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BFC2メインページ 勝者決定

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ブンゲイファイトクラブ第2回の勝者は
以下のファイターに決定いたしました。

蜂本みさ


2位は白川小六、決勝ジャッジは竹中朖でした。

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勝者を讃えよ

竹中 朖

 叙情や感傷と名付けられるある種の弱いもの、気恥ずかしさ、ためらい、後悔や逡巡、うすら暗い屈託。常に揺らぐそのような儚い感情や思考が繋ぎ留められているもの、文芸と呼ばれるなにものかの正体は、そのようなものであろうと考えています。
 いやいやいや、と言いながらここで私の正面に座り直す方も多々あるのですが、むろん鋭い理知や透徹した論理、躍動あるいは狂熱、目前に広げられる爽快な展望、のようなものを拒否するわけではありません。むしろ好ましい。また逆に、迫り来る暗黒の恐怖や、感情の牢獄にうずくまる姿を直視する勇気などにも戦慄をもって感動こそすれ、全く否定的な感情は湧きはしない。
 じゃあなんなのよ、と言われるとこれは簡単で、作図や設計や解説や段取りだけを見せられてもひとの感情は動かないというだけのことです。しかし矛盾しているようですが、もちろん、さあ泣いてくださいというだけのあざとい設計で、実は私だって手もなく泣かされてしまうのです。感情がテクニックによってゲームのようにやりとりされる時代かもしれません。しかし、そのような規格品として企図される製品ではなく、個人による不可解な残余の手触りを求めた結果が我々の手のなかにあるブンゲイ、でしょう。
 幸いなことに、ブンゲイファイトクラブという場に現れた作者と作品には、そのようなあざといしつらえものやは自己プロパガンダのようなものは存在しませんでした。

 もちろん、揺らぐなにものかの息づかいを描くには、自分が弱々しく揺らいでいればよいわけではありません。揺らぎを揺らぎとして輪郭の確かなものにして定着させねばなりませんし、ナイーブなだけのものを見せられても困ります。鍛錬と試行錯誤が必要です。そして表現行為の鍛錬と試行錯誤には、冷静な他者の目が必要です。
 私は今回、劈頭の自己紹介に掲げた「抱負」において、参戦者の方々を振り落とすという行為がある種の福音ともなるよう、愛と共に務めると申し上げました。今この瞬間も寸分変わらずそう考えています。場を輝かせ、参加者に資することが望みです。しかしながら小さなサークルで空気感を乱さずやりたいという向きにはいささか場違いと感じられるようなふるまいもあったかと思います。
 また、実際のところ笠井、遠野両氏が表現行為としてのジャッジに求められているものをきちんと心得て、スマートかつパフォーマティブに動かれているのを拝見し、お二人のうちどちらが勝ち上がるのを想定してこの場の充実のためのバラエティを企図したのも事実です。ここは編集者根性という謗りを受けても仕方のないところです。
 しかしながら、事ここに至り、自身の手で最後の判定を下さねばならないという事態となりました。冒頭で述べた、自らが持つ判定基準や価値観で、自信を持って優勝者を決めましょう。当たり前のことながら。

 白川さんの作品は2回戦に引き続き、端正な文体と冗長さのない描写で織りなされた、衒いのない、好感の持てる掌編でした。規定された分量内に無駄なく配置された発端と展開、物語の転回点に与えられる静かな悲哀と、それを単なる愁嘆場とはせず、そこから一段階上昇しようとする主人公の清らかな意志の印象的な言葉。静かで、しめやかな幕切れ。

 一方の蜂本さんは、独特の流れるようなリズムを持つ文体と言語感覚であっという間に自分の世界に持っていく技、さりげないが力量が滲み出るこの技が、本作でも健在でした。文章の各所から滋味がこぼれるような叙述。小さな事件を慈しむように描く丁寧な手つき。そしてそれをスケッチならざる、厚みを持った読ませるものにしてしまう、煮込み方の豊穣さ。
 
 過剰なほどに負荷を強いるこのイベントで、勝ち抜けるたびに輝くのは至難の技であるに違いありません。肩に力が入っていたり、焦りが見える粗さが露呈していてもよいはずですが、そうはいかないのがこのお二人の力量というものでしょう。「1回戦の誰々の方が良かった」という論を持ち出す方がおられるのをじゅうぶん承知の上で言うならば、それを引き受けた上で、この2作を決勝に得たのは僥倖と言わざるを得ません。瞬発力は美しいが、持続力はさらに尊い。いや俺だって勝ち抜けたらこれぐらい、という無根拠な瞬発力誇りのファイティング・スピリットを誘引するのも、このイベントの楽しさでしょう。持続して戦えファイターたちよ。

 白川作品は、私が教師ならば、永遠に教科書として使用し続けるに違いありません。無駄やムラや思い込みや押し付けに満ちた作品に対しては、一度この作品のように書いてみたらどうかな、と。しかし、教科書に逸脱や奇想の喜びはあまり見あたらないでしょう。あくまでも快適な行儀の良さで、過去の事例が美しく整理されているように見える。一方の蜂本作品は豊かな想像力でこの数枚の中に芳醇な時空をたたみ込んでおり、ここに至る他作を見ても、作者の懐中にある物語世界の広さには感嘆せざるを得ません。ただ、その世界は淡く、作者はある一定以上には踏み込まず、あるスタイルを様々な手札で次々に示されるようにも見える。

 そのような認識の上で、ここに答えを出さねばならないでしょう。
 優勝は、蜂本みさ「ある雨の朝アクラクは」。
 
 その手札の今後の広がりと深化を期待します。
 残念ながら、佳品である白川作品には、どうしてもある種のスタンダードの繰り返しを感じさせる既視感を否定できないという弱さがありました。
 蜂本作品には、向こう側があります。ここで終わらない何か。勝負は終わりますが、勝った者の定めを背負って、今後の精進を期待します。

