【特別公開】「我々はカレーでもって繋がりあえる」 (佐々木美佳/映画監督)
9/30に開催されるカレーZINE vol.2刊行記念イベント(@本屋B&B)に向けてゲストが過去にZINEに寄稿した文章を特別公開いたします。
今週ご紹介するのは佐々木美佳さんがカレーZINE vol.1に寄稿いただいた「我々はカレーでもって繋がりあえる」。ダッカでの思い出を振り返りつつ、現在のコロナ禍、ひいては未来におけるカレーと私たちの繋がりについて描いたエッセイです。
我々はカレーでもって繋がりあえる 佐々木美佳(映画監督)
お湯を注げば食べられる、レンジでチンすれば美味しくなる食事たちに支えられて、私は生きている。冷蔵庫も、洗濯機もある。女性だって力がなくても頭を動かせばパソコンを使ってお金を稼げる時代だ。先人たちの様々な努力のおかげで、私は「個」として大都市東京で、生命を維持できている。「得意料理は?」と女性に対して飲みの席で質問することは、このご時世だとご法度になってきた。しかし家という伝統から解放された先に行きつくのは、根無し草のような感覚かもしれない。レシピというのは人から人へ、繋がりを通じて受け継がれるもの。お母さんの手料理、残念ながら何も作れる自信がない。
家から離れ料理を教えてくれる人もいないけれど、忙しく働いてお金さえ稼げれば、大戸屋だってラーメン屋だって一人でなんでも食べられる。なんでもかんでも便利で楽しかっただ都会の生活、その便利さが一変してコロナウイルスの影響からリスクに変わってしまった。しかもそこに追い打ちをかけるのは、自由な生活の代償ともいわんばかりの孤独な生活だ。
とにかく「止まらざるを得ない」この状況で、このカレーにまつわる文章を執筆している。カレーにまつわる思い出をたぐり寄せて「心のカレー」にまつわるエッセイを書いてみようか。試しに学生時代にダッカ大学にステイした時に食べたベンガル料理のお話を紡いでみよう。
そのとき私は多分21歳くらい。教授の家で教え子たちを交えてパーティーをした。その際、とある秀才の女子学生が、田舎のお母さんに電話しながら必死でビーフカレーを作ってくれた。田舎を離れて寮生活をする彼女にとって、料理を直接お母さんから学ぶ機会がなかったのだろう。ましてや才女であるからお母さんは料理を手伝わせるよりもきっと勉強にエネルギーを注いで欲しかったのかもしれない。とにかく何も知らない状態のなか、焦りながらもなんとかカレーを作ろうとしてくれた。塩加減に失敗したのと言い訳しながらも出してくれたそのカレーは、愛情とおもてなしの心が詰まっていてそれはそれは美味しいカレーだった。
教授の家にはお婆ちゃんのお手伝いさんがいた。私はお遊びのようにお手伝いさんの台所仕事を覗き込んだ。地べたに座りながら、肉を切り裂くために作られたオブジェのような包丁で小さな小さな玉ねぎをひたすらにスライスする。ぶくっと太った川魚をブツ切りにしていく。チャッカマンでガスコンロに火をつけると勢いよく炎が上がる。そのどの作業も地道で時間のかかるばかりで、これをベンガルの台所仕事を任されている人たちは毎日淡々と向き合っていると考えると気が遠くなる感じがした。
ホームステイ中に私は一度だけ高熱を出した。日本人が珍しかったのだろうか、毎日あれもこれもという風にダッカの様々な土地を案内してもらった疲れがたたり発熱した。デカすぎる薬を飲ませてもらい、天井の回る扇風機を見つめながらひたすらにベットに臥せるだけの日々が数日続いた。その時に心配してくれた別の友人は私にとっておきのキチュリを作ってくれた。レストランで出てくるこってりしたキチュリではなく、極めて家庭的でシンプルなキチュリを。どうか元気になるようにとのおまじないをこめてくれたであろうその食べ物はとても優しい風味で、体と心に染み込んでいったのを今でも覚えている。友人たちの手厚いケアのおかげで私は何事もなかったかのように回復し、再び元気な状態でダッカの滞在を楽しむことができた。
あの滞在から月日が経った。映画『タゴール・ソングス』の撮影中はなんどもダッカやコルカタに行くことができたけれど、働き始めてからはめっきりあの土地に訪れられなくなった。どうせいくなら年末年始とかではなくがっつり3週間くらい、ぼんやりしたい。ベンガルの大地への旅行を夢想しつつ働くといった矛盾した生活が、一旦コロナのせいで動きがゆっくりになってしまった。しかし今までのように海外旅行などいつできるのかなんて誰にも分からない。大人しく家にいることが世界平和に繋がるのなら、家にいるしかない。#三密 を避けて #STAYHOME 。はやる旅への憧憬を抑え込み、孤独を和らげるためにはもはや祈りを込めてスパイスを炒めるしかない。
一変した生活を支える楽しみの一つは、カレー哲学さんがはじめたカレーのオープンチャットのLINEから毎日淡々と届く通知だ。友人からの何気ない便りが時々届くみたいに、なんの意味もなしに、毎日淡々とカレーの話ばかりが繰り広げられる電脳空間。そう、会いたくても直接カレー屋に集合することの我々は、逆説的だがカレーが好きだという一点においてのみで繋がることができる。「今から百年後、君はどんなカレーを作るのか」とタゴールが言わんばかりに今、カレーへの愛が試されているタイミングなのかもしれない。
我々はカレーを介してのみつながり合うことができる。例えばほら、ウォーキングがてら近所のカレー屋さんのテイクアウトをインドのお弁当箱でもってテイクアウトすることができる。世界のyoutuberたちがベンガル料理のレシピを各家庭から伝授してくれる。ダッカでビーフカレーを作ってくれた友人のこと、私にキチュリを食べさせてくれた友人のこと、タゴール暎子さんが60年前タゴール家に嫁いで覚えたカレーのこと、今は会えない人たちのことを思いながら、一人の部屋でベンガル料理を作ってみた。マリネに2時間、その後のカレー作りに1時間、合計3時間かけてチキン・ジョルを作る。極めて家庭的なベンガル料理だ。気持ちが入っているからか我ながら美味い。付け合わせが欲しくなって翌日、菜の花でバジや、たくさんの記憶をかき集めた家庭的なダールを作ってみる。悪くないぞ!さあこのカレー、誰かに届けてみたくもなった。例えばインドのダッパーワーラーみたいに、デリバリーすることってできないのかな?なんなら次回作はカレーでドキュメンタリー映画を作りたい。お家の中から繰り広げる想像力だけでどこでもいけるような気分。そんな風にして、このコロナウイルスの自粛期間は過去と未来のカレーに思いを馳せている。
佐々木美佳(ささき・みか)
映像作家・文筆家。福井県出身。在学中にベンガル語を学び、タゴール・ソングに魅せられてベンガル文学を専攻する。「タゴール・ソング」をテーマにドキュメンタリー制作を始め、 2020年に映画『タゴール・ソングス』 を全国の劇場で公開する。気分転換にカレーを食べ歩くのが趣味。 自炊はワンパターンのチキンカレーを作り置きすることが多い。
https://twitter.com/sonarpakhi43
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