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ラオスのビエンチャンで見つけたおきにいり

別れ際の「Nice to meet you」が、好きだ。「はじめまして」が、「あなたに会えてよかった」に変わる。

旅をしてると色んな人に出会う。お互いの職業や国のこと、今まで訪れた場所、なぜ旅をしているのかとか、他愛もない話をした後に「じゃあ、またね」と言って別れる。それがいつかもわからないのに。特別仲良くなった場合を除いて、連絡先を交換することもあまりしない。

そのくらいの距離感が、なんだか心地よかったりする。


ビエンチャンで泊まったゲストハウスはほぼ貸切で、4人部屋なのにも関わらず、わたし1人で使っていた。そしてそこの宿の受付の男の子もベトナム人だったので驚いた。「ベトナムに住んでいたよ」と言うと、みんな決まって嬉しそうな顔をする。

ベトナム人がラオスで働く理由って、なんだろう。そのベトナム人の彼は、英語はカタコトだけどラオス語がペラペラだった。一体何故なんだ・・・


わたしは毎晩、そこの宿の共有スペースでネットサーフィンをするのが日課だった。そこでいつも一緒に時間を過ごしたのが、ヨーロッパ(国の名前が長く、馴染みがなさすぎて忘れてしまった。)から来ていたグレゴリーおじさんである。

彼は昔、ジャーナリストとして働いていた。奥さんと別れてから、ずっとひとりで旅をしているらしい。無駄遣いせず、ローカルと同じような生活をするのが彼の旅の仕方。自分の国に戻るより、ずっと生活費が安いそうだ。インドがめっちゃ安くて最高、とおすすめされた。

そんなこんなで朝の市場で買った野菜にドレッシングを混ぜて食べている様子。屋台で春巻きを買ってきたようで、わたしに1本くれた。「めっちゃ安いよ」と、喜んでいた。ちょっとこわかったけど、食べたらおいしかった。


彼はビエンチャンにいる間、朝早く起きてマーケットに行き、ローカルサウナでせっせと汗を流し、夜はなにやら一生懸命記事を書いていた。

ある晩、わたしがPCを見つめていると、話しかけてきた。

「なあ、日本でわしがお笑い芸人になったら売れると思う?」

外国人が日本の歌をカタコトで歌えばウケると思うんだ。いつか、やりたいと考えている。その時はブログに拡散してくれ、と彼は少年のような笑顔で言った。


わたしがバンコクへ向かう朝、彼はのそのそと部屋から起きてきて、最後に握手をしてお別れした。

「Nice to meet you」と言って。




〜ビエンチャンの写真〜

青が綺麗なビエンチャン。基本あんまり人がいない。暑いから?

こういうところは、ベトナムと似ている。


公園が綺麗だった。ここで、昼寝をした。みんな、木の下で自由に本を読んだり、喋ったり、何かしていた。こういう場所、いいなぁ。


ご飯は、ベトナム料理に似ている。ここのワンタンが美味しかった。この茹ですぎたうどんみたいな麺が、なぜか癖になって3回食べた。


ブックカフェ。すごい、すんごいのんびりしていた。古本とかがある。たまに入り口に張り紙が。「休憩中。20分以内に戻る」


メコン川に沈む夕日をまいにち見た。夕方になると、みんな夕日を見に川沿いにぞろぞろと集まってくる。


一応、ちゃんと観光地へ・・・

わたしは間違いなく、そのときパリにいた!


*


素敵なご縁があり、ラオスでサッカーを教えているビエンチャン在住の日本人の方たちにもお会いすることができました。

まだ日本人も少ないビエンチャン。ラオス語がペラペラで、驚いた。ここに来た当初は全く話せず、部屋の中で歩き回りながら練習したと言っていた。今ではラオス語でサッカーを教えているらしい。なににも頼らず、自分の力で道を切り開いている感じがして、話を聞いていて胸が熱くなった。

タイなんかはもう、もはや大都会で、ベトナムも少しずつそれに近づいているけれど、それでもまだまだ東南アジアにはチャンスがたくさん転がっている。ラオスにいる日本人の人たちは、みんな夢があって何かしらに挑戦している感じがした。何もないところから、自分で何かを創るってワクワクする!


グレゴリーも言っていたけど、ラオスは自分の国で作った物がほとんどない。ほとんど、タイやベトナムからの輸入品。テレビも、タイの番組。まだ人件費もめちゃくちゃ安い。

それでも数年前に比べると、だいぶ都会になったと聞いた。これからこの国がどうなっていくかわからないけど、数年後にはまた違った風景になっていると思う。そのうち、東京みたいな都会になる時が来るのだろうか。

それはちょっと寂しい気もする。


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とみえり
いつも見てくださっている方、どうもありがとうございます!こうして繋がれる今の時代ってすごい