 長くなりました。抱負の中で述べたように、業界の辺境から現れた流れ者の仕事もようやく始末がついたようです。関係者全ての方々に感謝を。またどこかで。

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決勝組み合わせ


BFC2決勝対戦表


作品


ティンカー・ベルとZPT協会  白川小六

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ある雨の朝アクラクは  蜂本みさ

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決勝進出は以下のジャッジに決定いたしました。

竹中 朖


2回戦ジャッジをジャッジ

馳平啓樹ファイターと笛宮ヱリ子ファイターによる再度の投票の結果、竹中朖ジャッジに決定いたしました。

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2回戦ファイターによるジャッジ評価

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決勝戦に進出するファイターは以下の2名に決定いたしました。

白川小六  蜂本みさ

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ジャッジによる2回戦作品評と採点


2回戦採点表決定



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BFC幕間
2回戦ファイター&ジャッジに訊いてみました

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2回戦作品

愚者たち  由々平秕
ホワイトライフ  笛宮ヱリ子
蟻  白川小六
プラスチック神殿(パルテノン)  和泉眞弓
エッフェル塔の傘  馳平啓樹
ハッピー・バースデー  冬乃くじ
味幸苑(みゆきえん)  海乃凧
オテサー糠  蜂本みさ


2回戦ジャッジ決定 & 1回戦ファイターによる「ジャッジをジャッジ」

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2回戦のジャッジが以下の3名になりました。

笠井康平
竹中朖
遠野よあけ

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ジャッジによる作品評


陳腐な言葉で愛を君に
大江信

ブンゲイファイトクラブ第1回戦ジャッジ評
笠井康平

ブンゲイファイトクラブ2選評
狼跋斎主人

ジャッジにあたって
竹中 朖

おもしろさとなぐりあいを求めて
遠野よあけ

BFC ジャッジ 総評 
山田郁斗

BFC2ジャッジ評 
竜胆いふ

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第2回戦進出ファイター

Aグループ
 
笛宮ヱリ子『孵るの子』

Bグループ

馳平啓樹
「靴下とコスモス」

Cグループ
 
和泉眞弓「おつきみ」

Dグループ
 
蜂本みさ「タイピング、タイピング」

Eグループ
 
白川小六「地層」

Fグループ
 
由々平秕「馬に似た愛」

Gグループ
 
冬乃くじ「ある書物が死ぬときに語ること」

Hグループ
 
海乃凧『ワイルドピッチ』

1回戦結果表


※CグループとEグループは2名同点だったので、当該作品以外に投票したジャッジの再投票で決定いたしました。☆が再投票の印です。


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ブンゲイファイトクラブ2 1回戦ファイター

Aグループ

「青紙 竹花一乃
浅田と下田 阿部2
新しい生活 十波一
兄を守る 峯岸可弥
孵るの子 笛宮ヱリ子

Bグループ

今すぐ食べられたい 仲原佳
液体金属の背景 Chapter1 六〇五
えっちゃんの言う通り 首都大学留一
靴下とコスモス 馳平啓樹
カナメくんは死ぬ 乗金顕斗

Cグループ

おつきみ 和泉眞弓
神様 北野勇作
空華の日 今村空車
叫び声 倉数茂
聡子の帰国 小林かをる

Dグループ

字虫 樋口恭介
世界で最後の公衆電話 原口陽一
蕎麦屋で 飯野文彦
イピング、タイピング 蜂本みさ
元弊社、花筏かな? 短歌よむ千住

Eグループ

いろんなて 大田陵史
地球最後の日にだって僕らは謎を解いている 東風
地層 白川小六
ヨーソロー 猫森夏希
虹のむこうに 谷脇栗太

Fグループ

馬に似た愛 由々平秕
どうぞ好きなだけ 今井みどり
人魚姫の耳 こい瀬 伊音
ボウイシュ」 一色胴元
墓標 渋皮ヨロイ

Gグループ

ミッション なかむら あゆみ
メイク・ビリーヴ 如実
茶畑と絵画 岸波龍
ある書物が死ぬときに語ること 冬乃くじ
Echo 奈良原生織

Hグループ

量産型魔法少女」 佐々木倫
PADS 久永実木彦
voice(s) 蕪木Q平
ワイルドピッチ 海乃 凧
盗まれた碑文」 吉美駿一郎


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ブンゲイファイトクラブ第2回ジャッジ

大江信
笠井康平
狼跋斎主人
竹中朖
遠野よあけ

山田郁斗
竜胆いふ

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ジャッジ応募原稿

陳腐な言葉で愛を君に  
大江信 

 文芸作品を読むとき、読者である私たちは孤独な思索に浸ることになる。読み飛ばすことは簡単でそうすればすぐ済むのだが、丹念に読み取るのには骨が折れるし時間がかかる。言葉は「暗号」であって、どのように読み取っても構わない。孤独な思索である限り、他人に説明する必要もないのだから、勝手な感想を抱いて構わない。
 反転して、批評の言葉は「暗号」に何らかの客観性を付与しようとする。読み取り方が指示され作品に意味が与えられることで、「暗号」は色付けされた商品となり、しかるべき消費者の手元に届く。
 文芸作品を読んで、批評を読んで、私たちが感じることは何か。それは私見とのズレではないだろうか。批評はまた別の「暗号」であって、文芸作品に触発された文章ではあるが、文芸作品そのものとは切り離して考える必要がある。批評は自らを色付した商品だと捉えたら良い。私たち消費者は買いたければ買うし、買いたくなければ買わなければ良い。
 文芸作品は商品として売れなくても生き残れる場合がある。権力者の気まぐれによる庇護を得られる場合があるからだ。
 しかし、批評は違う。売れなければ話にならない。消費者を「分かった気」にさせないと商品価値は無い。それが批評の宿命だ。
 批評であり、かつ文芸作品である言葉が存在するかどうかは、市場システムの成り立ちについて語らねばならないのでここでは割愛するが、私は不可能だとは思っていない。

