【コラム3回目】新時代の歌姫「Ado」。今後の音楽はどう変化してゆく?
こんにちは。
3回目は歌い手・Adoについて書いていきます。
Adoは今年のワンピース映画のキャラクター・ウタの歌唱を担当しているので、公開前に私の見解を書いておきたいと思っていました。
私はこの記事を書く上でプロとアマチュアは切り分けて説明したいのでまずはデビューしてからのAdoのことを書かせてください。
(AdoさんのことをAdoと呼び捨てしているのは中立に書くためです。ファンなので普段はAdoさんと呼んでます。呼び捨てだからといって敬意がないわけではないことをご了承いただければと思います)
突如現れた「うっせぇわ」という楽曲で世界的にも認知されたAdo。歌ってみたの投稿なども賑わい、テレビでも流れていましたね。
ランキングもいつも上位でした。
Adoはまだ未成年なので、この頃は高校卒業のあたりで収録したものだと思います。歌詞も、まだ大人になりきれてないような、でも大人になっていく途中のような、そんな印象がありました。
それをまだ成年にもなっていないAdoが歌う。これは現代のリアルな声だったと思います。実際に、Adoも共感しながら、気持ちを乗せて歌っていたかも知れません。歌詞に特徴があるのでAdoと同世代の子たちが気に入るのも納得できます。
次にAdoは「ギラギラ」をリリースします。
「ギラギラ」はヴィランを制作した、てにをはさんで、この方は小説も書いているため言葉の選び方のセンスがいいです。ハッとさせられる1行が、いつもどこかにあります。私がこの「ギラギラ」という楽曲でまず目に止まったのは冒頭の「あーもう本当になんて素晴らしき世界 んで今日もまた己の醜悪さに惑う」です。素晴らしき…というのは本来明るい意味で表現しますが、主人公にとってはここは素晴らしい世界ではなく、孤独な世界です。海外ドラマで、コーヒーをぶちまけた女性が「まったく最高だわ!」と言うのと同じことですね。ただ、その部分をシンプルにして「ここは孤独な世界、混沌とした世界」と言う表現では、なんだか物足りないわけです。それを「素晴らしい」と表現し、孤独をさらに強調していることが分かります。主人公は一人ぼっちを既に受け入れ、「これは素晴らしい世界なんだ」と一種の思い込みで自分を保っていると言えます。
Adoさん自身も、冒頭の声は低音で始まり、素晴らしいという明るい言葉を歌いながらもどこか嬉しくないような、不満なような、そんなトーンで歌っているので明るい歌ではないんだなと言うことが冒頭ですぐにわかります。なのでこの一文で始まるインパクトが私には輝いて見えました。
実際この歌は救いようのない歌で終わらせても、Adoの歌唱力で映えた歌だったと思います。でもストーリー仕立てで、主人公は少しずつ気力をとりもどしていきます。神様は私を、利き手じゃない左手で作った。と悲観していた主人公が、今度は、神様が利き手で作ったなら…という願いまで浮かんできた主人公。だんだんと、孤独でも前を向いていこうという意志が生まれてきています。ラストの歌詞では「ありのまんまじゃいられない、 誰も彼も。なんて素晴らしき世界だ。」と一歩進んでいる様子が見られます。同じ「素晴らしい」と言う言葉でも、冒頭とは正反対の意味で使用し、ラストで対比させているわけです。この歌詞の作り方はとてもバランスが良く、文章の上手なてにをはさんらしい歌詞と言えます。小説や詩の一節のような作り方です。
まず、Adoとこれからの音楽を語る上で、Adoの初期のデビューソングを振り返りました。Adoは様々なボカロPからたくさんの楽曲を提供されています。Adoは一度も歌詞は書かず、作詞と作曲は歌づくりに慣れているボカロPさんに託しています。初音ミクの声を乗せたデモテープが届き、それにAdoさんの解釈で肉付けして歌っていくようです。てにをはさん、DECO*27さん、すりぃさん、Kanariaさん、まふまふさん、Neruさん、柊キライさんなどなど…。
2007年に「初音ミク」というソフトが出ました。
当時私は中学生でしたが、この電子音に慣れず、歌い手の歌ばかりを聞いていました。あの頃はポツポツと人気曲が出てくるくらいで、今のようにボカロが圧倒的に目立つ存在にはなっていませんでした。初音ミクを動かすことを「調教」と言いますが、その頃は使っている人も少なかったため、短めの歌や替え歌など、ただオリジナルメロディに乗った電子音が大量に作られている、といった印象でしたね。
