P3・P3Fスタッフインタビューのログ

2024/4/20更新:フェス発売後のインタビュー2本とスレ民の反応を後半に追加


「P3無印発売時にスタッフが『EDの解釈はプレイヤーに任せる』と言っていた」という古参プレイヤーの発言のソースを探していたら、ネットで見つけました。

アトラススタッフwikiに資料としてインタビューのアーカイブがあり、そこに転載されていました。
インタビュー本文は抜けが多いしP5以降は更新が途絶えていますが、当時の誌名は網羅されているかと。ありがたい事にP3関連はほぼ全て残っています。
ED関連含め、読んでいてこれは、となった発言を、筆者のツッコミを添えて残しておきます。

当記事で引用したインタビュー:
無印発売前ウェブ記事、無印発売後電プレ、フェス発売前電プレ、無印設定資料集、フェス発売後電撃マ王、ファミ通PS+
※時系列では資料集→フェス発売前電プレインタの並びが正しいけど、修正する気力が無いのでこのままで。

P3無印発売前インタビュー

――最後にファンへのメッセージをお願いします

エンディングに必ず何か感じ取れるものがあると思うので、楽しんでください。
本当に日常的にリアルで「なんか普段やってるリアルさと似てるなあ」とか「すごく時間がかかりそうだな」と思う方もいると思うんですけど、その物語の最後には必ずプレイしてくれた人を動かす何かがあると思います、そこをぜひ期待してください。
当初は通常プレイで50時間かかるって言いましたが、デバック前だったので、フタを開けてみたら80時間から100時間かかるボリュームになっています。
プレイヤーにそれだけの時間を頂くわけですから、それで最後「なんじゃこりゃ」じゃコントローラ投げつけちゃうんで、そういうことはないですよ。

ソースはkids.gooのウェブインタビューっぽい。
考察スレにURLが張られていたが、既にドメイン切れでリンク先には飛べなかった。

これを張ったレス主のコメントが以下。

自分が感動できるものはユーザーも感動できると思ってる
むしろ、エンディングの真相を知ってからのここの反応はまさに「なんじゃこりゃ」じゃん


電撃PlayStation - 2006年09月08日号 Vol.364 『ペルソナ3』開発スタッフインタビュー

インタビュイー:橋野桂、副島成記、田中裕一郎、和田和久、遠山博一、目黒将司

橋野氏「それぞれがいろいろな受け取り方をしてもらえればと」

――発売後1カ月がたちましたが、周りやユーザーからの反応はいかがですか?

橋野桂氏(以下、橋野 敬称略):そろそろみなさんクリアしているころだと思うのですが、ネットでの交流サイトなどを見ると反応もよくて安心しています。

――物語についてもいろいろ論議されているのを見かけますね。

橋野:扱うテーマが「死」というものなので、それぞれがいろいろな受け取り方をしてもらえればと思います。

橋野氏「それぞれの受け取り方におまかせする」

――このようなテーマのなか、主人公はどういった立ち位置として存在するキャラととらえればいいのでしょうか?

橋野:簡潔に言い表すのならば、主人公はゴールまでたどり着いた人物ということになります。ゴールというのは人間としてのゴールというか…。本作の場合ですと、タロットカードの流れをすべてたどったということです。ゲーム内でも江戸川先生が講義(※1)をしていたと思いますが、タロットが人の一生を表現しているというものですね。あれになぞらえています。『ペルソナ』というシリーズは1作目からタロットをモチーフに使ってきたのですが、じつは『1』や『2』はそれほどタロットの要素が強くありません。せっかくなので『3』ではタロット本来が持つ意味を深く掘り下げ、ゲームに取り込みたいと考えました。タロットの意味の反映は、主人公のたどる人生を描いた本編に一番大きくかかわります。わかりやすいところでは、物語が刑死者の意味にあたる部分になると、主人公たちが十字架にはりつけられます。ほかにもいたるところでタロットが関係しています。

――主人公のゴールというと、エンディングについてユーザー間でもいろいろ推測が飛び交っています。

橋野:儀式的な意味合いが強いというか、必ずしもバッドエンドではないと思っています。あとはそれぞれの受け取り方におまかせしますが…。そんなにわかりにくくしたつもりはないので、自分としてはちょっと意外な反応だったりするんですよね。

>「それぞれの受け取り方におまかせします」
この発言をひっくり返したのが、無印設定資料集収録のインタビューとエピソードアイギスである。

橋野氏「アイギスは特別な存在」

――本作のメインヒロインはアイギスであると感じたのですが、なぜロボットの彼女をメインヒロインにしたのでしょうか?

田中:メインヒロインという意味を強く持たせたわけではないのですが、「死」がテーマである作品において「死」にかかわらないキャラが必要だと感じました。死がわからない存在が、死を意識せざるを得なくなり、死に向き合うようになる過程をたどることが、テーマを描くために重要でした。

副島成記氏(以下、副島 敬称略):ヒロインといわれると、ゲームのシステム的にはいろいろな女の子を恋人にできるのですが…自分としてはゆかりは身近にいる女の子、アイギスは本編のヒロインというか、核にいる人物と意識しています。

――ヒロインというよりは、もう1人の主人公的な意味合いでしょうか?

