【しをよむ118】茨木のり子「汲む —Y・Yに—」——ゴツゴツの幹から今年も新芽が出るのです。
一週間に一編、詩を読んで感想など書いてみようと思います。
茨木のり子「汲む —Y・Yに—」
(田中和雄編『ポケット詩集』(童話社)より)
昨日は小説を書いているうちに夜が更けてしまいました。
ということで本日の更新です。
読むたびにしみじみと好きだなあ、と感じます。
語られている「女のひと」の表情やしぐさ、話をしている室内のようす、
控えめな声とあえて何気ないふうによそへ向けられた視線。
短い描写から「そのひと」の姿がふわりと香り立ちます。
「人を人とも思わなくなったとき
堕落が始まるのね」
の一節を読んでふと思い浮かんだのは、ぎゅうぎゅうの雑踏や満員電車です。
こんなに息苦しく寄り集まった一人一人がそれぞれに違う気持ちと考えと価値観と生活とを持っていて、しかもそれがどういったものなのかを知る術がない、という空恐ろしさ。
きっと、その場の誰もが、充満する「ひと」の気配をがんばってがんばってシャットダウンしているのですよね。
詩に出てくる喩えを使うなら、何層にも重ねて固く厚くなった牡蠣殻のように。
剥き身のまま荒波に晒されてはひとたまりもありません。
ただまあ、牡蠣も貝柱をギュッと縮めているばかりでもありませんし、
砂抜き中のあさりはでろんと舌を伸ばしていますし、しじみもぷくぷく泡を吐きます。
きれいな水がある安心できるところで、柔らかい感受性を波に遊ばせるのはきっと楽しいことでしょう。
それから、以前とある方から仕事のお話を伺ったとき、
「『馴れ』を生まないようにするのがいちばん難しい」という言葉がありました。
私にとって、折に触れて思い出す言葉はこれです。
詩の「あのひと」のはじめの一言「初々しさが大切なの」とも重なるものを感じます。
新しい年度が始まって、新しいひとや環境との出会いがあるこの季節。
何十年、何百年の齢を重ねる木々がまたみずみずしい新芽を吹き出すこの季節。
くすぐったいほどの緊張と晴れがましさに満ちたこの季節にふさわしい詩が巡ってきました。
お読みいただき、ありがとうございました。
来週は井上ひさし「なのだソング」を読みます。
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