【しをよむ102】茨木のり子「聴く力」——湖わたり。

一週間に一編、詩を読んで感想など書いてみようと思います。

茨木のり子「聴く力」

(田中和雄編『ポケット詩集』(童話社)より)

ひとのこころの湖水
その深浅に
立ちどまり耳澄ます
ということがない

この第一連を読み、思い浮かべたのが
以前に読んだ金子光晴「湖水」でした。

人の心を湖に喩えているところは共通していて、
それが自分の心か、他者の心かという違い。
あるいは表裏一体の、どこから話を始めるかというだけのこと。

自身の奥底に目を凝らすこと、他者の波長に耳を澄ますこと。
相互作用によって世界の解像度は上がっていくのでしょう。

「うちの湖はすっごく深い!」「うちの湖は青い!」と言っていたのが、
ほかの湖を見つめることできめ細かに位置付けられるようになったり、
新しい鳥や植生をほかの湖に見つけたり、自分の身の回りでは当たり前に見られる生き物が実はめったにないものだと気付いたり。
……ここまで書いてどうぶつの森を思い出しました。
私の島にはモモがなってて、あなたの島にはリンゴがなってる……。
ここでは100ベルで売れるモモが、向こうに持っていけば500ベル……。

それはさておき、オンラインコミュニケーションがオフラインよりも主流になりつつあるこの頃は、言葉——特に書き言葉に長けた人に有利な社会のように見えます。
いや、物書きとしては助かるところも正直あるのですが。
職人肌の人や、発信する暇もないくらい手を動かし続けるタイプの人は埋もれてしまいやすい世の中なのかも、とも。
舌の回る人が社会や経済まで回す時代。
いつかのTwitter で平沢進が言ってそうです。

以前に読んだ傾聴に関する本(東山紘久『プロカウンセラーの聞く技術』だったと思います)で、
「聞くことは話すことより難しい」という主旨のことが書かれていました。
この詩にも大いにつながるように思えます。

全身全霊で聴き、受け止めたことに対しては
自分自身の言葉はほんの僅かにしか出てこないのかもしれません。
卑近な例で言うと「尊い……」しか言えなくなっているオタクとか。
それを自分の湖へ持ち帰ってお湯をかけて戻して自分の感情ごと見つめると、
きっとそれが新たな言葉——感想や二次創作——になるのでしょう。

お読みいただき、ありがとうございました。
来週はまど・みちお「くまさん」を読みます。

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