橋野:そうですね…アイギスは特別な存在で、本編を描くなかで重要な位置にいます。

――ある意味、本編の核心に触れるキャラだからこそ、仲間の女性キャラのなかで唯一コミュを持たないのかと想像します。

田中:そうですね。ロボット相手に人間とまったく同じ恋愛ができるというのもリアリティのない話ですし、何より特異な設定を与えた意味が薄れてしまうと思います。

橋野:最初はコミュもあって、シナリオも作りましたけど、結局はボツにしました。

――逆にコミュでの関係が本編のエンディングに影響することはないのでしょうか? 例えばキャラ固有のエンディングの可能性は、最初からなかったのでしょうか?

橋野:やっぱりコミュを育て上げたキャラによってキャラエンディングを用意しようというのは、開発スタッフ内でも話は上がりました。ただそれをやると本編がズレてしまい、本当に描きたいものとは異なってしまうので最終的にはなくなりました。彼女たちとは学園生活のなかで決着がつくもので、本編とは別の話になります。

田中氏「好きなキャラはアイギス」

――ではお気に入りのキャラをそれぞれ挙げてください。

目黒:僕は全部受け入れますよ。

遠山:僕もみんな好きですけど…あ、順平はあんまり(笑)。「テレッテー」がどうにも好きになれなくて。

和田:もともとマッチョキャラが好きなのでやっぱり真田ですね。

橋野:僕はゲームをやっているときは美鶴ばかり選んでましたけど、思い入れの強さではゆかりですね。ゆかり会議もしたし。

副島:好きなのはアイギスなんですけど、今のマイブームはゆかりです。

田中:僕もアイギスです。名前をつけるのがうまくいったかなって。アイギスって英語でいうイージス(Aegis)なんですけど、うまく女の子の名前になりました。

※ライターの田中氏は後にエピソードアイギスのシナリオも担当。

目黒氏「エンディングは歌詞まで聞いて」

――では最後になりますが、それぞれのセクションを総括する意味で、ひとことずつメッセージをお願いします。

目黒:サウンドはボーカルが目立っていると思われていますが、いろいろ聞いてほしいと思います。とくにエンディングは詞までしっかりと聞いてください!

この他にも風花とコロマルのキャラデザや真田のキャラ付けの没案、シナリオや作品テーマについて、UIについてなど長文で語られている。


電撃PlayStation - 2007年01月12日号 Vol.376 付録 DENGEKI Re:Play VOL.1『ペルソナ3』

インタビュイー:橋野桂、田中裕一郎、副島成記

橋野氏「複雑すぎてユーザーに伝わらないようなものはダメ」

――独自の視点ということですが、RPGを制作するための要素を3つあげるとしたら、どういったものがあげられるでしょうか?

橋野:1つは「リアリティ」ですね。これは、映像などがリアルということではなく、どれだけ現実味があるか生々しいかという感覚的なリアルさです。2つ目は、「感情移入の妨げを作らない」ですね。僕はRPGをプレイしていて、主人公がちょっとでも鼻につくと「こいつはオレじゃない」って思っちゃう人なんですよ。ですから、極力個性のない主人公(※4)を立てるといった点に注意しています。3つ目は、「ユーザーへのお返し」ですかね。RPGは長時間プレイしてもらうものですから、何かしら得るモノがあったり、1つ体験が増えたと思ってもらえたりしてもらえる努力をしています。ただの娯楽なら、映画を見ることでも満たせるわけですから、ある種RPGには、体験シミュレータとしての役割を持たせたいと考えているんです。

――体験シミュレータですか?

橋野:ええ、RPGは普段はできない生き方を体験するものという考え方なんです。普段、剣を振るってモンスターを倒したり、お姫様を助けに行ったりなんてできませんよね? そうした生き方を体験することでプレイヤーが何か得られればと思っているんです。例えば『女神転生』なら、ロウ・カオス・ニュートラル(※5)といった生き方がありますよね。もっとわかりやすく言うなら、よくインターネットに「あなたの精神年齢診断します」とかあるじゃないですか。そこで、診断される人は生年月日などプロフィールを入力して、結果が出ますよね。RPGはそれをもっと壮大に行っているという感覚なんです。つまり、プロフィールの入力が戦闘やイベント、育成であって、結果がエンディングなんです。個人的には、そうしたシミュレータとしての役割を、プレイヤーが試されていると自覚できるくらいの露骨さを入れていきたいと思っています。そうすることで、プレイしてくれた人に体験というお返しができればと。

――逆に、これだけはやらない、タブー的な要素はありますか?

橋野:そうですね、あえてあげるならユーザーとの距離感ですかね。つかず離れず、放り出しもしないけど、次はドコ? 次はドコ? とうるさくいうこともない。そんな束縛することのない、ユーザーとの適度な距離感を目指して作るよう心がけてはいます。あとはわかりやすさでしょうか。たとえすごくおもしろいものだとしても、複雑すぎてユーザーに伝わらないようなものはダメだと思うんです。そうした点は注意して制作していますね。

※4 個性のない主人公
 『ペルソナ3』など、橋野氏が手がけるRPGの主人公は初期段階の名前が設定されていない。主人公=プレイヤーというスタンスが貫かれているのが見てとれる。

エピソードアイギスの内容とプレイヤー評価を振り返ってみると噴飯物の発言である。

田中氏「楽しい学園生活という選択は正しかった」

――まず『ペルソナ3』の評判についてお聞きしたいのですが、久々の『ペルソナ』ということで、ユーザーからどのような反応がありましたか?

