【しをよむ126】真壁仁「峠」——開けた視界の先に。
一週間に一編、詩を読んで感想など書いてみようと思います。
真壁仁「峠」
(田中和雄編『ポケット詩集』(童話社)より)
ここしばらく立て込んでいて、一週スキップしてしまいました。
「峠」は国字らしいですね。山がちな日本らしい字だと思います。
登りきった達成感と見晴らしと、「帰り」への気分の切り替え。
私に経験があるのは登山というよりハイキングで、
峠の光景といえば晴れやかでのんびりした空気の展望台、ちょっとした食堂、お土産屋さん。
別にその山で採れたものではないと知りながらも、なんとなく山菜そばとか茸そばとかを食べてしまいます。
もっと昔、旅の手段がほぼ陸路に限定されていた時代は、
山に隔てられたあちら側はきっと未知の世界だったのでしょう。
山のあちら側から来る者の身元を保証し、山のこちら側から行く者の確かさを認める、
関所や寺社仏閣が置かれたのも宜なるかなです。
それから山の持つ立体感、「こちら側」と「あちら側」の境界、
「大きな喪失にたえてのみ
あたらしい世界がひらける。」
という一節から、「進撃の巨人」が思われてなりません。
最終巻……読みました。
峠の先は見えないがために、だいぶ前に読んだカアル・ブッセ「山のあなた」のように夢を託すこともできます。
実際には、その夢は峠を越せばすぐに「現実」に変貌してしまう儚いものなのですが。
山を登る人は一様に峠をめざします。
山を下る人の行き先はばらばらです。
これまで見てきた「こちら側」の景色を手放して「あちら側」の世界を見に行くのか、
景色を一望した後に「あちら側」へは足を踏み出さず「こちら側」へ戻ってくるのか。
考えながらも、「進撃の巨人」の登場人物の行動や思惑が押し寄せてきて感情がいっぱいいっぱいになってきているので、今日はこのあたりで。
私の推しはハンジさんです。
お読みいただき、ありがとうございました。
来週は栗原貞子「産ましめんかな —原子爆弾秘話—」を読みます。
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