卵の白身
こんばんは。日本初の競技パズルの国際大会であるアジア数独選手権2024in静岡から2日、やっと落ち着いて言語野が復活してきた白岡市民です。
改めて、先日のアジア数独選手権2024ではevent directorを務めました。competition director(森西さん)との違いは、向こうは競技、こちらはそれ以外のほぼ全てを扱うということです。卵で言うと白身。具体的には、当日までのスポンサー対応・メディア対応・国内外の参加者対応を行いました。この半年で関係者各位に送ったメールの数は500通に上りました。
もっと遡ると企画段階から関わっていました。済州島で行われた前回大会に選手として参加し、日本開催の気運が高まったのが昨年の1月(前回大会の様子についてはこちらの記事をご覧ください)。その後、予算を組んだり有識者と大会の構想を相談したりして企画書を作り、当時スタッフだった日本パズル連盟やアジアのパズルコミュニティに開催を認めてもらいました。このあたりの経緯はまたお話しする機会があるかもしれません。
時計を戻すと、大会前々日に会場入りして大会前日は主に海外勢の到着時刻等のやり取りと駅にお迎えに行く人の派遣。大半はなんやかんやで無事受付を終え、あとは終電で来る1名のみ。23時過ぎに意気揚々と静岡駅に赴いたところ、その参加者から終電を逃したという悲報が届きました。マジで言ってる?明日の朝何時に静岡駅に着くかわかったら連絡してねとメールした後、よくわからないテンションのまま、ホテル周辺の飲み屋でスタッフのSさんとKさんに牛串をおごってもらいました。ありがとうございました。
当日は、何故か朝7時に静岡SAで助けを求めている上記の参加者を救うべくタクシー会社に片っ端から電話したり(結局自力でヒッチハイクして来た)会場に送り届けたり、メディアの取材に応えたり、物販ブースで売り子をしたりといった遊軍をしていました。そんなわけで当日は決まった仕事をほぼ何もしておらず、一日を通して司会・会場スタッフ・採点スタッフをされていた方々には頭が上がりません。
ありがたいことに表彰式で上位者を読み上げる役割を与えてもらいましたが、自己紹介の機を逸したので誰だこいつはとなっていたかもしれない。途中でいたたまれなくなり半分ステージ横の音響部屋の外壁に張りついていた。事前に音響部屋で表彰対象全員の読み仮名を調べてメモしていたのでSinchaiの名字を一息で言えたのはよかったです。Rungsangrattanakulに気を取られすぎてHighryllで噛んだ。
大会後に、関係者のみなさんの競技・交流・観光を楽しんでいる投稿や写真を拝見し、またこれの実現に至るまでのnoteではお話しできないような数々の苦難を思い出し、ホテルと新幹線と家で3度泣く限界パズラーになってしまったのが昨日。さわやかのハンバーグの写真を見て涙を流したときはさすがに病気かと思った。壊れた蛇口?
情緒が限界を迎えている一方で、理性もまた大会が無事終了したことを受け入れられておらず、まだ参加者から大会に関する質問が来るような気がして運営事務局のメールボックスを見てしまいます(帰国していない海外参加者もいるのであり得なくはないのだけれど)。多分弱火で少しずつ理解していくのでしょう。
最後に。私は自分の目にした忘れられない景色を勝手なことにみなさんにも見てもらいたいと考えてしまう性分で、今回はそれが国際大会、アジア数独選手権でした。などと偉そうなことを言ってみましたが、実際は協賛企業・作家・スタッフ・参加者の多くの方々に支えられて成功した大会であり、むしろ私の方が当初想像もしなかったような素晴らしい光景を見せてもらえました。関係者の皆様に感謝申し上げます。
特に、一年前の企画当初から二人三脚で本大会を成功させるべく奔走してきた、突然の人員減で卵の黄身以外の仕事もお願いすることになってしまいましたが堅実に対応してくださったcompetition directorの森西さん、途中から助っ人organizerとして自分にはない感性と能力で当日の最後まで本大会を引っ張ってくださったにょろっぴぃさん、ありがとうございました。
少し休んで、と言いつつそこまで休んでいる暇はないのですが、今後に向けて動き出します。引き続き見守っていただけますと幸いです。