田中裕一郎氏(以下、敬称略):リアクションはこちらの想定よりも多くの方から返してもらえました。なかには、独自のサイトで意見をまとめて送ってくださった方までいらっしゃいましたから。正直なところ、『ペルソナ』というタイトルではあるものの、前作から変えた部分も多いので、もっと批判的な意見もあがってくると思っていたのですが、おおむね好意的な意見が多かったです。

――前作から変えた部分も多いとのことでしたが、ユーザー層に変化はありましたか?

田中:確かに従来の『女神転生』シリーズと比べて、ダークさやマニアックさみたいなものは強くありませんが、一方で物語のテーマは重めだし、往年のファンを丸ごと裏切るようなものにはなってないと思います。そういう意味で、ライト層を引き込みつつマニア層にも受け入れられたんじゃないでしょうか。今作では、ディレクターの橋野から「ダークさとは、暗くなることじゃない」と再三言われていたんです。世の中にある救いのないこと、シビアなことから目をそむけず、不必要に毒を抜かないで忠実に再現することが真の意味でのダークさの表現につながると。だからこそ、従来と形は違っても『女神転生』らしさを感じられるんだと思います。で、骨子さえ確かなら、あとは学園が舞台ですし、楽しくて悪いことはないなと。ムダに暗い学園を描いても仕方ないですから。ユーザーさんの反応を見ると、楽しい学園生活という選択は正しかったんだなと思います。

田中氏「どうすればよりよく死ねるか」

――そうしたコミュのシステムは、どのようにして生まれたのでしょうか?

田中:まず本作のテーマとして、「人生はいつか終わるもので、そこから目をそらさないことが充実した生につながる」というものがあるんです。ですから、ゲーム中の12月31日に絶対に勝てないといわれている敵と戦うかどうするか選べるわけです。この選択は死に方を選べるだけで、死からは逃れられない。だから、どうすればよりよく死ねるかが重要になってきます。これは、心から信じるものの有無や、託せる人の存在や、いろいろなものがかかわってくる難問だと思います。そうした流れを生み出すうえで、プレイヤーにはほかのキャラとの絆を育むという作業を実際にやってもらう必要がありました。それが、コミュというシステムになったんです。

――メインではないキャラにコミュが多いようですが、その意図は?

田中:ゆかりや順平といったメインキャラだと、どうしても物語の軸を追うことになるため、流れが固定されちゃうんです。そこで、ある程度自由な流れを組めて、プレイヤーが能動的に絆を結べるキャラ、ということでコミュキャラが誕生しました。そうして自らが結んだ絆だからこそ、最後の戦いの直前にベルベットルームで出てくるコミュキャラたちを見て「あぁ、そういえば自分にはこうした人たちとのつながりがあったんだなぁ」と思い起こせるんだと思います。それを思い出すことで、主人公=プレイヤーは死とさえ向き合えるようになる。それが、テーマとコミュというシステムを結ぶ結果にもなるわけです。

――最初からそういったシステムにしようと考えていたのですか?

田中:今回は、もし実現不可能でもスタッフがやりたいことをシステム化していこうという流れだったので、そういう意味ではテーマが先だったのかもしれませんね。正直、コミュはそれまでに類似したシステムが見当たらなかったので、ギリギリまで楽しいかどうか自信がなかったんですよ。発売されてユーザーの反応を見ると、やってよかったなと思いますね。

田中氏「ファンの要望に可能な限りこたえた内容となっているので期待して待って」

――前作から大きく変えたという点で、実験的だった『ペルソナ3』の続編が発売されるということですが、まずタイトルの『FES』について教えていただけますか?

田中:これは単純に「Festival(祭)」のことです。『ペルソナ3』の後日談となる新規部分は大きな要素ですが、それ以上に『ペルソナ3』を楽しんでくださったユーザーのみなさんへのファンコンテンツという意味合いも強いことから、こうしたタイトルになりました。とはいっても、後日談の部分だけでも30時間くらいプレイできるボリュームになってしまったのですが(笑)

――続編の制作はいつごろから動き出していたのでしょうか?

田中:『ペルソナ3』の制作段階から、人気が出るようなら作りたいね、という話はしていました。当然、それが実現できるように拡張性を持った内容にしていました。あとは、発売後の反応を見て動き出したという感じです。具体的には、ペルソナの追加など『女神転生』シリーズのファンが喜びそうな要素と、まだ秘密ですがイベントなどで型破りな要素を盛り込んでいます。これらの内容は『FES』のディスク1枚で楽しむことができますが、『ペルソナ3』を購入してくれたユーザーのために、価格を抑えたアペンド版も用意してありますよ。これは『ペルソナ3』のディスクで起動するもので、追加要素は『FES』のものと同じです。すでに『ペルソナ3』をお持ちのユーザーは続編から楽しむことも可能です。データの引継ぎも用意してありますので、気楽に楽しんでほしいですね。

――キャラクターも増えたりするのでしょうか?

