ちっぽけな個人が、人類みんなの幸せを願うことは、できないから、
ツイッターのフォロー数を増やせば、すべての投稿が見きれなくなる。フェイスブックの友達が増えると、本当に見たい親しい友達の投稿が目立たなくなる。全てを見ることはできなくて、全てを大切にすることは、できない。
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今日、オフィスでグラスにたっぷり入った水を机にぶちまけた。叫ぶ私、隣で見ていたハーさんが、すかさず大爆笑。「エリちゃん、またなの〜〜!?のび太みたい!!!」
のび太。おっちょこちょいの私のことを、ドラえもんののび太のようだとハーさんが言った。ハーさんはずっと笑ってる。そもそもベトナム人の笑いのツボの浅さは異常じゃない。
そこが大好き。いつも隣で大笑いしてくれるベトナム人といるのは、とても心地よい。私がちょっとベトナム語を真似して話すだけで、オフィスでどっと、笑いが起きる。好きな人を笑わせることが好き。
周りの人が笑ってくれるのって、いいな。(もっといい笑わせ方はあるけど)だってハーさんは笑いすぎて椅子から転げ落ちそうだった。
そんなことを、ふとおもった今日。
(おっちょこちょいはどうにかしたい。)
ちょうどさっき、鳥井さんのブログを読んで、いいな、と思った。
「誰とやるか」と「誰を幸せにしたいか」が明確になると、人生は動き始める。
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自分の幸せをもっと考えようって、ふとおもった今年の始まり。去年のわたしは、というか、今までのわたしは、みんなに好かれたがっていた。八方美人というか、八方塞ぎ美人、という方が正しかったかもしれない。
なんかふと、別にこんなちっぽけな個人が人類みんなの幸せを願わなくてもいいんじゃないか、もしかして!?!?っておもった。わかんない。まあそりゃあ願った方がいいかもしれない。でも、ちゃんと範囲を決めたら、効率的に大切な人にスペシャルな愛を捧げられるということでしょ。プライベートも仕事も、きっとそうだ。
ちっぽけな個人が、人類みんなの幸せを願うことは、できないから、
本当に大切な人だけを大切にできる人でいたいとおもう。
I have met a nice saying to agree with.
Life begins to move when these two questions be clearer. "Who do you want to do with?" and "Who do you want to be happy?"