通の発想だと、〈演劇をするための場所〉とか、〈勉強するための部屋〉とか、〈本を読むための席〉とか、空間が場所の活動を勝手に決めちゃうんですけど、そういうのって全てに通底していて。

例えばうちには小学生のこどもがいるんですけど、まず初めにルールを聞くんですよね。「ここでは靴を脱ぐの?」から始まって「ここではおしゃべりしていいの?」とか「これをやったら怒られるの?」「これは禁止されてるよね?」とか先回りしちゃう。
だから親としては「ルールは気にしなくていいから、とにかく自分はどうしたら気持ちいいのかとか、ここで何したいかを考えるところから始めよう」って言うんですけど、なかなかそうはできないんですよね。やっぱり、理由はわからないけど校則があるとか、誰が決めたかわからないけど規則があるとか、公園の禁止事項がいっぱいあるとかが当たり前になっていてね。
でも、今の住職のお話だと外国の方が仏教のこととかお寺のことをそんなに知らないけども、私だったらこう使うみたいな、お寺をキラキラさせる発想とか、自由な想像力がある。それがすごく羨ましくて。そして、それを受け入れる住職がいるっていうのがいい関係だなって思いますね。

キャストのみなさんと賢翁さん(最前列右)



遊び・暮らしは発想次第


丈典 今の話でなんとなくもう見えてきたんですけど、男鹿のまちが他と違ってどうなってほしいかな、とか、お寺を越えてまち全体がどういうふうになると、これから50年・100年と男鹿の人たちが幸せかな、豊かかな、というなんか思いやイメージみたいなのありますか?


賢翁 やっぱりこの空間や今あるものを存分に生かしきるということですかね。恩恵にあずかるというか。そういうのが大切だと思いますね。


丈典 うん、すごく共感します。


賢翁 男鹿はね、遊ぶところがいっぱいあって面白いですよ。最近だとボルダリングができる施設なんか人気があるようですけどあれは人工壁じゃないですか、入道崎にいくと本物の岩で登れますし。


丈典 うちの子をボルダリングに連れて行くじゃないですか。そうすると制限時間とか施設のルールばっかり心配をするんですよ。本当に遊びに没頭するときって時間とかルールなんて関係なくて、周りが見えなくなってガーって集中するじゃないですか。そういうときに脳っていちばん成長するんですって。だから本当に男鹿なんかに連れてきて、海なり岩なりで遊べ! っていうのはやらせてあげたいですね。


賢翁 そうですよね、うちの場合は、私は生まれ育ちがここのお寺なので、当時はその辺の木に登って遊ぶのがいちばんの楽しみだったんですね。タイヤをロープで吊るしてブランコにしたり、木と木の間にロープをかけて手製のジップラインつくったりとかそういう遊びばっかりしてたんで。


丈典 ご自身がそういうのを実体験としてやってたんですね。お寺を使いこなすというかね。


賢翁 男鹿って子育てにすごくいいところだと思うんですよね。都会だと窮屈なところもあるんじゃないですか。でも、男鹿は、20~30分もあれば山にも行けて、寒風山からいい景色が見れるし、海にも行けるし、野原でのびのび遊べるし、木登りも、虫取りも、山菜採りも、いろんな自然と触れ合うこともできます。
人工物は少ないけれど、自分の発想次第でいろんな遊びもできるし暮らし方もできる。規則に縛られてると自分の道が開けないんですけど、それから開放されるといろんな生き方もできるし使い方もできる、そうすると豊かな暮らしができるのかなあって


丈典 男鹿のこどもたちは自由な環境だからこそおもしろいおとなに育っていくんですね。そういうおとながたくさんいるまちは楽しいだろうなぁ。

いやぁ、本当に良いお話が聞けました。ありがとうございました!


「自由な場所が人を育む」というのはお寺にも、子育てにも共通するというお話を伺って、子ども園にもそれが大事だよなあとうなずく三浦丈典さん。最後は鐘をひとつきして心を落ち着かせて大龍寺を後にしました。

次回は、男鹿に移住し、遊漁船の船長などを務める「エビ蔵」こと、蝦名和加子さんに男鹿での暮らし・巡り合いについてお話を伺います!


三浦丈典 Takenori Miura
建築家、スターパイロッツ代表。1974年東京都生まれ。大小さまざまな設計活動に関わる傍ら、日本各地でまちづくり、行政支援に携わる。著書に『こっそりごっそりまちをかえよう。』『アンビルド・ドローイング 起こらなかった世界についての物語』『いまはまだない仕事にやがてつく君たちへ』(いずれも彰国社)がある。


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