【しをよむ109】草野心平「秋の夜の会話」(2回目)——たべる、あたためる、ねむる。

一週間に一編、詩を読んで感想など書いてみようと思います。

草野心平「秋の夜の会話」

(田中和雄編『ポケット詩集』(童話社)より)

以前にこの詩を読んだ記事はこちら:【しをよむ052】草野心平「秋の夜の会話」——生きるために蹲るのです。

前に「しをよむ」で取り上げたときには、大学の恩師を喪ったばかりで、
淵に沈むような心地でかえるの命、ひとの命を考えていました。

1年余りが経ってあらためて詩を読み返し、
いまの私にす、と差しこんできたのは
「どこがこんなに切ないんだろうね。
 腹だろうかね。
 腹とったら死ぬだろうね。」
でした。

生きるためには、ときに切なさを抱えなければならなくて。
寂しい冬を受け入れなければならなくて。

土の中にもぐって、体温も下げて、氷と雪とが積もり融けていくのを待ちます。
目が覚めたとき、見覚えのあるものが地上にどれだけ残っていることでしょう。
晩秋の眠りから初春の目醒めで、世界はどれだけ様変わりしていることでしょう。
真冬のこの時期、土の中で眠っているであろうかえるたちの姿を想像します。

私たちは冬眠こそしませんが、
寒ければかなしくなるし、お腹がすけば不安になります。
血糖値は下げるよりも上げる機能のほうが手厚いですし、高カロリーのものはおいしいです。
人間の体は、私たちが自覚しているよりも「冷暖房の手段があって食べものもわずかなコストで手に入る生活」にまだ慣れていないようです。

かなしくなったり不安になったりは、エネルギーを節約して生き延びる方法を探すためのメカニズムだと頭ではわかっていても、
なかなか無意識と身体と気分は言うことを聞いてくれません。
いまだに Internet Explorer にしか対応していないツールを見る気分です。
そろそろブラウザ変えたりアドイン入れたりさせてください。

ともあれ、ちょっとメンテナンス性に難のある体ではありますが、
生存本能に忠実な基幹システムを安心させてあげるためにも
何かあったら「食べる」「温かくする/お風呂に入る」「寝る」の中で、
いちばんやりたいことをやっていこうと思います。

お読みいただき、ありがとうございました。
来週は阪田寛夫「練習問題」を読みます。

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