ですが時が経つにつれ、ボカロPが大量に現れ、たくさんの人気曲を世に出しました。そして複数の歌い手がその1曲1曲に人間の声を当てて、歌っていきました。その様子はマラソンでバトンを託していくような、そんな広がり方だったのを覚えています。曲数が多いのと、まだ私が電子音に慣れていないこともあり一時期敬遠してましたが、その間も初音ミクの特性を活かした楽曲が沢山発表されていきました。
初音ミクの特性といえば、「調教」をすれば幅広い表現で歌を歌ってくれるところにあります。ようは、ボカロPの腕次第ということですね。高音も低音も、DTMなのでボカロPさんのセンスと表現力で制作できる。それを世に出して、視聴者は歌ってみたを投稿し、また歌の知名度が上がり、広がっていく。
最近は、このボーカロイド「初音ミク」の役割をAdoという歌い手がバトンを受けたように感じます。テレビでsyudouさんが言っていましたが、うっせぇわの製作中、一度もAdoには会ったことがないんだそうです。初音ミクが歌ったデモテープをAdoに送り、それを受け取ったAdoが多彩な歌声で視聴者に飽きさせない工夫を盛り込んで歌う。
いわば、感情をもったボーカロイド(人間)がついに誕生したわけです。
いろんな工夫で初音ミクにも感情のような表現をつけることができますが、人間の歌った歌には敵わないと思います。初音ミクのこの無機質な電子音が好き!という方もいるので、そこは好みだと思います。なので、好きな方は初音ミクの歌を沢山聴いてくださいね。
2022年。Adoは「ONE PIECE FILM RED」という映画に出てくるウタという女性歌手の歌唱役をすることになりました。
今回はボカロPからの提供ではなく、シンガーソングライターとして活躍している方からも提供されています。中田ヤスタカ、Mrs. GREEN APPLE、Vaundy、FAKE TYPE.、澤野弘之、折坂悠太、秦 基博、、個人でライブを開いて、集客することのできる方々ばかりです。
私はこの楽曲提供のメンバーを見て、今後音楽がどう変わるのか気になりました。Adoはまだ19歳の女性ですが、こんなに沢山の才能を持った方々と関わり楽曲を作っています。それは今まで初音ミクが数々のボカロPに「調教」され名作を生み出した歴史と同じではないでしょうか。
最近だと、若い世代(わかりやすく学生〜20代のことを指していきます)はボカロ曲に興味津々で、歌ってみたの投稿や踊ってみたの投稿が多くあります。その陰で、シンガーソングライターの方たちの苦悩も見えます。素人でも歌が上手な人が沢山いて、作曲や作詞をしている素人が沢山いるのですから。でも今回ボカロPの曲だけじゃなく色々なアーティストの曲を歌うAdoの登場でシンガーソングライターも、ボカロPのような活動ができるかもしれませんし、既存の曲をいろんな方に知ってもらえる機会にもなると思います。
シンガーソングライターの歌や、最近デビューしたアーティストもテレビに出演したり等露出が多くなっていますが、最近はサブスクなどで音楽を気軽に聴けるようになったため、テレビで好きな曲を探す機会が減っているように思えます。
今まで、初音ミクに歌を作ったボカロPは素人からのスタートで、だんだんと知名度を上げてきました。
ですが、ワンピースの今回の映画のように、「作詞作曲ができたり、単独ライブができるほどの実力者がAdoに曲を提供する」ということは、個人的には大事件だと思います。
現在、「新時代」「私は最強」「逆光」が配信リリースされてますがどれも良い曲で、メロディも歌詞のメッセージ性も強いものです。ワンピースの世界観も壊していません。
今まで電子音で音楽を作って世に出すのがよくあるルートでしたが、今度は再び人間に歌わせるという、時代と逆行した(あるいは戻った)音楽業界になりつつあると思います。
歴史は繰り返す、とはこういうことなのかと思います。人間の生の声はやはり十人十色で天性のものですから、歌う人によっていろんな表情が出てきます。
ONE PIECE×Adoのこのプロジェクトは大きなもので、非常に話題性のあるものです。どんな楽曲が今後出てくるのか楽しみです。
今後のAdoの活躍に、期待しています。