抱負
市場システムは残酷で、ブンゲイファイトクラブはやさしい、と今は思っていますが、渦中の私がどう思うかは一寸先のことでまだよく分かっていません。楽しみです。楽しみます。皆さま、よろしくお願いします。

 
やさしくて、うがった読み方 
 
笠井康平 

 イヴ・コソフスキー・セジウィック(岸まどか訳)「パラノイア的読解と修復的読解、あるいは、とってもパラノイアなあなたのことだからこのエッセイも自分のことだと思ってるでしょ」(『エクリオ vol.12』所収、エクリオ編集部、2020年)は『Touching Feeling: Affect, Pedagogy, Performativity(試訳:感覚にふれる――作用、教授法、遂行性)』(デューク大学出版、2003年)に収録されたエッセイの訳出で、その語りを僕なりにまとめ直すと、こんな風になる。
 文章を読むとき、あるいは日々を過ごすとき、目にし、耳にふれたものごとをめぐって、思い込みと決めつけで「秘密を暴く」という「強い理論」を雑然と選びがちなひとは、周りに「いやな感じ」を伝染させる。昔から批評は「疑ってかかる」ために「しつこくこだわる」方法で、「恥ずべき秘密」が暴かれる効用を素直に信じるひとたちが、そういう「冷笑の身ぶり」を少なからず世に広めてきたわけだけど、あからさまな差別、侮辱、抑圧が「見せつけ」として公衆に放映されるような時代に、パラノイア的読解で語れる言葉はまだあるのか。さまざまな人生の持ち主たちが、互いに「ちがった範囲の情動や切望、リスクの数々を引き受ける」ことに心を寄せる、愛着と熱狂と余剰に満ちた、「修復的な読解」の姿勢/立場を実践できないか。
 2002年に書かれたこのエッセイは、「修復的な読解」の内実について多くを語らない。それにこの約20年間に起きたメディア環境の変動は、情報汚染に無防備なひとびとを、低品質なうがった読み方に親しませた。そのだらしない習慣を変えるには? じぶんも他人もむやみに損ねない、やさしくて、うがった読み方は、どうすれば身につくのか。この問いは僕たちを残酷な気づきに導くだろう。改心できないから凡愚なのだし。だけどきっとその先が勝負だ。新しい「読み方」を広める、昔ながらのたたかい――。

抱負
さまざまに新しい文章芸術に数多くふれることで、気が利いて、肩の凝らない、身のほど知らずの、やさしい読み方を見つけたいです。

追伸:
10月から「三野新・いぬのせなか座写真/演劇プロジェクト」に出演予定で、前回のようにたっぷり時間をとった採点ができないかもしれません。むしろ今回は、もう少し人間らしく、直感や経験にも頼った判定を目指します。詳細が気になる方は、「ブンゲイファイトクラブ(2回戦)の個別評」「私的なものへの配慮No.3」「現代短歌のテキストマイニング―??田恭大『光と私語』を題材に」などをご参考ください。



書くことの「エラー」
狼跋斎主人 

 少し長めの文章を書くときに、いきなりパソコンで入力して書き始めることは、少なくとも私にはできない。それで書き出してしまうと、うまく文章が展開しないような気がする。パソコンのドット文字は、誰かがデザインした「社会的に流通する文字」であることで(文字はすべて社会的なものであるわけだが)、ある「正しさ」を帯びてしまっているので、「自分の考えが正しい」ような気になってしまうのだ。
 長め、といっても四〇〇字以上の文章であれば、とにかく手書きでメモを作る。粗雑な書きぶりで文章が整っていなくても構わないから、ノートで一覧して、二、三度訂正加筆してからパソコンに入力し始める。だからといってその後の修正が減るということはないけれども。
つまり、手書きのほうが自分の考えがうまくエラーを起こし、「ぶれて」くれるような気がするのだと思う。多少なりとも自分の文章が「立体的」になるような気がする。
「源氏物語」「手習」巻には、憂いに沈む浮舟が「ただ硯に向かひて思ひあまるをり」に和歌を書きすさぶ、という場面がある。「手習」はお習字のことだけを指すのではなく、本居宣長「玉の小櫛」に「心に浮かぶ事を何となく書きすさぶ(興にまかせて書く)をいふ」とあるように、平安時代には、もの思いにふけって心に浮かんだことを独白のように書き連ねることも意味していた。多くは和歌の断片であっただろうが、なんとはなしに筆を動かしているうちに言い古された言葉の断片が手のうちに現れ始め、歌の形をとり始め、みずからの思いがその形として実現されるように感じられていく……書くことが「内面」のようなものを発見させる。
 手書きで文字を書くことは、あたかも短波ラジオのチューニングにも似て、「書きたいこと」を「探す」ことなのだと思う。最初から「正しさ」が表明されてしまっては「書くこと」に秘められたぶれや跳躍は起こらない、そんな気がするだけかもしれない。


抱負
テキストが、文字の連なりが、どんな土地に連れて行ってくれるのかをひたすら楽しみにしています。ジャッジ、なんてなんだかおこがましいのですが、言葉が連ねられ、かたちを取り始めるその現場に立ち会えることをうれしく思います。ちなみに私は、言葉のかたち=文字(そしてそれが書かれること)にも興味があります。著書:『文字と書の消息』『書のかたち』『知識ゼロからの古文書を読む』。よろしくお願いいたします。


