【しをよむ107】三木卓「系図」——巡りながら変わっていく。

一週間に一編、詩を読んで感想など書いてみようと思います。

三木卓「系図」

(田中和雄編『ポケット詩集』(童話社)より)

実際に見知っているわけではないのですが、下町のイメージが強く湧く詩です。
隣近所との距離が近くて、商店街には三代目、四代目くらいのお店が立ち並んでいるような。

あと、テンションとスピード感がすごいです。
数行のあいだに20年が経過し、親子三代が見る間に入れ替わっていきます。
そんな中でフォーカスが当てられているのが、語り手が生まれた夜と、語り手の娘が生まれた夜。
登場する質屋と酒屋は、ずっとそこにあったのでしょう。
(二代続けてたたき起こされた酒屋さんに幸あれ……)

そんな中で、「ひのえうまのおふくろは ことし六〇歳」と
「せんだって ぼくにも娘ができた」は、時代の流れを感じます。
丙午の迷信も十干十二支が一巡りすれば気にするものでもなくなっていて。

今、このとき、この詩を読んでいる私にとっては
詩から浮かぶ「酒呑みの亭主」も「ねじりはちまきで身を粉にして働く」のも
まるでカリカチュアと見紛うほどのレトロさです。
たぶん今の私は、語り手の娘よりもうひと世代下ったところにいるのでしょう。

先週読んだ「I was born」では、一度の出産に伴う不思議さやままならなさを感じましたが、
今回の詩はぐるぐると絶え間ない世代交代の中での「産む」ことの普遍性を感じました。

つらつらと考えるに、DNAの二重螺旋構造に命の隠喩を見出せそうな気もしています。

お読みいただき、ありがとうございました。
来週はまど・みちお「ぼくが ここに」を読みます。

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