2022年3月 - 今月のスナップとエッセイ
2022年3月
厚いコートと薄いカーディガン。それぞれを羽織った人々が行き交う。いつも歩いている道では、コンクリートの隙間から小さな花が咲いていた。
春の訪れを感じる。わたしは今日も、どの上着を着たらいいか、悩んでいる。
今月は、本当に撮らなかった。というより、撮れなかった。肘の痛み・指先の痺れ。肘部管症候群の再燃。利き手である。大ショック。主治医に診てもらうと、手術した神経そのものは大丈夫とのことだ。それを聞き、胸をなでおろした。
原因は、なんらかの肘の圧迫。なんらかって、寝相しか考えられない。
このことより、今月は撮れる範囲で写真を楽しんだ。
スナップ愛機のFUJIFILM X100Fはお休み気味で、写ルンですやNikon Z6の出番が多かった。X100Fはリストストラップを使い、手で持ち歩くスタイルで使用している。これは手には大きな負担だ。それなら、ネックストラップのZ6が扱いやすい。
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写ルンです
半月くらいカメラを持たない日が続いたため、リハビリのつもりで写ルンですを持ち出した。カメラ仲間も付き添ってくれた。
いつもの場所をいつもとは違うようにスナップする。シャッターを切るときめき、現像された写真を見るまでのときめき。久々にフィルムで撮影し、この感情を思い出した。
写ルンですにして、大正解だった。この時、これ以上重いカメラは持てないと思った。それでも、写真が撮れたことが、素直に嬉しかった。
もうひとつ大正解だと感じた点がある。現像された写真は、普段のわたしの視点とそうでない視点が見られた。新しい視点の獲得は、撮影スタイルをガラッと変えるといいのかもしれない。写ルンです、いい。とてもいい。
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Nikon Z6
写ルンですからしばらくした頃、用事があり東京へ。腕は二進一退で、少しずつ良くなっていた。食事で箸が使えるようになるほどの回復ぶりだ。日常が戻ってくるたびに、心が落ち着いた。
まだ不安もあったが、Z6を持っていった。首から下げればきっと大丈夫。結果、なんとか大丈夫だった。またひとつ、わたしの日常が戻ってきた。
東京で、もうすぐ入籍する友人を撮った。彼女は、わたしが撮る写真を褒めてくれる。幸せに満ち溢れた笑顔が、可愛かった。末永くお幸せにね。
また別の日には、東京を離れる友人のもとへ。腕は日に日に回復しているのを感じた。痺れはあるが、日常生活も仕事も、普段通りにできるようになっていた。
上野恩賜公園へ行った。桜は満開だった。多くの人が桜を楽しんでいるのを見ると、日本に活気が戻ってきたような気がする。
春が、来たんだなあ。
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スマートフォン(HUJI)
最近インストールしたアプリ“HUJI”。フィルムで撮ったような写真がスマホで撮れるアプリだ。何年も前からあるらしい。
基本的にカメラでしか写真を撮らないのだが、この機会に使ってみた。そしてこれ、結構楽しい。新しい遊びを見つけてしまった。
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苦しい月だった。自分の健康以外にも、悲しい別れがあったり、精神的にも苦しかった。
しかし投薬治療のおかげで、月末の今日、たいぶ回復している。もうそろそろ1日に何百枚も撮っていいような気がする。まだ早いかな?
この症状は持病みたいなもので、10代から何度もこの経験をしている。しかし、不思議なことに治るとこのつらさはすべて忘れてしまう。わたしの忘却能力は凄まじい。また再燃してしまうかもしれないから(ないことを願うが)、記録として残しておく。
カメラを持つ以前に、日常生活が大変だった。
睡眠、食事、入浴、着替え。背もたれを高くして寝返りを打たないようにする。食事は左手。入浴は、シャンプーをする動作が出来ず、知覚過敏になってるため、お湯が異常に熱く感じる。着替えは、患側から袖を通すのが鉄則。
そして、働かざるを得ないため働く。夕方には肘が疲労困憊になった。肘が疲労困憊ってなんだよ。
しかし、今まではずっとひとりだった。今回は、夫が何から何までサポートしてくれた。わたしの身の回りのことも、家事も全部やってくれた。仕事で疲れているのに、嫌な顔ひとつせず。「ごめんね」と言えば、「なんで謝るの?」とすねられた。感謝してもしきれない。
ありがとうを、たくさん伝えたい。
どれほどの時が経っても、この気持ちを忘れないようにしよう。
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来月は、撮るよ。だって、写真が好きだから。
それでは、良い写真生活を。