水の文字  
竹中 朖 

 一掬の水、と書いてみて、この語の響きが読み手にどのような効果をもたらすのか不安になる。ただ手のひらから溢れゆく水に過ぎないものへ過剰な装飾を施したと見るか、あるいは雫の煌めきを感じることのできる、最適な語にたどり着いたのか。文字を書き連ねる者の宿業というかなんというのか、うろたえながらぽちぽちと文字を打ち連ねるにつれむくむくと湧き上がるこの不安は、一方で尊いものであるには違いない。何かがどこかに届けられているのかという根源的な不安としてもよいけれど、文芸というものはその不安を塊にして投企し、主客不分明な領域に読む者を引きずり込む営みとも表現できる。快や不快、美醜や内容そのものの可否を超えて、文字が喚起する情動やら衝動やら、ともかくも動くでしょう。読んだらね。私の心かあなたの心かわからない。ともかくも、動くものあり。
 さればとて、才の在りかをひたすらに自らの内に確信もできず。物書きはいじいじと周囲を気にしながら書き進めるしかない。レトリックや呼吸は習得することもあるが、眩しいものはもとより技術を超えていることにも気づいている。経験ばかりが重ねられる陰鬱な日々を過ごしながら、それでも偉大な何かの末端にぶら下がっている――と、克己せよ文芸の徒。まあ自分なのだが。しかし、共振と共感が前提であるのは、言語芸術の素朴な機能だったことを思い起こそう。ひとすくいの水の煌めきをどう伝えるのか。行きつ戻りつ、やはりただ書く。届いたものを読む。水はまた流れ、循環していく。信じるしかないのだ。

抱負
業界の辺疆からふと立ち寄った流れ者です。西崎さんの志に賛同し、参戦者の方々を振り落とすという行為がある種の福音ともなるよう、愛と共に務める所存です。


批評 「時間に触れる33の出来事」(柴崎友香『百年と一日』)
遠野よあけ 

『百年と一日』は時間の手触りを書いた作品だ。
 この短編集は33の短い話で編まれている。ひとつひとつの話は短く、物語的な起承転結もない。人や場所に流れる時間が丁寧に記述された静かな文体の小説だ。
『百年と一日』という作品名は、時間の流れを描いた作品にいかにも相応しい。33の話は一日で終わるものもあれば、百年程の大河的な歴史もある。しかしこの作品名は、単純に時間の長さを強調するために作品に冠されているのではない。「百年」と「一日」。ふたつのことばの間にある「と」は、比較ではなく等号の関係を意味している。
「一年一組一番と二組一番は、長雨の夏に渡り廊下のそばの植え込みできのこを発見し、卒業して二年後に再会したあとで、十年経って、二十年経って、まだ会えていない話」という長い題が付された話では、「一年一組一番」だった女性が、卒業後に一度も再会していない友人である「二組一番」の子どもに出会い、彼に「母といっしょに宇宙人を見たんですよね?」と訊ねられる。実際にふたりが見たのはきのこだが、彼の口にした「宇宙人」ということばは、ふたりが別々に歩んできた数十年分の時間の手触りを伝える呼び水となっている。
 それはことばではなく場所として現れることもある。
「駅のコンコースに噴水があったころ、男は一日中そこにいて、パーカと呼ばれていて、知らない女にいきなり怒られた」というやはり長い題の話では、以前住んでいた家が解体されていく様子を見ているとき、かつて一日中眺めていた噴水のことをふと思い出す男の姿が書かれている。
 百年分、あるいは一日分の時間の手触り。私たちがそれを感じるのはどちらも等しく一瞬の些細な出来事だ。柴崎友香は33の話で33の出来事を書くことによって、ことばや場所に宿る小さな、あるいは大きな変化の現れが、様々な人びとの人生に隠されていることを発見し、それを流れ去った時間の呼び水として読者の前にそっと差し出している。
 本書を読み終えた後、少しだけ注意深くことばや場所に意識を向ければ、きっとあなたの傍にもそれは見つかることだろう。

抱負
批評誌『クライテリア』で編集長をしています。今回は、批評再生塾卒業生の実力を文芸界隈に示すために、BFC2に参戦しました。
 


一人称の限界 島本理生「ナラタージュ」論
山田郁斗 

 高校時代の恩師との恋愛を回想形式で描いた島本理生の「ナラタージュ」は、その繊細な心情描写が高く評価され、長く愛されている作品だ。
 しかしこの物語は山本周五郎賞で惜しくも敗れた作品でもある。浅田次郎など推す声もあったが、何人かの選考委員からは主にその物語構成に反論の声も上がった。そのなかでも、重松清はこのように指摘している。
『僕にはこの物語が回想形式でなければならなかった理由が最後まで読み取れなかった。(中略)作者はなぜリアルタイムの物語として描かなかったのだろう……。』
 重松清の言い分はもっともだ。揺れ動く心情を描くのであれば、リアルタイムの物語として描いた方がその揺れは最大限に伝わる。しかしその一方で、私はやはりこの物語は回想形式でなければならないと思う。
 というのもこの物語が一人称視点だからだ。主人公が目で見て考えたことがダイレクトに反映される一人称視点で、強く揺れ動く心情を描くには無理があるのではないかと思うのだ。
 例えばカウンセラーの仕事内容を想像してほしい。話に相槌を打ちながら、共感したり要約したりすることで、相談者が自らの問題を整理するのを助けるといったところだろう。
 ところでこの際に相談者はどこまで自らのことを知っているのだろうか。自分の行動や言動は、どのような情動によってもたらされたのか、はっきりと分かっているのだろうか。
 答えはおそらくだがノーだ。相談者は、自分がその因果関係を明確にして人に説明することによって、当時の自分の思考を新たに描きなおしているのではないかと思う。心が強く揺れ動くまさにそのときに、自分の心情を明確に理解することは不可能だからだ。
 しかし多くの一人称小説では、行動と思考は言葉によって明確に表現されてしまう。多くの人が不可能なことだとしても。作者が回想形式を選んだ理由はこれではないかと私は思う。一人称で現実を描くとき、揺れ動く心情をリアルタイムで描くのは不可能なのだ。