田中:もちろん、新キャラも登場しますよ。ただ、増やすだけでは愛着が持てないだろうということで、新キャラより『ペルソナ3』で愛着を持ってもらったキャラをさらに掘り下げるという部分に力を入れました。ユーザーの方からの意見で、もっとメインキャラの話を見たかったというものが多かったんです。そのあたりの強化はしっかりと行いました。美鶴や真田の過去も語られたりしますよ。ファンにはたまらない内容になっていると思います。

――最後に『ペルソナ3』のファン、また『FES』を楽しみにしているユーザーにメッセージをひと言お願いします。

田中:『ペルソナ3』をプレイしてくださった方は、ファンの要望に可能な限りこたえた内容となっているので期待して待っていてほしいですね。まだ未プレイの方は、ジュブナイルというテーマがしっかりと伝わる作品になっているのでぜひ触れてもらいたいところです。また、『ペルソナ3』が発売されて半年がたち、周囲から何かしら特異な反応を聞いていると思うんです。「街の人と話すのが楽しいんだよ」とか、あまり普通のRPGでは感じないような独特の楽しみ方ができる作品なので、少しでも興味を持ってもらえたなら、遊んでみてほしいですね。

フェスのプロモーション詐欺はこの時点から始まっていた事が分かる。

副島氏「主人公は玉虫色」

――そうなると、ユーザーが感情移入しやすい主人公のデザインは苦労されたのでは?

副島:主人公は=プレイヤーなので、玉虫色のように見る人によって印象が異なるデザインで描く必要がありました。それで完成した最初の主人公は、本当になんの特徴もない、いいヤツだったんです。でも、もしかしたら悪いヤツとしてプレイする人もいるかもしれないですよね。そこで、多少影をつけたり、目つきが悪かったりと、一般的なヒーロー像より悪さを意識して描きました。ただ、発売後はユーザーさんが個性をつけていって、デザインは僕だけどキャラクターとしてはユーザーさんが作った感じですね。だから、発売後に描いた主人公は、ほかの登場人物同様に1人のキャラクターとして描いている部分が大きいですね。

――ユーザーと一緒に作ったという点では、例えば電プレの読者イラストも見られるのですか?

副島:ユーザーさんのイラストはすごく楽しみですし、『ペルソナ3』のイラストがあるとうれしいですよ。その人その人のキャラクター像が表れるのでとても興味深いです。『ペルソナ』の同人誌などもいくつか制作室に置いてあったりします。同人誌などを見ると、自由なシチュエーションでいろんな表情を描いていてうらやましいです。『ペルソナ3』は制作が終わっても、まだ描いていたいという気持ちが強くて、誰に頼まれたわけでも誰が作るといったわけでもないのにその後の美鶴、高校生になった天田とか描いていましたね(笑)。

副島氏「いい意味で期待を裏切る内容になっている」

――最後に『FES』を楽しみにしているユーザーにひと言お願いします。

副島:『ペルソナ3』が発表されたときのインパクトというのは、ある程度あったと思うのですが、それと同じくらいの衝撃を与えたいと思って作った作品です。『FES』は続編という位置づけですが、雰囲気からすべてが『ペルソナ3』と同じというわけではなく、いい意味で期待を裏切る内容になっていると思っています。『ペルソナ3』が発表されたときの驚きを期待しながら待っていてもらえればと思います。

>「いい意味で期待を裏切る内容になっている」
これが副島さんなりの警告と逃げ道だったのかもしれない。(予想じゃなくて期待を裏切ってどうする…)

この他にも色々語られているのでファンは必読かも。


P3公式設定資料集 制作者ロングインタビュー(2006/9/30発売)

インタビュイー:橋野桂、副島成記

橋野氏「P3はバンジージャンプ」


――いきなりですが、勝利を否定された最後の戦いの意味は?

橋野:「ラストバトルでの勝利はどのような意味を持つのか?」ですか。絶対に勝てないニュクスすなわち死との戦いというのは、プレイヤーが契約をもとに入れられた『ペルソナ3』という装置の中で、絶対に逃れられない死に挑戦してみる、ということです。誤解を恐れずに言うと、バンジージャンプなんです。ゲームの冒頭で足を縛られて、跳んでみる。ゲームでは、この主人公が死んだことをはっきりとは言っていないのだけれど彼の物語は完全に終わってしまっている。でも、プレイヤーは死んでいない。つまり、ゲームを装置として、いつかは死んでしまうことを体験してみてください、ということなんです。そうした、死の疑似体験を経て、現実の中で死について、生について考えて見て欲しい。俺たちも、家族を失ったこともあるし、そういうことを体験したこともあるけれど、まだ30歳を過ぎたくらいですし、死とか生とかについて説教なんてできない、と思っています。

主人公の死を確定させ、ファンから非難を浴びたインタビュー。

橋野氏「太陽コミュの価値観がゲーム全体を貫いているわけではない」

――コミュニティキャラクター(以下、コミュキャラクター)である余命いくばくもない青年の書く物語は、ゲームに込められた、生と死に対する作り手のメッセージなんでしょうか?

橋野:彼の書く物語は、彼自身の生に対する価値観であって、あの価値観がゲーム全体を貫いているわけではない。以前、ある雑誌で、いろいろな人がどのように死にたいかということについて語るという特集があったのだけれど、皆バラバラでした。でも、好きな人、家族に見守られて死にたい、というのが多かったかな。

橋野氏「看取られたら死んでもいい」


――その、誰かに看取られたいという気持ちは、どうして生まれるのでしょう?

