インランド・エンパイア~ミヤコから遠く離れて
『京都というのはいくつか府県を隔てた山の中にあって、家からは旅行と言える距離がある。
僕の住む町では慣例的に小学5年生の遠足は奈良、6年生の修学旅行は京都と決まっていた。
家が引っ越したせいで、弟は小学校と高校の修学旅行で2回も京都に行く羽目になった。
それはそれで、なかなかない経験だと思う。
旅先での男子のお土産といえば木刀とよく言われるのだけど、僕の興味は竹光―刀に向いていた。
ちゃんと鞘があって、鍔があって、抜刀できるものだ。
そんなものをお土産に買って何するんだよ、と言われがちだけど、テレビのヒーロー番組や時代劇で見たチャンバラに憧れていたのだと思う。
誰より強くなりたいし強くなれる、そう思っていた。
強くなる、というのはただケンカが強いとか、腕力の問題だけではないのだけど、小学生が頭に描く“強い”というものは、目に見える力で誰にも負けないことだった。
自信が欲しかったのだ。
自信という言葉の本当の意味がわからなくて、強い、という言葉に変換されていたのだ。
敵の攻撃をものともせず、一撃で倒すことのできる出来る武器。
それが借り物の器だとしても、自信が、強さが欲しかったのだ。
本当の敵が自分の中にいることも知らず、外敵に対して自らの力を誇示したかったのだ。
結局刀は買わなかった。
お土産を買いに出た時に見掛けた映画館ばかりが気になっていた。
なんで刀を買わなかったのか、時々考えていたが、多分みんなと”同じ”になるのが嫌だったんだと、今はそう思う。
初めて行った京都は、不思議な町だった。
修学旅行というだけあって、基本は寺社仏閣を回った。
知恩院には鶯張り、と言われる廊下があって、静かに歩くほど鶯が鳴くような音が鳴る。
忍者のような身のこなしを得ようと思ったが、今は無理だと悟った。
金閣寺には一休さんで見たようなきらびやかさはなかった。
唯一清水寺と京都タワーの高さに、忍者の身のこなしでも飛び降りたら死ねるな、と確信を持った。
見渡す限り、街や自然の風景が広がる。
ふと、目の前に見える街並みの、その窓のひとつひとつに人がいて、ひとりひとりが何かを考えていて、ひとりひとりの生活がある。
家族や、友達がいる。
そう考えてしまって、”他人”という重圧が恐ろしくて死にたくなった。
その時、僕のセカイには僕しかいなかったのだ。
そのセカイはすぐそこにいる同級生や旅行者たちを覆い隠した。
そこにいる人たちには、今そこに存在しているという認識があり、重圧は感じなかった。
見えない存在に対しての重圧と恐怖。
こんなに広い世界なのに、自分のアタマは自分の視界でしか物を見てなかったし、そのセカイの狭さに気付きもしなかったのだ。
そんな世界の狭さを抱えたまま、僕は少しづつ大人になっていった。
学年が上がり、活動範囲が広がり、いつの間にか僕のセカイも広がる中でも、僕自身とも言えるセカイのコアは変わっていないように感じていた。
大人になって芸能の仕事を始めた僕は、クリスという女の子と知り合った。
フランス人の父とロシア系日本人の母を持つ、ミックスの女の子。
色々話す中で、クリスは芸事にも効く、というお寺のことを教えてくれた。
ただし、叶えてくれとお願いしていいのはひとつだけ。
「あたし、毎年行ってるんですよ」
クリスはそう言って笑い、そこで買ったお守りを見せてくれた。
黄色い、お札のようなお守り。
僕もクリスに倣って小学生以来の京都へ、そのお寺に行ってみることにした。
お寺の名前は華厳寺、通称は鈴虫寺といった。
その名の通り、一年を通して鈴虫が鳴いている。
ここで、お茶とお菓子を頂きながら住職の説法を聞くのだ。
説法といっても、その中身はまるで落語のようだった。
なんだか肩の力が抜けるような言い回しで、大切なことを笑いに包んで話してくれる。
