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あ、私は日本に帰ってきたんだ。【台湾・東京】

横断歩道を渡るときに、信号が途中で赤に変わりそうになった。4 3 2 1ってカウントダウンでわたしはふと、日本のことを思い出した。まるで日本のように都会の、台湾で。


東南アジア周遊の最終地点として選んだのは台湾。ベトナム時代の相方だったミーちゃんと、「一緒に台湾に行きたいね」と話していたのがきっかけで、旅の締めくくりは彼女と。

台湾の旅では、ハノイで起こったハプニングの話を思い出してはふたりで大笑いして、「またベトナムに行くね」「日本に留学行くからね」って、さよならした。


そしてわたしは、帰ってきた。日本に。



渋谷のカフェで、これを書いてる。東南アジアでの生活は、今思うとなんだか夢の中にいたかのようだ。


東京の街は、ちょっとだけ変わってた。浦島太郎とまではいかないけれど、ちょっとだけ。好きだったお店がいつの間にか潰れてたり、Wi-fiスポットがちょっと増えたような気がしたり、電車で見る人の耳についているイヤホンが、コードレスになっていたり。(ベトナムにもあったか・・・)


少なくなっていくSuicaの残高と一緒に少し心が消耗したり、日本に対して無駄に期待値を高く持ち、それに追いつかないと勝手にストレスを感じたりもする。飲食店での完全な一人席の壁に寂しくなる。無ければ無いでいいはずなのに、「だって、ここにはあるはずでしょう?」と、探し求めてしまうこともある。


フィリピンのジプニーのように、乗客の間で運賃の手渡しリレーが始まることもなければ、ベトナムのように突然「靴を直してあげる」と、話しかけられることもない。

日本は、助け合いが必要ないくらいに生きるのが簡単な国だ。電車やバスの路線はそこら中にあり、Grabタクシーに乗る必要もない。Wi-fiのパスワードの貼り紙は親切で、店員さんにわざわざ聞く必要もない。


そういえば、ベトナムで出会った人の話を思い出した。東南アジアが大好きだというその人に、「どうしてですか?」と理由を尋ねたことがある。


「不便だから」


当時わたしは頭の中で何度もその言葉を繰り返して、考えてた。

ああそうか、不便さって、人と人を繋げるんだなぁと電車に揺られながら思った。


でも、どんどん進化することできっとそこにはまた別の繋がりが生まれる世界がある。AIが発達して自分の好きなことだけを仕事にできたり、ネットの発達でどんなに遠くにいても、まるですぐ横にいるようにタイムラグなく会話ができる世の中に、なってるんだ。ライブ動画が流行ったりもしてね。

繋がりを失っては、また同じようなものを求めている。結局いつの時代も「繋がり」とか「愛」が大事にされるんだ。


ぼんやりとわかっている。きっと私はすぐに、この東京という街に慣れてゆくのだろうと。1年半前に、ベトナムという国に慣れたように。


*


西小山駅でたまたま入った、年季の入ったビルの中にある中華料理屋さん。そこのおかあさんが、なんだかとてもあたかかった。持ち帰りを頼んだのに、ここで食べてった方が美味しいから!って無理やり店の中にわたしを招き入れた。

「ほらね、ここで食べた方が、あっかくて、美味しいでしょう?」って言って、「おまけね」って、スープまでくれたりなんかして。



ばたばたして、忘れそうになるときがあるけど、自分が大切にしているものはどこにいても大切にって、それだけは忘れたくないなって、パリパリのあったかい餃子を食べながら思った。


なんだ、きっとわたしはまたすぐここを好きになるよ。良く見るか悪く見るかは、自分次第だ。

窓の外から、台風の音が聞こえる。


わたしは、日本に帰ってきたんだ。






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とみえり
いつも見てくださっている方、どうもありがとうございます!こうして繋がれる今の時代ってすごい