エピアイお気持ちまとめ④2010/3/31

新録と思しきエピソードアイギスの冒頭シーンが一日限定で公開されていました。

聴きましたが、うん。で? という感想。
元が虚無シナリオなのでこのボイス自体には特に感想は無いです。しょーもないお話だと分かってるものをそのままリメイクされてもこっちは無の感情になる事がよく分かりました。台詞が変わってないから別段ワクワクもしないし。ただ、エピソードアイギスをエモ消費するぞ〜エモい物語だという印象を新規プレイヤーに植え付けるぞ〜という作り手の意図が透けて見えて、そこはとてもイヤな気持ちになりましたね。
フェス発売前もこんな風にエモを匂わせて売り出していたので、やる事は一緒だなと。当時と今との違いはストーリーのネタバレが広まってる点ですが。

私を手放さなければ、きっとまた会える

ペルソナ3フェスのキャッチコピー

あの内容でこの売り文句って、プレイヤーを騙して傷つける気満々だったんかい!と改めてドン引きしました。
というかなんだこの超絶気持ち悪いキャッチコピー。『私』って何?アイギスのこと?それともP3愛のこと?また会えないどころか失われたし、手放したのはアイギス他仲間達なのに。文章の何言ってんだコイツ感が本編の膝枕シーンの電波台詞を聞いた時と全く同じなんだよ。
振り返ってみればゲームの中身も、

  • わざわざ後日談を出してくるんだから主人公の生死論争にとって意味のあるストーリーになるだろう→開始5分で主人公火葬済み

  • ワイルドに目覚めたアイギスがなんとかしてくれるはず→最初から最後まで自分の事しか考えてないです

  • ダンジョンを進んで主人公の影に追いついたら主人公が復活する?→影と戦わされた上主人公の姿をした存在のグロ解体ショーを見せられました。仲間達はノーリアクション

  • なんかいきなり過去に戻れる鍵が現れた!もちろんみんな主人公を助けに行くよね?→何故か意見は割れまくり、鍵を巡って仲間達が殺し合いを始める

  • アイギスが鍵を集めきったら仲間達も主人公を助けに行く気になるよね?→特に意思は変わりません。アイギスは何が起きたか確かめるために1月31日に飛ぶだけ。唯一主人公を助けようとしたゆかりは懐柔されてアイギスに下りました

  • 突然エレボスとかいうラスボスが現れた!こいつを倒せば主人公が復活するんだよな!?→人類の悪意なので倒せません

  • アイギスが命のこたえに辿り着いた!回路焼けて動かなくなったしまさか自分の命を対価に主人公を蘇らせた!?→アイギスは人間になって復活しました。ユニバース?自分のために使っただけです

  • 流石にエンドロールが流れ終わったら主人公が戻ってくるムービーが観れるよね?→そんなものは無い

  • アイギスコミュが追加されたんだからMAXにしておけば隠しルートが…→特に関係ないです

  • チドリが生き返ったんだし主人公も…→生き返りません

これだけプレイヤーの期待を裏切るポイントを積んでいるのは、いっそ清々しいほど制作者の悪意を感じました。
上げてから落とす方がより絶望に深みが出るってね。主人公のグロシーンをコントローラーでSKIPできない時点で、分かってやってるだろお前らって思いましたよ。絶望に打ちのめされながら隠しルートを探して本編や後日談をやり込み、何もないと知った当時のプレイヤーの心情を想像するとつらいものがある。
リロードでも新規プレイヤーの期待を煽るプロモーションを打っていますが、中身がアレなのでプレイしてガッカリする人が今回も出るんだろうなー。フェス後日談の時点で内容ペラペラ、苦痛な戦闘でプレイ時間を30時間まで嵩増ししてただけなのに、戦闘が快適になるリロード版は想定20時間だそうです。9月にはエピソードアイギス尊いエモエモとなる人と、思ってたより大した事ないなP3ってこんなもんかとなる人と、アイギスふざけんな死んで詫びろとなる人が生まれる事でしょう。

