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首,吊り自,殺未遂レポ

どうもお久しぶりです。冬瀨です。
ここ最近は精神的に限界すぎて大変でした。
まあ、今もですが。

昨日の話です。
僕は、9月19日に首を吊って死のうとしました。
まず、動機から。
僕は9月15日に大量に薬(O,D)を飲んでぶっ倒れたのですが、そこから回復して9月19日の深夜に、大量に服用して苦しい思いをしたというのに、またO,Dしたいと思っていました。
その夜もずっと死にたくて死にたくてたまらないという感じでした。
ですが、流石に自分でもまずいと思い、何とか堪えました。
この時はまだ正常な判断力はあったぽいですね。

相変わらず希死念慮はあったので、寝れば治るかなと思い、ベッドに入りました。
そして、寝落ち出来ればいいなと思いながら、ぼーっと真っ暗な部屋でスマホをいじっていました。
これが良くなかったです。
ログアウトしていたTwitterにログインし、ここで違和感に気が付きました。
僕がいつも仲良くさせてもらっていた友達にTwitterをブロ解されていました。
まさか、と思いLINEやディスコも確認したのですが、全てブロ削。
もう言葉に表せないくらい絶望しました。
1番と言ってもいいくらい、好きで、信用していました。
そんな人に全て切られて、僕は何を信じればいいのか一気に分からなくなりました。
そういうつもりじゃなかったのかもしれない。
だけどその時の僕は 嫌われて、見放されたと思うことしか出来ませんでした。
考えることも段々出来なくなって、そこで色々吹っ切れました。
死のう、と。
死にたいと言うより死ななければならない と思っていました。
もう生きていてもいいことがない、唯一の居場所だったネットも、もう頼れない。
僕がずっと病みツイしたり、死ぬって言ったりしたせいで、最初こそは皆心配してくれたけど、「ああ、またこいつか」って呆れられて、見放されて って、そんなことはないのにマイナスな考えばかりしてしまい、段々と自制できなくなっていました。

僕は直ぐにベッドから出て、引き出しから薬を取り出しました。
もう何でも良かった。
適当に、色んな薬を飲みました。
あまり覚えていませんが
・ブロン
・レスタミン
・鼻炎薬クニヒロ
この3つを大量に併せ飲みしたと思います。
薬が効くまでの時間、ずっと泣いたりイライラしながら、またスマホを見ていました。
スマホを見ていれば見ているほど辛くなってもっと頭がごちゃごちゃになりました。
そこからは、多分数十分くらい眠っていました。
恐らく、レスタミンの副作用です。
目覚めた時には、寝る前よりかは落ち着いていたのですが、希死念慮は相変わらず。
むしろ冷静になっていた時の方がヤバかったと思います。
この時にはもう薬は完璧に効いていて、視界がぐわーってなっていました。

無心で、ロープを取り出し、クローゼットの中のタンスをどけて長さを調節しながらロープを括りつけました。
何回も試したのですが、中々長さが合わず数時間は同じ作業を繰り返していました。

やっと合って、早速首を吊ろうとタオルを首に巻いて縄に首をかけました。
足の離し方がイマイチ分からず、上手く浮けなかったのですが、それでもロープの位置が高いところにあったので首が締まり始めました。
初めて数秒のところで、喉仏というか喉の奥ら辺が、ぎゅっとなり首から上がじわじわと熱くなる感じがしました。
頸動脈もずっとどくどく鳴っていてとても怖くなったし、何より苦しかったです。
一旦、膝をついて落ち着こうとしました。
何度も自分を説得しました。
早く死ね、楽になれる、解放される、恐怖心を捨てろ、何も考えるな、

時間は覚えていないのですがそれをしているうちに、外は明るくなり始めていました。
やっと整い、また首に縄をかけました。
一回目とは体勢を変え、足を前に出して行いました。
苦しさは余り変わらず、喉がぎゅっと締まる感じが段々強くなってきました。
頭がぼーっとしてあまりそこら辺も覚えてないのですが、無意識に体が暴れていたと思います。
その時間はちょうど親が起こしに来る時間でもあって、音の異変に気づいたのか親が僕の部屋に来ました。
驚いた声で何か言っていました。(何を言っていたかは聞き取れなかった)
親は僕からロープを外し、僕をベッドの上に座らせました。
その時には咳き込んでて、耳の周りでざーっというテレビの砂嵐のような音が鳴りました。
視界も、その砂嵐のように目の前が白と黒の斑点?みたいなのでいっぱいになってからじわじわ元に戻っていきました。

母親が僕に言った最初の言葉は
「親不孝が。」
でした。
怒られるのだろうとは思っていましたが、まさかそんなことを言われるとは思いませんでした。
その後も
「そんなに簡単に死のうとして、軽い命じゃないんだよ?」
「こんなに愛情入れて育ててきたのに」
「あんたのためにどんだけ金かけたと思ってるの。去年だって塾代払って、うちは三人兄弟で大学の費用も大変なのに」
等。
大体こんなことを言っていたと思います。

確かに、ここまで育ててくれて金銭的に不自由も無かったし
こんなことをするのは親不孝だって、僕も理解していました。
ですが、少しは 死ぬまで限界に追い詰められていたのだから、優しく寄り添って欲しかったと思いました。
1番、頼りたい、理解してもらいたいような人に 怒鳴られ、挙句の果てにはお金の話しかしてくれず もう僕はわからなくなりました。
その後は、病院に連れて行ったりしてくれるはずもなく
「そんなとこにいるからこうなるんだよ。早く学校の支度しなさい遅刻する。駅まで送るから早く準備して」
とだけ言われました。もう反抗する元気もなかったので、何も考えないようにして制服に着替えたりしました。
車に乗ってる最中も色々言われました。
「何が嫌なの?勉強?友達?先生?」
違う、と言うと、ため息をついて じゃあなんなの?言いました。
怖くて僕がすすり泣き始めると、母親は呆れたように
「そんな学校が嫌?じゃあいいよもう行かなくて好きにすれば。」
とだけ言って引き返し始めました。
ここで僕は、  
あ、この人は僕のことを何も分かっていないんだな と思いました。
自分の子供が将来失敗しないために、自分が正しいと思ってる理想や完璧なことを全て押付け縛る
愛情を履き違えているし、死にたい理由だって何度話しても伝わらないし、全て僕の生活習慣やネットに洗脳されてる などで済まされ
表だけでしか話を聞いていないのだと思いました。
僕は泣きすぎて声が震えて上手く喋れなかったけど
「親のせいだよ」
と言いました。
母親は納得いかないような様子で「は?」と言いました。
「なんでこんな辛いのに理解してくれないの、モラハラだし、お金とかずっとそういうことばっかいうから余計に辛くなるし、そのせいでまた死にたくなるし、なんで少しも優しくしてくれないの」
今まで思ってたことを全部言いました。
伝わっていたかは知りませんが。
その後も結局変わらず、全く進まない馬鹿みたいな話を家に着くまでしました。
結局学校は行かず、その日はずっと自分の部屋でこもっていました。

結局何も変わりませんでした。
もっと自分自身の人生に絶望しただけでした。
首,吊りのやり方も見直してみます。
もっとふかふかのタオルを使ったり、すぐ気絶できるやり方を探してみようと思います。
次は絶対失敗しない
僕のことはもう誰も理解してくれないということが分かった。

ここまで読んでくれてありがとうございました。
グダグダだし文章もめちゃくちゃかもしれませんがご容赦ください。
また何か進展でもあったら書きます。

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