抱負
一年ほど短歌を投稿していた時期があります。採用されたと知った瞬間は全細胞が沸き立つようにうれしく、不採用だったときは殴られたような鈍い痛みを感じました。ジャッジは、批評は暴力的なものだと、ぼく自身思っています。だからこそ、半端な評は殴り返されるという覚悟で挑みます。よろしくおねがいします。


劉慈欣『鯨歌』短評  
竜胆いふ

 劉慈欣の諸著書を読んでみると、その多くには相対的な関係性というテーマがあることが分かる。例えばそれは、父と子であったり、喜怒哀楽の感情や道徳と背徳であったり、あるいは科学者の社会的役割の流動性といった類のものである。
 この科学者の社会的役割の流動性というのは、たとえば、その類稀なる才能を持ち、社会に対して多大なる恩恵をもたらしながらも、国家や市井によって簡単に切り捨てられてしまうことを指す。短編『鯨歌』において、科学者である青年はその人生の一部と労力と、才能と努力とを以て貢献していたにもかかわらず、国家政府は予算を削り、挙句には彼を追い出してしまう。これは、人類社会の科学に対しての責任放棄、そして科学者の軽視といった過去から現代にかけて問題視される普遍的テーマへと変換される。これは同氏の『三体』を見ても明らかだ。
 相対的な関連性に話を戻そう。本作においても、科学者と麻薬組織のボスは概念的に「父と子」の関係性に相当するし、最初に提示された「道徳と背徳」がラストではひっくり返されて再び表わされる。しかしながら、劉の『三体』シリーズや『呑食者』シリーズに見られるような、人間の視点に対しての宇宙からの視点(マクロ視点とミクロ視点の相対)がないという一点のみにおいて本著は相対を欠いている。この相対性の欠如ゆえに、人類社会は同じことを繰り返すハメになるのだろう。物語の最後、鯨の歌が大西洋の中心で永遠に谺するように。
 劉慈欣の作家デビュー作となった『鯨歌』では、宇宙からの視点と人類の視点との相対性をあえてハズすことによって、鯨の歌が宇宙まで轟かないことによって、後に彼がそれらを書こうとしていることを予告しているのが伺え知れる。

抱負
バーテンダー、ジンのチョコレートマティーニを。ステアせずにシェイク、ゴディバじゃなくてモーツァルトで。
はて、どこから話したものでしょうか。自己紹介は必要ないでしょう。わたしはただ、物語を読み、そして語り継ぎたいだけなのですから。

わたしは物語を書いているときあるいは読んでいるときに、ヨハネ伝の一節「原始(はじめ)に言(ことば)ありき」を想起します。
もしかしたら、「神は物語が好き故に人を創造した」というハシディズムの考えがあるように、人が生まれたのは、あるいは言葉が生まれたのは、物語を語り継ぐためなのではないでしょうか。
もちろん、わたしたちは人も言語能力も、ほんとうに偶然的な産物であることを知っています。
しかしながら、同時にわたしたちは言葉が経験や文化を累積させるコミュニケーションツールとしてではなく、思考を産み出すためのシステムとして進化してきたことを知っています。
創世記には、エバをそそのかして知恵の樹の実を食べさせた蛇が登場します。これは、人類が存在するかぎり語り継がれる罪の物語なのでしょうか?
いいえ、先に言ったとおり、神は物語が好きだからこそ人を創造されたのです。だからこそ、神は神を愛しすぎるがゆえに人類のために頭を下げなかった一つの天使(天使の数えかたは、その存在論的性格上、ひとりふたりではなく、ひとつふたつ、となります)に、その天使のためのもうひとつのエデンの園を創造し、管理する許可を与え賜うたのでしょう。
それはときに地獄と呼ばれることもあれば、脳や思考、あるいは意識を形成する神経コードパターン、意識の感覚的表象とも呼ばれています。

ああ、もう! 本当に語るのが下手ですね。こんな自分に嫌気がさします。
バーテンダー、チョコレートマティーニをもう一杯。今度は無駄なフレーバーを付けないでください。
それにしても、先ほどからわたしの二つ隣にひとりで座っておられる、赤いドレスの淑女のどれほど美しいことか。ああ、そのしなやかな指先で、紫にも青にも見られる宇宙の神秘を散りばめた爪で、わたしを引き裂いてほしい。

半酩酊状態だ。眠りこく前に書き上げねば。さて、なんの話だったか……

つまりわたしは、多くの人の地獄の中で形成される物語を読みたいのです。語り継がれた末にあなたの意識のなかで形成された物語を。それは経験を通してわたしの意識の中で再構築されて、わたしはその物語の中の、作者も知らぬ生存戦略を見出して、他者へと、つまりこれを読んでいる読者諸君よ、あなた方に語り継ぐことでしょう。そして、わたしは既に理解しています。その物語があなた方の意識の中で再構築されてゆき、あなた方も語り継ごうとしていることを。
 そんなことより今は、あまねく物語に乾杯を。そして、おやすみなさい。


ファイター自己紹介・抱負など

阿部2 (あべ・に)
プロフィール:趣味で小説を書いてカクヨムなどに載せています。
https://kakuyomu.jp/users/abetwo
抱負:がんばるぞ

飯野文彦
(いいの・ふみひこ)
今、桜座のライブから戻りました。中村達也さん。昨日と今日との二日連続。徐々にライブが戻ってきてくれて。甲府、そして桜座が活き活きとしてくることを祈って。
今年、予選を通ったのは、すごくうれしい。ありがたいことです。
さて、もう少し飲みます。ん?
明日の朝、孫の双子(2歳、男の子)を保育園に送れる程度の酔いで、ね。
って、それができればもっと楽な人生だったかな(^^;)
よろしくお願いします!

