「器用にテンプレートをつくる自分」からの脱却
日本で今の仕事をする前、あれはベトナムにいたときだ。「社交的で人と完璧に接するあなたの“ほんとう”がわからない」と、言われたことがある。大学を卒業して、はじめて社会に出て、1年ほどたった頃、だ。
大学時代からわたしは、「誰かのために働きたい」「誰かを幸せにしたい」と、事あるごとに口にしてはホスピタリティについての本を読み漁り、「ホスピタリティといえば」の、結婚式場や塚田農場でバイトしたり、客室乗務員に憧れてインターンのために毎朝5時に起きて(それも寒い冬の2月に)羽田空港まで通っていた日々なんてのもある。
そんなわたしは接客業が得意で、そしてなにより大好きで、「たくさんの人に出会える仕事がいい」と、営業の仕事を志した。(今考えても安易すぎる。)
人に「会う」ことばかりに慣れてしまったわたしは、何と言えば人が喜んでくれるのか、どんな反応をすれば場が盛り上がるのか、一種のテンプレートのようなものができてしまっていたように思う。ほんとうに、異常なくらい自分を犠牲にしていた時期が、わたしにはある。「いつも幸せそうだ」と、みんなは言ってくれたし、わたしはそれが嬉しかった。楽しかったことは嘘じゃない、のだけれど。
わたしはいつの間にか、自分の心とちゃんと会話することを忘れてしまい、「ここはこう答えるべきだ」という頭にインプットされたテンプレートを、反射的に、器用に応えるようになった。これが正解なんだと言わんばかりに周りの人たちはわたしを褒めていくので、「こうあるべきなのか」と、それがどんどん染み付いていく。
ずっと外に向けていた矢印を、わたしは内側に向けたいと思い、転職を決めたのだ。そんな自分に気づくきっかけをくれたのが、たまたま仕事で住むことになったベトナムという国だった。(この話は前にしたことがある気がするのでここでは割愛)。
ふと今日は、そんなことを思い出した。
マザーハウスの山崎大佑さんのゼミに、仕事で機会があって参加させていただいた。そこで自分の“想い”を持って語るゼミ生の方々の言葉には、情熱があって、意思があって、信念があって、どこかから借りてきたような言葉ではなく、その人たち自身から生まれているもので。それを私は、すごくすごく羨ましく思ったのだ。
「『想い』には、過去、今、未来がある。」
講義の最初に山崎さんが話していたそんな言葉を聞いて、ふと思い出したのが過去のことだった。
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誰かを幸せにしたくて、早くいろんなことを経験したくて、待てなくて、すぐに行きたくて、移り住んだベトナム(過去)と、
自分を幸せにしたくて、今自分の中にある感性や想いや思考をちゃんと大切に育みたいと思って、戻ってきた日本(今)。
そして今度は自分の内側から人を幸せにできるような。下手くそでもいいから、自分の言葉で生きていく未来を、想像した。
と、もう26歳なのに相変わらず、つまずきまくりだと思いながらも、ひとつひとつの気づきを、こうして残していこうと思うのでした。
もう長い間ずっと家にいて、ずっと椅子に座っていても、こうして気づきや感動を得られる世界を生きているんだなぁ。それが可能となった今、人に実際に「会う」ことが、これからどんな特別な意味を持つようになるのだろうか。