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都市伝説 ハイヒール・ロード
ダム愛好家の間で「幻のダム」と呼ばれるダムがある。
唯一の舗装道路は崖崩れのリスクが高いため、ずいぶん前から立ち入り禁止になっており、山を越えて歩いて行くのも厳しい、たいへんな奥地にあるためだ。
この写真を見てほしい。
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小さくてよく見えない?
ならこの写真だ。
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パッと眺めてすぐ、なにか違和感を感じないだろうか?
*****
ここで僕は、ある都市伝説めいた話を聞いた。
以前、このことを別のブログに書いたところ、いろいろな人が、気になった違和感についてコメントを書き込んでくれた。
・ダムなのに川がない。
・中途半端に作り投げ出された印象。本来はもっと拡張する予定だった?
・管理施設的なものがない。
・四角い敷地でもないのに北向きから微妙に角度付けて描かれている。
・この看板が誰のものか書いていないのが一番あやしい。
実は一番最後の書き込み、
「この看板が誰のものか書いていない」が、かなりビンゴだ。
これまで僕らが何気なく見てきたこの手の自然案内看板には、必ず右下や左下部分に「環境省」とか「国土交通省」とか「◯◯県◯◯市 公園管理課」などとシグネイチャーがあったはずだ。
だけどこの看板にはどこにもそれが無い。
消されたとか、実は裏に書いてあるとかではなく、本当に最初から無いのだ。
では、なぜ無いのか?
人づてに聞いた話なので、ここから先は都市伝説の類として話半分に聞いて欲しい。
この山奥の広大な土地を持っていたのは、なんでも昭和初期の日本で三番目の大土地持ちの、たったひとりの地主だったらしい。明治気質の硬派な人柄で、昭和初期までの長い間、調査の役人や動植物の研究者、もちろん登山者の入山もすべて拒み、山はかなり原初に近い自然状態に保たれていたという。
ダム建設の話が国から持ちかけられたときにも、当初は断ったようだ。
ところでその頃、その地主の男にはたいへんな愛情を注ぐ2号さん、つまりお妾さんがいて、自分のかっこいい所を、そしていまだ衰えぬ権力を見せつけたかったからか、ダム建設にかこつけて、あることが閃いてしまった。
それは、国のダム建設を受け入れる代わりに、“地主とそのお妾さんが散歩するためだけ”の「専用遊歩道」を、公費で、ダムの外周ぐるっとに作らせるというとんでもないアイデアだ。もちろん現在の常識で考えたらそんな横暴な要求は通るわけがない。しかし当時は事情が違った。国はどうしてもその土地を借りあげてダムを作りたかったようだ。
要求は通ってしまった。
お妾さんは当時まだ珍しかった外国製の、高さのあるピンヒールをいつも履いていた。ふつうに自然遊歩道を作るなら、土の地面を平たくならし、木製か、あるいは石積みの階段を作る程度で、なるべく自然を壊さないようにするものだ。でもお妾さんは山に来ても、ピンヒールを運動靴に履き替えて遊歩道を歩くような女性ではなかった。そこで地主はさらに要求した。
遊歩道はハイヒールでも歩けるようにぜんぶ舗装してくれ。
また、要求は通ってしまった。
ダムの工事も始まってしまっていたからだ。ちょっとの舗装を断るためだけのために、巨費のかかるダム計画事態を頓挫させるわけにはいかなかったに違いない。
そうして川浦ダム完成と同時に、立派に舗装されたカチカチの遊歩道が、
風光明媚なダムの外周に完成した。
ハイヒールのためだけの、アスファルト遊歩道。
樹木の緑が梢で輝き、高地の珍鳥がさえずり、生命力に溢れる美しい道。
お妾さんは相当喜んだことだろう。
おそらくだが、地主は硬派な昔気質の人間だっただけで、暴君だったわけではない。想像以上の遊歩道の出来を見て、地元の人や観光客にもこの美しいダムのまわりを歩いてもらいたいと心が揺らいだ。そこで、川浦谷の自然を案内する看板を立てて、この場所を公開しようと動いた。だが、お妾さんがその話を聞かされて、最後には嫌がった。
このままずっと、2人のためだけの遊歩道にしてほしいと。
だから、遊歩道はひっそりと公開されたが、案内看板に入れるはずだった署名は、最初から無かったのである。
事情を知る関係者はこの舗装された遊歩道を、「ハイヒール・ロード」と、裏では呼んでいたという。
地主はもうずいぶん前に亡くなった。
最後の写真は、現在のハイヒール・ロードの姿だ。
雑草が生い茂り、手前にわずかアスファルトが覗くものの、
もはや道があるようには見えない。
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お妾さんのその後の消息を知る者も、もう誰もいない。
・・・
あくまでも現地でたまたま聞いた都市伝説のような話なので、そう受け取って欲しいが、僕はこの話を聞き、この風景をしばらく眺めるうちに、懐かしいような、せつなく寂しいような、不思議な気持ちになったのだ。