和泉眞弓
(いずみ・まゆみ)
カクヨム、六枚道場に出没します。
現代ものを書いています。覚えのある手触りがあるといいです。

今井みどり
(いまい・みどり)
本、とりわけ幻想文学を読むのが好き。活字から物語が立ち上がって、幻視が生まれる瞬間を愛しています。 

今村空車
(いまむら・くうしゃ)
善行無轍迹 善言無瑕讁 善數不用籌策 善閉無關楗 而不可開 善結無繩約 而不可解
(老子第二十七章)

一色胴元
(いっしき・どうもと)
読書会ポッドキャスト『ハードボイルド読書探偵局』と本のサイト『ドクショと』を運営しています。遠く山海に響くよう頑張ります。

海乃 凧
(うみの・たこ)
うみのたこ、です。今回が初参戦です。
書き物への愛と熱量によって成立しているお祭りのような戦いの場に参戦できること、誇りに思います。めちゃくちゃ嬉しいです。それぞれのやり方で遣りあいましょう!
twitter:@tako__umino

大田陵史
(おおた・りょうじ)
昨年の参加から、世間的にも個人的にも色々とありましたが、今年もこの場所に戻ってこれました。
やります。
ユーチューブ、インスタグラム、ティックトックはじめました。

蕪木Q平(
かぶらぎ・きゅうへい
元卓球部主将

小林かをる
(こばやし・かおる)
太ったおばちゃんです。普段考えていることは「おもしろい本はないか」「今夜の夕食は何を食べるか」「日立の株はなんとかならないか」くらいです。ほとんど何も考えていません。三田文学にいくつか小説を掲載していただきましたがそれを読むとびっくりです。私のどこがこんなことを考えているのか不明。普段は手紙も書きません。目下の関心事はどこのクリーニング屋さんに羽毛布団を送ったか、です。記憶になく困っております。

岸波龍
(きしなみ・りゅう)
きしなみ りゅう/1985年生まれ
くだんなくて楽しい作品を目指してかきました~。

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北野勇作
(きたの・ゆうさく)
北野勇作です。小説を書いてます。最近はすっかり「ほぼ百字小説家」。せっかくのこういうお祭りなので、出るからには勝ちたいし、負けるにしても盛り上げたいです。三つとも読んでもらうことができたら嬉しい。まあそれだけです。皆様、よろしくお願いします。

倉数茂
(くらかず・しげる)
実は昨年のBFCをきちんと読んだのも2ヶ月くらい前でした。なんかおもしろそうなこと(怖そうなこと)やってんなあとは思ってたのですが、度胸もなければ喧嘩も弱い自分は見て見ぬ振りをしてしまいました。第二回をやると聞いて、第一回を見たら、やばい、これお祭りじゃん、とにわかに闘志が湧いてきました。野良犬ども、覚悟しとけよ。キャンキャン鳴いても終わらない悪夢を見せてやるぜ。

こい瀬 伊音
(こいせ・いと)
(抱負)
あなたを、いと中毒に仕立て上げたい。
(自己紹介)
看護師/詩人/シングルマザー

高校時代の恩師からは
「あなたはお豆腐の強さを持っている。鉄でもダイヤモンドでもないのに、強いことに変わらない」。
創作活動の戦友からは
「ショートケーキの苺を持っているひと」という言葉をもらったことがあります。
わたしは、だれもが食べたことのあるたべもの。
ことばを生むことで、世界を変えられるかもしれない。
わたしとあなたの、だれかとだれかの、
境界線を指でなぞって、グラデーションワールドを広げたいな、と考えています。」

佐々木倫
(ささ・きりん)
きりんです。りんちゃんって呼んでもいいよ。

渋皮ヨロイ
(しぶかわ・よろい)
渋皮ヨロイと申します。
これまで自分がおもしろいと思うものばかり書いて生きてきました。そういうものしか書けない身体なのかもしれません。
なんとなくですが、みんなが殴り合っている中、「なんか、あいつだけ踊ってない?」みたいな感じでいられたらいいな、と思います(どうか石を投げないでください! もしくは一緒に踊ってください!)。
私の作品を気に入ってくれる方が増えたらうれしいです。
どうぞよろしくお願いします。
https://note.com/donerkebab


首都大学留一
(しゅとだいがく・りゅういち)
参戦を決めて、ツタヤで借りて『ファイトクラブ』を見直しました。BFCについて考えました。結果、推敲用の原稿を、勤務中に会社のPCとプリンタを使って印刷することを自分に課しました。10秒間回収せず、自席で我慢します。もし係長に見咎められたらどうなるのかを考えながらの10秒は、普通の10秒とは違いました。日常の時空間が歪んで、その亀裂がぼくのBFCです。もし二回戦に進めたら、負荷を倍の20秒にします。

十波一
(となみ・いち)
初参加です。よろしくお願いします。
Twitter:@nananana618

白川小六
(しらかわ・ころく)
針に糸を通すような感覚で書きました。リングに上がれてうれしいです。
ホシヅルトロフィーを肩に乗っけて(重い!)戦います。
ジャッジの皆様、お世話になります。
対戦者の皆様、お手合わせよろしくお願いいたします。
Twitter: @s_koroku