橋野:一般論として、単純に恐いからでしょう。ひとりで去ってしまうことが。たとえば、臨終の間に僕がいたとしたら、それは寂しいですよね。皆そこにいて、僕は先に逝くわけですから。これは、寂しい。いちばん最初に飲み会から帰らなきゃいけない、みたいな。

――終わっちゃうのか、これで。

橋野:そうそう。なおかつ、「どうだった? あのあと」って聞けないわけですから。そういう意味で、未知なるものへの恐さっていうのは、今に始まったことじゃなくて、ずっとあることですよね。そう考えると、やっぱり、自分とちゃんと関係ができていて、看取ってくれる相手の中に自分がちゃんと生きている感覚……ゲームだとコミュニティ(以下、コミュ)とか絆とか言ってるんですけど……僕が死んでも、僕が生きた証とか価値が、想いや愛やあるいは思想だとかが根づいている。それを前提に看取られたら、ま、死んだとしてもいいか、と……。

――消えちゃうわけじゃない?

橋野:消えちゃうわけじゃない。喪失感というものが薄れるような気がする。……わからないけれど。僕も含めて、宗教を持たない人たちは、死によってすべてを失ってしまう。死は、単純にして完全な喪失。そういうのを感じている人ほど、それを超越した、人同士の愛に包まれて生を終えたいと思うんじゃないかな。
ま、あと5年とか10年したら、また全然違う考えに変わると思うんですけど。ははは。だから、生と死に関しては語れない、その資格がない、という気がしている。でも、ひとつ言えるのは、そういう日が来るということをまったく考えない人たちに、そういう日は必ず来るんだよ、ということを教えられる年代ではある、と。

この死生観をプレイヤーに押し付けたのが膝枕エンドである。

副島氏「自分は一番最後に死にたい」

――副島さんはどうですか?

副島:そうですね。ゲームとしては、メインのシナリオでは死の疑似体験をしたりしますし、コミュキャラクターもパーティキャラクターもいろいろ言いますけど、あまり共通してないと思うんですよね。死とはこういうものですよとか、生きるとはこういうことですよとか。「ペルソナ3」で語られるのは、ひとつの思想というか、誰かひとりの書き手の思想ではないんです。キャラクターそれぞれ、こういう考え方もあるし、ああいう考え方もあるというような、そういう考え方がたくさん書いてあるだけだなんです。それは、現実でもそうですよね。だから、「ペルソナ3」をプレイして、いろいろなセリフを聞いて、疑似体験してみて、それから自分の周りにいる人や自分を振り返ってみて、さてどう考えてみたらいいかな、というきっかけを提供するものにとどめてあります。それと、さっきの看取られるという話ですが、自分は、看取られたいとはあまり思っていなくて、いちばん最後に死にたい。

橋野氏が死にかけた時の話

――皆を看取ってから、ですか?

副島:皆を看取ってから死にたい。
橋野:そうなの?
副島:残る人が、すごいかわいそう。もちろん、愛されてるのが前提ですけど。
橋野:それさ、死にかけたことがないからだよ。
副島:死にかけたこと、あるんですか?
橋野:自分は、4~5年前に麻疹(はしか)にかかって、40度以上の熱が続いて、裏では家族が呼ばれて……という状況で、そばにはずっと奥さんがついていてくれて。熱がすごいので、痛みとかあんまり感じないんですよ。で、死ぬときって、こんな感じかなって。奥さんがそばにいてくれるだけで、あ、これで死んでも別にいいか、って。

――覚悟ができた感じですか?

橋野:覚悟っていうか、まさか麻疹で死んでしまうとは思ってなかったけれど。老人になったとき、こういう環境で死ぬのも、別にいいか、ありか、と。ものすごい自分本位だけどね。

副島:自分は、階段から落ちて死にそうになったことがありました。走馬灯というのが何なのかわかったような気がします。

死にかけた話で副島氏にマウントを取り、説教をする橋野氏の有名な発言。
「ロボの膝枕ってこれの事か」「ゲームで作者が自分の願望叶えるとかキモい」「アイギスと主人公に嫁と自分を投影してるの最悪すぎる」「看病した人の気持ちを考えろ」と考察スレでボコボコに叩かれていた。
筆者から言わせてもらうと、自分は老人になるまで生きるつもりなのに主人公は17歳で死なせたのかよという気持ち。あと副島さんも過去に死にかけてるじゃねーか!

橋野氏「残された者ができるのは、死に逝く者を認めてあげること」

――今まで、自分の死についてお話いただきましたが、周囲の友達の死についてはいかがですか? 失うことに対する……。

橋野:残された者ができるのは、死に逝く者を認めてあげることなんじゃないでしょうか。その人はどう生きて、どう死にたかったのか。今はどういう状況なのか。それを自分の身に置き替えたときに、悲しむべきものなのか、幸せだったのかどうか。それを自分なりの価値観で考えてあげること、だと思います。だから、荒垣やチドリというキャラクターを、無念な感覚で、報われないような死に方には描いていない。「これでよかった。これで俺の人生をまっとうできた」そういう感覚で、先に逝く。そして、残された者が、それを受け継いでいく、という感じにしたんです。でも、ユーザーからは、「何をしとるのか!?」という意見もあった。

副島:それは、プレイヤーキャラクターが途中でいなくなっちゃうからじゃないですか?