「なんでも叶えてくれる訳と違いまっせ。みんながキムタクと結婚したい〜ゆうても無理でっさかい。仏さんもなんでも叶えてくれる訳やありまへん。キムタクにも選ぶ権利ゆうのがありますからなぁ。キムタクは結婚してまっせ。人のもんとったらあきません」
そうなのだ。
誰かの相反する願いがぶつかる時、一体何が優先されるのだろう。
僕の祈り、願いとはなんなんだ。
僕は、目前に控えた仕事の無事を願った。
それは、無事叶った。
心理学でいうバーナム効果なのかもしれない。
願いの全てが偶然や心理的な思い込みだと否定すれば、この世界のバランスは壊れてしまう。
誰もが気付かない内に、そのバランスを保とうとしている。
人は、何かにすがらないと保てないところがある。
信心や努力、願い。
叶わなくても当たり前、でも何もしないと落ちる一方かもしれない。
みんな、それには薄々気が付いている。
自分や自分のプライドを守るために、人にはあまり言わないだけだ。
ある程度人と合わせなければ、この世界の中にいるのはしんどい。
言わないから考えてないことにはならない。
みんな同じセカイにいる訳じゃないのだ。
だから、僕は仕事が無事成功するように祈りながら、無事成功するための手段を講じるのだ。
自分だけではどうにもならないから、人を、お守りを、依り代として頼るのだ。
小さく積み重なっていく日々の不安とは、そうやってつきあっていくものだと、いつしか学んでいたのだ。
一時期、天然石―パワーストーンというものにハマったことがある。
石は自分を守ってくれて、願いの手助けをしてくれるんですよ。
自分を守ったしるしとして、突然切れることがあるんですよ。
それは、役目を終えたんですよ。
誰かの想い、言葉は受け取るか、信じるか、疑うかから始まる。
僕は受け取ることから始めることにして、天然石のブレスレットを作った。
それは一緒にいた、これからも友達なのか、彼女になるのかわからない女の子と遊びに来た記念でもあった。
ワイヤーが切れたり石を交換したりするのを繰り返し、そのたびにその店にメンテナンスにいく、というのを何年か繰り返した。
初めての時は屋台だったが、小さな店となり、大きな店になり、京都の西陣へ移転し、いつしかネットの検索にも掛からなくなった。
同じ頃、もう頼るべきではないと思っていた僕は石のブレスレットを外した。
あの時の女の子が、一緒に作ったあのブレスレットをいつ外したのかは分からない。
聞くこともないだろう。
いつしかお互いの多忙さから、会うことも、連絡をすることも少なくなっていった。
今は年に一度くらい連絡を取るくらいの友達だ。
そんな頻度でしかつながらない人との関係をなんと言えばいいのだろう。
僕らにしかわからない間柄を誰にでも伝えられる様な、そんな名前があるのだろうか。
こんなことを、僕は何歳まで考えていくのだろうか。
次の予定が近づいてると、スマホのアラームが震えている。
僕は甘いコーヒーを飲み干し、ぼんやりと考えるのをやめてレジに向かう。
別にブラックを飲むことが大人ではないのだと、今ならわかる。
「550円になります」
アルバイトらしい若い女性スタッフが僕に告げる。
僕が財布を開けると、中に黄色いお守りが見えた。
祈っても、願わなくても、それはそのまま、そこにある』
……レポートとしての京都観光には行けなかった男、岡田です。
代わりにもなりませんが、今回は『ミヤコから遠く離れて、みる』のポスト・サイド的なお話でリポートしてみました。
いや、じじい。
やり方。
※もちろんフィクションです。駄文。
こんなこともやっています。
ふ純喫茶ラジオ
共演の益田さんと出演者のみなさんが作品についておしゃべりしています。
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また0時過ぎたよ……。
(了)