ペルソナ3オブザデッド リロードたのしみ日記(n+4)


2006年、私は死にたかった

 実家のすぐ近くのゲ◯で中古のPS2ソフトのジャケ絵に心臓を掴まれ、買って帰る。P3との出会いでした。夏、たぶんお盆で帰省していたとき。7月13日に発売されたP3の中古ソフトがそこにあったのは、1ヶ月足らずで売った人がいたということだ。その時の私は知る由もないが、発売当時、前作までのペルソナファンはP3を「こんなのペルソナじゃない」と酷評していた。しかし私はめっちゃビリビリくるゲームをお安く買ったのでどきどきしていた。でもPS2は一人暮らしのアパートにあり、起動するのはお盆休みが明けてからとなる。

そこの曲がり角から通り魔が現れて、殺してくれないかな

 働いてた会社がブラックだった。タイムカードは9時と18時に切っていたが朝6時にはもういて、早ければ21時まで働いて、+2時間居残り勉強的なことをして、家についたら0時近かった。残業代は出ない。残業代が出る人もいて、その人達は残業をしたがり、つきあって残業しなければいけなかった。それでも帰ってからなにか作って食べて、ギリギリシャワーは浴びて、次の日朝6時に会社にいたので、一体いつP3をプレイしていたのか今となっては謎で、思い出せない。人生で一番辛くて一番死にたい時期だった。記憶もなくなる。でも、会社の行き帰りに↑↑のようなことを毎日思っていたのを覚えている。

小さな死を繰り返す

 どこから時間を捻出したのかわからないが私はP3をちまちま遊び始めた。起動してOPを見たときからもう大好きだった。この不穏な予感に満ちているオープニングムービーが物語となってどこにたどり着くのか知りたくてたまらなかった。もう夜に寝付けない状態が始まっていたのでゲームで疲れ果てて気絶することで寝た。タルタロスに行くのが好きだった。思考能力がすり減りきっている頭には道を覚える必要のない自動生成ダンジョンと勝手に動く仲間がありがたかった。
 戦闘の度に私のアバターであるP3主人公が自分の頭を銃で撃つ。すると、胸にほんの少し風通しの良い場所ができた。私は自分の希死念慮を「彼」に託し、何度でもちょっとだけ死ぬことができた。すると、安心した。私は何度も何度も何度も何度も、何度も何度も擬似的に死んだ。「死は救い」というのは、友人との愉快な会話で言ったり聞いたりするが、人と場合によっては本当のことだ。私はゲームの中で自分の頭へ銃口を押し付けて引き金を引いて少しずつ救われた。現実で自死を実行せずに済んだ程度の話ではなく、魂が慰められるような、ほとんど宗教的な体験だった。
 私がP3を大好きなのは、ストーリーがとかキャラクターがとか象徴がとかいうのは全部あとづけの理由でしかなく、とどのつまり、ただこの体験による。鬱の診断がついた。

17年

 それから17年経った。17年生きた。いろんなことがあったにも関わらず死なずに済んだのは幸運だった。命の危機も何度かあった。FES後日談とか。「もう今死んでも良いや」と思うこともあった。P3Mを終わりまで見届けたときとか。だがプレイヤーの人生は都合よく終わることなく、自分の意志と関係なく浮沈しながら、今はリロードの発売日を指折り数えて待っている。マガジンに弾丸を一発ずつ込めるように一日ずつ生きている。リロードが発売したら私はまた銃口を頭に突きつける。また少し死ねるのだ。予約した特典付き豪華版を受け取るのは、2006年の夏と同じゲ◯だ。