折しも、フェス後日談をクリアして怒ってる人を観測したのでまとめてみました。メティス可愛い〜と楽しくプレイしていたのが「エピアイ蛇足」「仲間達おかしくね?」「ゆかりだけが救い」「エアプはちゃんとPS2版をプレイしろ」「いや新規はこんなもんプレイすんな」となる流れがデジャヴだった。人格が変わるレベルのクソシナリオですよね、クリアお疲れ様でした。
今の時代でもこうなる人がいるんだからエピソードアイギスって凄いよな、という感じです。17年経っても変わらないクソゲーの味。

死を想い続けて

ペルソナ3に出会って早○年、私も当時とは死生観が大きく変わりました。人生も社会も綺麗な面ばかりではない以上、死を望んだり立ち止まって過去を見続けたりする人が出てくるのは当然だし、それは何も悪い事ではないなと思うような出来事をたくさん見てきました。
そんな今の私にとって、自分の命と向き合いそれぞれの道を歩もうとするP3の人々はあまりにも眩しすぎましたが、現実世界がままならないからこそP3のようなフィクションに救われたのもまた確かです。フィクションってそういうものだしね。
でも、エピソードアイギスで「お前らの希死念慮や主人公への未練はこんなに滑稽で汚いものなんだよ、お前らの『悪意』が主人公に無限アイアンクローをかましてるんだよ」と制作者に言われて、どうしたらいいか分からなくなりました。死を想わない日が無いほど非情な現実の中、ペルソナ3というゲームは数少ない心の慰めでした。実在する人々が作り上げた非現実的な救いが、少なくともエピソードユアセルフにはあった。そこで「人類の希死念慮は主人公を永遠に囚える悪意である」と言われたら冷めるってものじゃないです。説教されるためにゲームやってるんじゃないんだわ。
うまく生きられなくてもいい、苦しみから逃げてもいい。ただ時は待たないし誰にでも死は訪れるから、大切な人を大切にして、自分の人生を精一杯生きていこう。ペルソナ3はそんな綺麗な物語だったじゃないですか。あのエンディングの解釈をプレイヤーに委ねるのも、人生は人それぞれであると表しているようで本当に美しかった。荒削りにもほどがあるけれど、P3の欠けた部分さえ私にとっては完璧でした(まるで空に浮かぶ月みたいだね)。
そんな感動に浸ってたらエピソードアイギスで泥ぶっかけられて、泥まみれのこれがリアルそのものでP3の正体だと言われた気持ちです。プレイヤーを分からせる事ができて、シナリオを考えた人達は多分ものすごい快感だったんだろうなあと思います。

作り手が直々に台無しにしてくれたので、本編のきらめきすらも一時は陰りが生じて見えました。仲間達の絆も大好きなコミュすらも、所詮は綺麗事だよなって思うようになっちゃった。
でも、そういう現実を直視しろと言ったのは他でもない後日談のディレクターさん達だもんね。死を想えと言うくせに人々の希死念慮は人類の悪意扱いで醜いラスボスにして、愛する人の腕の中で満足死したサブキャラはお手軽に生き返らせちゃって、人生で一番幸せな時に死ぬのがハッピー!残される人達の事?そんなもんより嫁の膝枕だとかやっちゃう。うーん端から端まで欺瞞まみれ。
17年前P3から離れた人達も、P3がこんな風にしょうもない話に見えて呆れて去っていったんだろうな。生きるとはなんだろうを通り越して、ゲームってなんだろう? とすらエピアイをクリアしてからは考えています。少なくとも映画や本と違って自らがプレイするコンテンツである以上、プレイヤーを置いてきぼりにするものはクソゲー呼ばわりされても仕方ないよね。
置いてきぼりどころか騙して傷つけにきたのがエピソードアイギスなんだけど。私が気付かなかっただけで、P3Fは学園ジュブナイルRPGの皮を被ったホラゲだったのかもしれません。まあ確かに、主人公解体ムービーはホラゲさながらのグロさでしたね……。

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