――せっかく育てたのに。

橋野:ま、こちらで意図したとおりには伝わらないというか、ゲーム進行としては、そこをどうやってユーザーにうまく歩み寄れるか、ですね。

>そこをどうやってユーザーにうまく歩み寄れるか
歩み寄れましたか…?(後日談を見る)

――プレイヤーキャラクターの喪失というのは、それを育てた時間、そのキャラクターにコミットした時間というものを失うことに対する喪失感がありますよね。作り手の方がおられるので、その人たちに怒りの矛先が向くのでしょうけど。現実だったら、その喪失感に対する、どこにも向けられない怒りを抱えて生きていくしかない。そういう意味では、死という喪失を体感しているのかもしれないですね。

橋野:うーん。そういった喪失感をすでに現実に体験しているユーザーにとってみれば、それは楽しい体験ではないし、新しい体験でもない。……そこなんでしょうね、難しいところは。知っている人にとってはうっとうしい話だと思うんです。そういうことは。でも、二十歳くらいの若い人たちは、たとえば、大事な人を失ってしまったという経験が俺らよりは少ないと思うので、何か感じてくれるところがあれば、と思ったんですけど。はたしてどうだったのか。それは、まだわからないです。

橋野氏「エンディングは葬式にするつもりだった」

橋野:最初は、エンディングを葬式にしようかって話もしてたんですよ。コミュキャラクターが葬式に何人来てくれるかって。

頭おかしいだろ。


フェス発売後電撃マ王インタビュー

インタビュイー:田中裕一郎

田中氏「『最高の充実の中で事切れる』というハッピーエンド」

――後日談では、主人公が本編のエンディング後にどうなったのかをはっきりさせたい、という狙いがあったそうですが?

田中:じつは、主人公の生死については、直言する言葉を出さなかった以外は、ぼかさず表現したつもりでしたがいろいろと想定外でした(笑)ただ、ハッピーエンドという位置付けで描いたことだけは間違いありません。

――バッドエンドを迎えたわけではない?

田中:極端な話をすると、エンディングで生き残ってもいつかは絶対死ぬので単に「生き永らえた幸福感」だけ描いて終わったら、この作品としては尻切れというか、テーマに触れない結末になってしまうと思いました。死が絶対的な不幸なら、全ての人は最後は不幸ということになってしまう。でもそうじゃないと自分は思いますし、この作品で伝えたかった重要な点でもあります。だから、万人がいつか必ず体験する結末のデフォルメとして「最高の充実の中で事切れる」というハッピーエンドを描きました。ゲームは娯楽という大前提に立てば、ハードルが高いことはわかっていましたが(笑)そこはスタッフ一丸となってチャレンジ精神で臨みました。欲を言えば、「主人公の生は終わったけど、その体験をした自分はまだ生きているから自分は今度どう生きよう?」みたいに考えてもらえたらうれしいです。

田中氏「後日談のテーマの一つは『命無き者が生を見つめる」

――『フェス』で後日談を書くことになったきっかけはなんだったのでしょうか?

田中:1つの理由で入れたわけではありませんが、『フェス』は第一にファンコンテンツです。新規の物語が追加されるという要素は、ファンが最も望んでいるものの1つだろうと考えましたから。加えて、『ペルソナ3』では、仲間たちが寮にいるままで物語が終わりますが、あの寮はシャドウ討伐という使命のために存在するもので、あそこにいる間は、宿命から完全に脱したとはいえない状態です。比ゆ的な表現ですが、あの寮を出て、そのドアに鍵を閉めて完結させるという過程が、絶対に必要だと感じていました。ただ、ファンの声に耳を傾けると、後に続く物語を望む声ばかりというわけではありませんでしたので、新規のキャラクターの登場と同時に、既存のキャラクターの背景や過去も掘り下げていく、今回のような後日談となりました。

――後日談のテーマというのは、本編の「死」というテーマとは違うものなのでしょうか?

田中:基本は同じです。本編の「生者が死を見つめる」に対し「命無き者が生を見つめる」と逆の視点になりましたが、つながった物語なので、テーマが大きく変わったりはしていませんね。

――後日談をもって『ペルソナ3』の物語は完結しますか?

田中:本編だけで完結させたつもりですが、真の終幕というか、エピローグ的なものと理解していただくといいかもしれません。

アイギスが後日談主人公である理由

――後日談の主人公をアイギスにした理由はユーザーの人気が理由なんでしょうか?

田中:もちろん、キャラとしての人気も要因の一つではあります。ただ、『3』でのアイギスというのは「死」を知らない機械という、ほかとは異質な存在です。これは本作のテーマを描くには欠かせない要素なので、そこから後日談を牽引するにふさわしいと決まった、という経緯もあります。

――本編の主人公は、自分で選択肢を選んで性格付けが出来る「玉虫色に変化するキャラ」ですよね。対してアイギスは、本編をプレイした人には既に性格や行動が浸透しているキャラです。その辺の違いや難しさはありましたか?

田中:もちろん大きく違います。『3』ではそれぞれのキャラの個性が順調で、 性格や肌合いなどはもう確立しています。そういうパーソナリティを持ったキャラを主人公に据えた物語は、自分自身でも描くのは初めてです。一応スタッフの意見を聞く限りでは、主人公が自分自身ではなくアイギスであることに、特別な違和感は無いということでした(笑)

――田中さんご自身はセリフのある主人公というのに戸惑いはありませんでしたか?

