未来の“解像度”なんて
人生で「出会える」人の数は決まっているのではないか、と、ふと思うときがある。「出会える」というのは、ただ名刺交換をしてなんとなくの挨拶を交わすことをいうのではなく、ちゃんと心と心が通い合って、胸が高鳴るもののことだ。
どんなにたくさんの人に会っても、なんだか何にも出会えていないような気さえするときがある、大人になるとはこういうことなのか、きっと今はそういう時期ではないのかも、なんて、ぼんやり思う。
大人になるとなんだか周りも結婚だの出産だの、大事なものが増えていって、限られた時間をそれらにどう割り当てるのか、なんてことに頭を悩ませている。昔夜遅くまで飲み歩いていた友だちは「旦那がいるから」と嬉しそうに家に帰る。
意味もなく会う、とか、意味もなくダラダラと過ごすような時間が、なんだか最近、見当たらないな。小学生のときは、何もしないのに友だちとひたすらダラダラお菓子を食べたり、中学生のときはサイゼリヤでドリンクバーを飲みながら友だちと1日の大半を過ごすなんてことが、あたりまえだったのに。
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日本に帰ってきて、あっという間に1年が過ぎた。あと5回ほど、月の初めを迎えると、今の会社で働く年数が、わたしがベトナムで勤めた会社の年数を超えてしまう。
「文章を書きたい」「誰かを前向きにする発信がしたい」「誰かの人生に価値を与える仕事」「情熱を持った人の気持ちの媒介者として働きたい」「お世話になってベトナムに関わりたい」「いろんな場所に行って、今まで見たことのないものをたくさん見たい」「自由な働き方がしたい」「自分をもっと大切にしたい」
まさにベトナムにいるときに望んでいた人生をいま生きていて、この選択に導いてくれた、いままで出会った人たちにも、最終的に決めた自分にも、感謝、感謝。
ベトナムで働いていた1年前のわたしには知り得なかった世界を、いま、わたしは小さな小さな東京で、見ている。広い、広い、東京で、大好きな会社の最近大きくなったオフィスで、小さなパソコンの画面を広げながら、世界の情報を見て「まだまだ知らない世界がこんなにもある」と、見たことのない場所に想いを馳せている。
編集者といいながらも、いろんな仕事が舞い込んでくるので、1か月後の自分すら、何の仕事をしているのか想像があまりできない。
1年前、いまのわたしがベトナムのツアーを企画しているなんて思うはずがなかったし、四国の島々でアートに魅了されるなんて思わなかったし、「食」に関心を持ち、毎週のようにファーマーズマーケットに通うなんて思わなかったし(笑)、仕事でヨーロッパを巡る日がくるなんて、誰が想像しただろう。イベントに登壇して話す、なんて、1年前のわたしが聞いたら震えるだろうな。いまも震えるけれど(笑)
“未来の解像度”の低さは、それはもう低く、1か月先のことすらよくわからないのだから「5年後なにしているか」なんて、もうまったく知らない。でも、だからこそ行動できるんじゃないかな、なんて、最近上手く解釈している。
わかったら、怖くて進めないかもしれないから、「明日どうやって生きよう」くらいを、頭の中にとどめておこうって、思うのだ。そうして進んでいく中でわたしは、あと何人の人に出会えるかな。
連休最終日、ヨガに行って近所の美味しいカレー屋さんに行って、大好きなカフェでアイスコーヒーを飲んでいます、幸せです。最近、そろそろ違う場所に住みたいな〜、と思っています。
写真は、取材で四国にいったときに撮った写真たち。豊島アートミュージアムは、大切な人を連れてまた必ず行きたいです。