「自分の心が動く瞬間」を見たくて、生きている
「誰かの人生を、ちょっとでも前向きにできたらな。そんな仕事がしたいな」
わたしは、いつだって嬉しかった。誰かが笑うこと、誰かが嬉しくて涙を流すこと、目の前の人が喜ぶこと、目の前の人の心が揺れ動くこと。
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そうわたしにおもわせた、原体験がある。大学2年生の夏に行った、沖縄・古宇利島でのボランティアだ。福島の田舎からでてきたわたしは、あの小さな南の島での、日本中から、世界中からきた人々との出会いに衝撃を受けた。
「まだまだ自分の知らないことが、世界には溢れている」
あのとき、人見知りなんてもったいない。もっと人に出会いたい、とおもった。もっと、たくさんの人の日常を、明るくするお手伝いがしたい、とおもった。
大学を卒業して、好奇心だけを持って、ベトナムに行った。ベトナムには、大学の卒業旅行で、一度訪れただけだった。高層ビルが立ち並び、工事中の場所だらけな発展してゆく街と、道端で昼寝するおじさんに、平日の昼から珈琲を飲んでゆっくりと生きている人たち。
「人が豊かに生きている国だな」と、おもった。
仕事で出会うベトナムの人々は、ほんとうに愛で溢れていた。当時、日系企業に勤めていたわたしは、ベトナムといえどもいつも「日本人」を演じていて、「エリカはいつも忙しそう」「エリカはいつ家族と連絡をとっているの?」と、ベトナム人の同僚たちに心配されていた。
定時で帰ってしまう彼女たちにぷんぷんしながらも、次の日になれば「エリカはもっと食べなきゃダメだよ」と大量のお菓子をくれて、「夏休みはどこにいくの?ちゃんと休みを取らなければダメだよ」と、母のようにいつも面倒を見てくれる彼女たちに、たくさんたくさん、本当にたくさん、助けられながら暮らした。
ベトナム人は、自分のご機嫌を取るのが上手だ。
客がいなければ座って携帯をいじる定員さんに、私が日本に一時帰国するというと気を使わずに大量に頼んでくるお土産リスト。
それが、わたしはとても心地がよい。「誰かのために」と、生きていると、自分のご機嫌が取れなくなっていく。自分のご機嫌が取れているからこそ、彼女たちは人にも優しく、たっぷりの愛を渡すことができるのだ、と心底おもう。
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そんなベトナムから日本に帰ってきて、もう2年が過ぎた。いまは世界、日本の社会課題解決をテーマに、日本の企業で働いている。
「誰かのために」を想い、文章を書きながらも、ときどき自分に問いかける。「わたしは、自分自身を大切にできているだろうか?」と。日本で、東京で、暮らした2年間を振り返る。
そうして、いま、わたしはおもう。
自分の心が喜ぶ瞬間を見たい、と。それこそがわたしが働く理由であり、人に出会いたい理由であり、自分が生きる理由であるのだと。
そうして自分自身を大切にできる自分が、目の前にいる人を、家族を、友だちを、恋人を、同僚を、環境を、社会を、同じように大切に想えたらいいな。
わたしは、いつだって嬉しい。自分が笑うことが、自分が嬉しくて涙を流すことが、自分が喜ぶことが、自分の心が揺れ動くことが。
わたしはいま、「自分の心が動く瞬間」を見たくて、生きている。