田中:本編というのは、あくまで主人公=プレイヤー自身のたどった旅路であるのに対して、後日談というのはアイギスがたどる旅路です。そこでもアイギスがしゃべらない、没個性なキャラになるのはおかしいですからね。

――後日談の最初に挿入されるムービーも、気になります。このムービーの状況はどういうことなんだろう?というのが、プレイしてまず気になるところかと思います。

田中:中盤にあたるものを、いきなり見せるというヤツで、RPGでも映画的な演出に凝ったものなんかでは見られますよね。後日談の前半部は 過去を振り返る話に終始するので、それ自体を回想にしてしまおうと、意図して行いました。この段階にいたるまでの物語と、そこから先とで、流れは大きく変わります。

――そのなかで、主人公であるアイギスがどう行動するかを追う流れですね。

田中:アイギスは機械なので、戦いが終わっても1人だけ日常がありません。ですから、アイギスにとっては帰るべき日常の場所を見つけられないと物語は終わらないんです。「生きる」とはそういうことですから。

――アイギスが日常を見つけるというのが1つのテーマになりますね。

田中:そうですね。そういう意味でも、アイギスにスポットが当たりました。

ゆかりについて

――プレイしていると、最初に風花と電話するシーンなどで見られる、ゆかりの仲間に対する素っ気なさがとても気になりました。

田中:あれは意図して入れました。ゆかりは、主人公を失ったことや、過去の戦いを全て丸呑みにして、とにかく未来へ前進しようとしてます。一緒に戦った仲間でさえ、当初の彼女には過去を連想させる対象だったのかもしれません。なのに現実では、同じ1日が続き、昔のような探索までする羽目に。すべてが逆へ向かい、いらだちを募らせます。でも最終的に、主人公の喪失に対して、一番未練がましいことを言うのもゆかりです。ゆかりがそこまで強硬に前進を求めるのは、未来をくれた主人公に対する執着の強さの裏返しです。

――そういう意味だと真田たちはきちんと事実を受け止めているように感じられます。

田中:大切な人を失ったときの対処法は、人それぞれと思います。そのなかで、じつは一番感情的で、手に負えなくなっているのがゆかりなんです。その点で真田などは、確かに主人公を失ったことで大きな悲しみを抱えていますが、対象喪失というものに対する向き合い方はわかっているんです。天田や順平、美鶴も落ち込んではいるんだけど、何を我慢すべきで、何を我慢しなくていいかがわかっていて、感情がむやみに爆発するところまでいかないんです。ゆかりについては、ちょうどチドリの件で、順平に起きた感情の混濁と近いものが、さらに重みを増して起きている、と考えていただけると近いと思います。

――本編では順平がしゃべらない主人公(プレイヤー)の代弁者でしたが、後日談ではゆかりがその役目を負っているのでしょうか?

田中:主人公が違いますし、代弁者というわけではありませんが、つらさに対する対処の過程がもっとも等身大なのかもしれませんね。

――後日談では、ダンジョンの最下層で仲間の過去が明かされますよね。

田中:本編は「未来」を見つめる話ですし、カレンダーに沿う形で時間の流れがものすごくハッキリしていますから、いろいろな意味で過去主体の見せ方にはなりませんでした。

――ゲームシステム的な制約もあり、本編では描けなかった過去の話を、『フェス』の後日談で見せることになったのでしょうか?

田中:本来、日常とタルタロスの探索はゲーム的に一体のもので、相互にモチベーションを保ち合っていました。しかし後日談では日常に当たるものがシステム上はなくダンジョンの探索と、NPC会話だけを交互に繰り返す形となっています。そうなると、やはり仲間との会話の内容や、間に挿入されるイベントがいかにおもしろいかがカギです。多くのファンが興味をひかれるものは何かと考えたとき、「仲間たちの知られざる過去」という題材に行き着きました。

――各キャラの回想には、「ペルソナが目覚めたとき」という共通点がありますよね。

田中:イベントを薦めていくと、その辺はわかります(笑)。例えば「シャドウとペルソナがじつは同じである」とか「心象を実体化させるという行為はじつはペルソナ召喚だけでなく、誰でも日常からやっている」とか、後日談ではペルソナの設定面にスポットを当てたいという意図がありました。でも、いきなり解説じみた話では当然ひかれないので、それぞれの過去を思い出していくことからはじめています。さらに言えば、平和になった現在よりも、戦いに臨んでいた過去のほうが充実していた、と感じていることを、仲間たちが気づくきっかけを作りたかったという狙いもありますね。

>多くのファンが興味をひかれるものは何かと考えたとき、「仲間たちの知られざる過去」という題材に行き着きました。

田中氏「みなさんに楽しんでもらえるのが第一」

――最後になりましたが、読者に向けて一言お願いします。

田中:『フェス』はファンコンテンツなので、みなさんに楽しんでもらえるのが第一です。そしてゲームを終えたとき、何かしらプレイヤー自身の生き方に対する考えに、プラスのものが残れば、最高に嬉しく思います。

頭おかしいだろ。


ファミ通PLAYSTATION+ 2007年06月号 Vol.233

インタビュイー:副島成記、目黒将司、田中裕一郎

P3のテーマについて

――いまだから言える、『ペルソナ3』で描きたかったことはなんですか?