竹花一乃
(たけはな・いちの)
あれ?笠井さん、今年はファイターで出るんじゃなかったの!? (煽ってないです)
今年もがんばります。
twitter:@takehanaichino

谷脇栗太(たにわき・くりた)
島売り人、サンカクカンケイ所属、犬と街灯の人。
朗読がおもしろくていつのまにか自分で短いお話を書くようになりました。
腹筋に力を入れてがんばります。

短歌よむ千住
(たんかよむせんじゅ)
【自己紹介】
ライター事務所のスタートアップに失敗して大学中退してDV離婚して
ついに出会った愛しの弊社がコロナ禍で死んだアラサー。
作品名と作者名が逆の状態でBFCにエントリーしてとてもつらかった。
【抱負】
リアリティと創造美の間を、フィクションとノンフィクションの間の輝きを文章にしたい。
俵万智が為したものの再び消えつつある、短歌は居丈高ではないという流れを取り戻したい。
そんな気持ちで短歌をよんでおります。

なかむら あゆみ
(なかむら・あゆみ)
ほぼ在宅しながらときどきフリーアナウンサーの仕事をしています。第3回阿波しらさぎ文学賞で徳島新聞賞を受賞しました。大人ですが小説は未熟です。6枚の小説も今回初チャレンジしました。目下の悩みは2回戦用の作品を書きあげることができるかどうかです。好きなものは多肉植物。嫌いなものは高野豆腐です。

仲原佳
(なかはら・けい)
仲原です。ブンゲイファイトクラブは初参戦です。知人と参加したのですが、知人は予選で倒れてしまったので、敵を討ちたいと思います。普段は短歌を嗜んでいます(塔短歌会所属)。よろしくお願いします。
twitter:@watch_niconico

奈良原生織
(ならはら・いおり)
僕は書くものであり同時に描かれるものでもある。青いターバンの傍らだったり、鈴の音が聞こえる岬だったり、アパートメントの空き地だったり。そういう場所に人知れず生息してきた。ガスバーナーに焼かれても旅客機が墜落しても生き残る。それが僕だ。

如実

猫森夏希
(ねこもり・なつき)
自己紹介
猫森夏希です!
第17回「このミス」大賞隠し玉でデビューです!
宝島社文庫より「勘違い」という作品が絶賛発売中です!

抱負
前回のブンゲイファイトクラブ1で予選を通ったら抱負の欄で言おうと思っていたことがある。

宝島社文庫より「勘違い」という作品が絶賛発売中です!!!!
よろしくお願いします!!

やっと言えた。

乗金顕斗
(のりかね・けんと)
 本戦出場を嬉しく思います。私事なのですが少し前に改名をしました。思いがけず改名後の第一作がブンゲイファイトクラブになりました。
 過去作に、ノリ・ケンゾウ名義で短編集「対岸にいる男」(惑星と口笛ブックス)、「虫歯になった女」(たべるのがおそいvol3)等。

馳平啓樹
(はせひら・ひろき)
作家。2011年文學界新人賞受賞。作品集「かがやき」(水窓出版)を発売中。原稿用紙6枚の世界に、日常生活の冒険と静謐を描きたいと思います。
よろしくお願い致します。

蜂本みさ(はちもと・みさ)
大阪生まれ大阪育ち京都在住。サンカクカンケイ所属。第1回ブンゲイファイトクラブがきっかけで短い話をコンスタントに書けるようになりました。感謝しています。とても楽しいです。「わたしの文芸を見つける」と「ぜーいんころす」の融合を目指しています。戦いましょう。

原口陽一
BFC2に参戦させていただき、ありがとうございます。
まさかの予選通過に脚が竦んでいます。
ファイターの皆様、ジャッジの方々、お手柔らかに。

東風
こういうのに出るのはn賞以来なので、ほとんどの方にははじめまして。
新人賞向けの原稿が難航中ですので、このお祭りが終わればまた消えるかと。
1回戦お相手は有力者ばかりだそうですね。
1人勝てれば大金星、2人勝てれば夢心地。
夢の続きが見られるかは分かりませんが、それまではどうか皆さんと一緒に楽しませて下さいませ。
よろしくお願い致します。

久永実木彦
(ひさなが・みきひこ)
久永実木彦です。愛妻家で愛猫家です。はじめての単行本『七十四秒の旋律と孤独』が2020年12月に東京創元社さまから出版されます。どうぞよろしくお願いします。推しの蕪木Q平さんと同じHグループでときめいています☆

樋口恭介
(ひぐち・きょうすけ)
6枚で小説を書く勉強をしにまいりました。がんばります。

笛宮ヱリ子
(ふえみや・ゑりこ)
2018年に木山捷平短編小説賞を受賞。いまいち腕のないビジネス翻訳家、二男児の母。今回初めて自分にペンネームをつけました。笛宮さんて誰だ。好きな食べ物は唐揚げですって言おうとしたら、10歳息子に「もっと陰キャっぽいものにしなよ、ゆり根とかホウレンソウとか」って言われたので、好きな食べ物は韓国ノリにしておきます。精進します。

冬乃くじ
(ふゆの・くじ)
自己紹介:
イラスト描き・小説書き。2019、小説『愛あるかぎり』ブンゲイファイトクラブ一回戦敗退。2020、漫画『カバンたんとフトンたん』・英訳版『CASEY & FUTONEY』。
抱負:
昨年はたいへんお世話になり、どうもありがとうございました。冬乃くじです。今年は負けません。