田中:“終わりは必ず、すべてに訪れる”ということをテーマに入れたかったんです。つまりは人生にも訪れる生にも訪れるわけで、全ての人に最後は死が待つと。もっとも日常的に死を思いっ放しじゃ憂鬱になってしまいますけど、憂鬱になってしまいますけれど、目を逸らしたままじゃ充実した生きかたはできないと思います。昔の映画に『エニイ・ギブン・サンデー』というのがあって、アメフトを通して男の生きかたを描いているんです。その映画のキャッチフレーズがムダに生きるな、熱く死ね!”なんですよ。橋野はこの言葉をすごく押してました(笑)。

――おお、カッコいいですね(笑)。

田中:ですよね(笑)。そのキャッチフレーズをよく考えてみると、「なるほどな」と思って。80年ただ生きているだけの人生を送るより、短くても自分の人生を自分で選んでいったほうが、生きているという充実感を得られると思うんです。だから、それを『ペルソナ3』では描きたかった。

田中氏「アイギスに帰るべき日常を見つけてあげたかった」

(“アイギス編”を作った理由について)

田中:アペンド版みたいなファン向けのコンテンツを作ろうと思ったときに、ファンの皆さんがいちばん見たいのは、やっぱり“後日談”なんじゃないかと思ったんです。
『ペルソナ3』の中では、学生寮というのがじつは特別な存在で……特別な目的を果たすために、特別な能力を持つ人たちが集められた場所なわけですよね。だから、学生寮の中にいるあいだは、まだその宿命の中にいると考えられる。そこから出て、鍵を閉めて外へ出て行く……つまり、「寮はもう必要ない、宿命が終わりました」という結末の物語が書けるんじゃないか、と思ったんですよ。
メインにアイギスを持ってきたのは、もともとアイギス以外は戦いに“巻き込まれた”形ですよね。でも、アイギスは対シャドウ用兵器として作られたわけで、戦いが終わってしまうと日常がなくなってしまう。その彼女に、帰るべき日常を見つけてあげたかったというのがいちばんですね。

(絶句)

――アイギス編の魅力とは?

田中:アイギス編では、各キャラクターの過去にあたる話と、キャラクターがその後どうしているのかといった話を描いています。
「これからさき、どういう風に生きていったらいいのだろう」って考えて決めたはずの人たちだったのに、いきなり最初に過去が描かれる。じつは、自分たちにはまだ戦いがあって、その時期を過ごしていたころは不幸だと感じていた自分のほうが、「平和になってしまったいまよりも充実していたんじゃないか」ということを思い返すこともあるんです。
それから、ジュブナイルものとしては王道中の王道ですが、仲間だったキャラクターと戦う話が入っているんですよ。僕としては、そういう展開はしんどく感じてしまうタイプですけど、リサーチの結果「燃える!」という方も多くいらっしゃるみたいで(笑)。演出としては外せないところだ、と。やっぱり、基本は軽いストーリーではないですね。ああいう結果を迎えたあとですから。

燃える!というか、ゲームが燃えた。


おまけ:考察スレ民のツッコミ

・キタローがそう感じている描写がないよ
・そもそも死ぬ必然性も示されてないよ
・だいたいエレボス意味不明だよ

「生きてく意味が見えなくてちょっと誰かの死に触れてみたい」
誰かの死に触れたら生きてく意味が分かるかもしれんのか
なんでそう思ったんだ
もう俺には何も分からない

充実してる時ほど「この時間がいつまでも続けばいいのに」と思うタイプなので最高の充実の中逝ったキタローは幸せですとか言われても全然納得できない
充実感が無くなった時に感じる喪失感への恐怖、とかならわかるけど、それで充実してる内に死ねたら最高、まで飛躍しちゃったら
散々否定してるニュクス求めるような心と大して変わらないし

死、云々は良く分からんかったが役目も果たせずにのうのうと生きるロボが興醒めだという事だけは伝わった

キタローは答えに到達して解脱したことになってるからな。
プレイヤーに選択権を与えなかったので、この有様。

橋野、資料集でいってたじゃん「このゲームはバンジージャンプです」と。
でも、まさかそれに命綱が無くて(それバンジーじゃなくて身投げだろ)、激突する前に自動的に悟りを開くことになってたとは知る由もなかったわけよ。

17歳のガキなんて青春真っ盛りじゃねーか。とんでもねーことやりとげたとはいえ、「満足だ、もう死んでもいいや」なんて考えるやつなんざいねぇ。

若者を意味不明な流れで、勝手な価値観で殺してなにがハッピーエンドだ。

ハッピー・バッド以前の問題として、シナリオの不整合と脚本家の開き直りが気に入らないなあ。
ラスボス戦後の綾時の台詞や、ラスボス~卒業式までの1ヶ月の空白さえなければ
キタロー死亡にもそんなに違和感がなかっただろうに。
本人的にはキタローの生死をぼかしたつもりはなかったとしても、
その辺の事情から主人公生存説を支持していた人間も相当数いたはずだし、
ネットやら何やらで生存説派の知った上で「ぼかしたつもりはない」っていう発言を繰り返すのはプロ脚本家としてどうなんだか。

充実した死っつーテーマが危なすぎるんだよな
人生が充実していなかったらダメなのか、
充実していてもその瞬間に死を迎えられなければダメなのか、
充実した死を迎えられれば幸せで
そうでない人間は不幸なのか
全力で生きても充実していなければやはり不幸なのかとか
とにかく穴だらけでかなりヤバイ

しかもその体現者である主人公の立場にも説得力が無くて
外見や社交術、天賦の才や能力で
たとえば順平とかから見ると主人公は明らかに強者なんだよ
それも努力の結果ではなくどちらかといえば先天的に。
なんかボンボンが貧乏人を札束で説教してるみたいで寂しい気持ちになる

死については何も考えられなかったけど、
ゲーム、特にRPGの有り様やエンターテイメントはどうあるべきか等色々考えさせられたのは確かだな。

自分の子供が青春真っ只中の充実している最中に突然死んだとしても田中や橋野は「うちの子は不幸なんかじゃない」と言えるのか

https://w.atwiki.jp/p3etc/pages/22.html

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