峯岸可弥


由々平秕(ゆゆひら・しいな)
こんにちは、由々平秕です。このたび思い立って七年ぶりくらいに「創作」に類する文章を書きはじめました。その門出をブンゲイファイトクラブ参戦という名誉とともに迎えられたことをうれしく思っています。初めて訪れる街の、個性豊かな常連さんで賑わう飲み屋の片隅にいてひとり淡々とホッピー中をおかわりし続ける者の気高さで。がんばります。Twitter: @yuyuhira_sheena

吉美駿一郎(よしみ・しゅんいちろう)
ただのアマチュア、ずぶの素人です。今年は去年よりも強くなった気がします。あとはそれを実戦で試すだけに仕上げてきました。目指すのは優勝だけです。リングに登場して、主役になるだけです。さあ、ゴングは鳴った。がんがん殴り合おうぜ。

六〇五
六〇五と申します。数字ですが一応人間です。
去年の第1回は予選落ちでした。公募も今まで通ったことがなかったです。なのですごく驚いています。
普段は六枚道場というところで作品を出しています。この場を借りて運営されている方、参加された方、読んで感想を頂けた方に感謝申し上げます。皆様のおかげです。
精一杯頑張ります。よろしくお願いいたします。

※追加などは past-pop-future@nifty.com までお知らせください。



参考と備考

〇BFC1
 第1回の優勝者は『100文字SF』で新たなジャンルを創ってしまった北野勇作、準優勝は柏書房の Kaze no Tanbun シリーズ3に参加決定の蜂本みさ、決勝ジャッジは『構造素子』『すべて名もなき未来』で怪物的な輪郭を現しつつある樋口恭介。前回の概要はこちらです。

〇オルタナキュレーション惑星と口笛
 キュレーションサイトです。同サイトは作家などである西崎憲の個人サイトです。BFCの進行もほぼひとりで務めます。BFCはビジネスでもサーヴィスでもありません。一種のDIYだと考えていただけると一番正確だと思います。個人で進めているため、どうしても対応の遅れ、事務上の細かなミスが出てくると思います。そのあたりはご指摘くだされば幸いです。また予選の選考をお願いしているお3方も完全なヴォランティアです。すべて持ち出しになるため、運営費用など寄付してくださると助かります。おひとり100円程度で十分です。すみませんがどうか少額でお願いします。

※オルタナキュレーション惑星と口笛は現在リニューアル中です。


〇SNSなどでお願いしたい2点
 特定のファイターを応援するために、ほかのファイターをけなすことはお控えくださると嬉しいです。
 ブンゲイファイトクラブの権威付けや神格化につながることはなるべく避けてくださると助かります。すべてをなるべく身軽にしましょう。地震や洪水、暴風、疫病にそなえて。

スケジュール

10月25日(日)
 11時 1回戦40作品発表
 ●ジャッジ 7名のジャッジは選考開始

11月9日(月)
 ●ジャッジ 7名のジャッジは22時までに勝ち・採点・選評を送付

10日(火)
 9時 2回戦進出ファイター8名、ジャッジ7名による評を発表
 ★ファイター 進出ファイターは執筆と7名のジャッジのジャッジ開始
        敗退ファイターはジャッジのジャッジ開始

15日(日)
 ★ファイター 進出ファイターは作品とジャッジのジャッジを送付           敗退ファイターはジャッジのジャッジを送付

17日(火)
 9時 2回戦8作品発表、2回戦ジャッジ3名を発表
 ●ジャッジ 3名のジャッジは選考開始
 
23日(月)
 ●ジャッジ 22時までに勝ち・採点・選評を送付

24日(火)
 9時 決勝進出ファイター2名、ジャッジによる評発表
 ★ファイター 進出ファイターは執筆とジャッジのジャッジ開始
        敗退ファイターはジャッジのジャッジ開始

29日(日)
 ★ファイター 作品とジャッジのジャッジを送付。

12月1日(火)
 9時 決勝2作品発表、決勝ジャッジ1名発表
 ●ジャッジ 選考開始

5日(土)
 ●ジャッジ 22時までに勝ちと選評を送付

6日(日)
 9時 決勝結果発表


※ファイター、ジャッジを審査するにあたっては以下の要素を組み合わせて行っていただきます。

 勝ち  誰がつぎのラウンドに進むべきかを指名します。
 採点  5段階で採点します。5が最高です。
 評   ジャッジによる評は原稿用紙3枚程度。多くとも可。
     ファイターによる評は100字程度。多くとも可。

 勝ちが多い者がつぎに進みます。勝ちの得点が同点の場合のみ採点で決めます。それで決まらない場合は当該のファイター、ジャッジ全員で再投票とします。

 決勝結果発表の日に打ち上げを行います。


BFC2リンク

2回戦ファイターによるジャッジ評価
2回戦ジャッジ評
BFC幕間 2回戦ファイター&ジャッジに訊いてみました
2回戦ジャッジ決定&ジャッジをジャッジ
2回戦作品
一回戦ジャッジによる作品評 笠井康平
一回戦ジャッジによる作品評 狼跋斎主人
一回戦ジャッジによる作品評 大江信

一回戦ジャッジによる作品評 竹中 朖

一回戦ジャッジによる作品評 遠野よあけ

一回戦ジャッジによる作品評 竜胆いふ

一回戦ジャッジによる作品評 山田郁斗

BFC2 1回戦Aグループ
BFC2 1回戦Bグループ
BFC2 1回戦Cグループ
BFC2 1回戦Dグループ
BFC2 1回戦Eグループ
BFC2 1回戦Fグループ
BFC2 1回戦Gグループ

BFC2 1回戦Hグループ


コンタクト
 BFC進行係:past-pop-future@nifty.com


注意
掲載された文の権利は各著者にあります。





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